認知 革命。 認知革命

Cognitive Revolution とは何ぞや?2つの「認知革命」

認知 革命

意識の大海 より 7万年前、認知革命が起こってサピエンスの心が一変し、そのおかげで取るに足らないアフリカの霊長類の1つが世界の支配者となった。 進歩したサピエンスの心は、広大な共同主観的領域へのアクセスを突如手に入れた。 そのおかげで、サピエンスは神々や企業を生み出し、都市や帝国を建設し、書字や貨幣を発明し、ついには原子を分裂させ、月に到達することができた。 私たちの知るかぎりでは、驚天動地のこの革命は、サピエンスのDNAにおけるいくつかの小さな変化と、サピエンスの脳のほんのわずかな配線変更から生じた。 だとすれば、私たちのゲノムにさらにいくつか変更を加え、脳の配線をもう一度変えるだけで第2の認知革命を引き起こせるかもしれない、とテクノ人間至上主義(人間至上主義をテクでした構造)は言う。 最初のテクノ人間至上主義による心の刷新で、は共同主観的な領域へのアクセスを得て、地球の支配者になった。 恐れの匂いがする 医師や技術者や消費者が、の治療とWEIRD(欧米の、啓蒙化され、産業化された社会で暮らす、裕福で、民主主義を信奉する人々)社会での享受に専念しているかぎり、標準未満の精神状態とWEIRDの心を研究していれば、私たちの必要は十分満たされたのかもしれない。 標準的な人を対象とする心理学は、標準からの逸脱はどんなものであっても不当な扱いをする、としばしば非難されるとはいえ、20世紀には無数の人の苦しみを取り除き、何百万もの人の人生を救い、彼らの正気を保つことができた。 ところが3000年紀の幕開きの今、的な的な人間至上主義がテクノ人間至上主義に道を譲り、医学が病人の治療よりも健康な人のアップグレードにしだいに的を絞っていくなか、私たちは完全に異なる種類の課題に直面している。 医師や技術者や消費者はもう、ただ精神的な問題を解決したがっているだけではなく、今や、心をアップグレードしようとしているのだ。 私たちは、新しい意識の状態を作り出す作業に着手する技術的能力を獲得しつつあるが、そのような新領域の地図はない。 馴染みがあるのは主にWEIRDの人々の標準的な標準的な精神状態や標準未満の精神状態のスペクトルなので、どんな目的地を目指せばいいのかすらわからない。 ・ 私たちは匂いを嗅ぐ能力や注意を払う能力に加えて、夢を見る能力も失ってきている。 多くの文化では、夢の中で見たりしたりすることは、目覚めているときに見たりしたりすることに劣らず重要だと信じられていた。 だから人々は、夢を見たり、夢を覚えていたりする能力や、さらには、夢の世界での自分の行動を制御したりする(そういう夢を「」という)能力まで、積極的に育んできた。 の達人たちは、夢の世界を思いのままに動き回ることができ、高次の存在の次元まで行ったり、異界からの訪問者に会ったりすることさえ可能だと主張した。 それに対して現代の世界では、夢はよくても潜在意識のメッセージ、悪くすれば心のゴミとして退けられる。 その結果、夢が私たちの人生で果たす役割ははるかに小さく、夢を見る技能を積極的に伸ばす人はほとんどおらず、多くの人はまったく夢を見ない、あるいは1つも夢を思い出せない、と言い切る。 匂いを嗅いだり、注意を払ったり、夢を見たりする能力が衰えたせいで、私たちの人生は貧しく味気ないものになったのだろうか? そうかもしれない。 だが、たとえそうだととしても、経済と政治の制度にとっては、十分価値があった。 職場の上司は部下には、花の匂いを嗅いだり、妖精の夢を見たりしているよりも、メールを絶えずチェックしてほしいのだ。 似たような理由から、人間の心に対する将来のアップグレードは、政治的な必要性と市場の力を反映する可能性が高い。 ・ 心を生み出す実際的な能力が、精神状態のスペクトルに関する私たちの無知や、政府と軍隊と企業の狭い関心と組み合わさると、災難の処方箋ができ上がる。 私体は首尾良く体や脳をアップグレードできるかもしれないが、その過程で心を失いかねない。 けっきょく、テクノ人間至上主義は人間をダウングレードすることになるかもしれない。 社会を支配するシステムがダウングレードされた人間を好む可能性があるのは、そういう人間が精進的な才覚を持つからではなく、システムの邪魔をして物事の進行を遅らせる、本当に厄介な人間の特性の一部を欠くことになるからだろう。 農民なら誰でも知っているとおり、人をいちばんてこずらせるのは、たいてい群れの最も賢いヤギで、だから農業革命には動物の心的能力をダウングレードするという側面があったのだ。 テクノ人間至上主義者が思いつくような第2の認知革命は、私たちに対して同じことをし、これまでよりもはるかに効果的にデータをやり取りして処理できるものの、注意を払ったり夢を見たり疑ったりすることがほとんどできない人間を生み出す恐れがある。 私たちは何百万年にもわたって、能力を強化されただった。 だが将来は、特大のアリになるかもしれない。 cool-hira.

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認知革命とは

認知 革命

Amazon : Rakuten: 第1部 認知革命 第2部 農業革命 第3部 人類の統一 第4部 科学革命 本書では、ホモ・サピエンスという種の生き物(現生人類、わたしたち人間)をさすときには「サピエンス」という言葉を、ホモ属の生き物すべてをさすときには「人類」という用語をつかっています。 人類進化論によると、人類(ホモ属)とチンパンジーは共通の祖先をもっており、およそ600万年前に、その共通の祖先から人類とチンパンジーにわかれたとかんがえられています。 そしておよそ20万年前に東アフリカで、人類のなかからサピエンスが進化してでてきたとされます。 サピエンスは、しばらくのあいだは東アフリカでくらしていましたが、およそ7万年前に、それ以外の場所に断続的に侵出しはじめます。 その後、サピエンスの複数の生活集団が、ネアンデルタール人をはじめ、ほかの人類種のすべてを中東からおいはらったばかりか、地球上からも一掃します。 サピエンスは、ヨーロッパと東アジアに達し、4万5000年ほど前には、それまでは人類が足をふみいれたことがなかったオーストラリア大陸にも上陸します。 また約7万年前から約3万年前にかけて舟・ランプ・弓矢・針などを発明し、芸術とよんでもよいような作品もうみだし、宗教や交易、社会的階級化をしめす最初の証拠ものこしています。 このような人類史上前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力におこった革命の産物であるとかんがえられ、あたらしい思考と意思疎通の登場を「認知革命」といいます。 認知革命により、情報の伝達は高度化し、おおきな集団での計画的な行動が可能になり、社会が発達していきます。 こうしてサピエンスは高度な文化をうみだし、その文化の変化と発展はどこまでもその後つづいていくことになり、この変化のことを「歴史」といいます。 したがって認知革命は、歴史が、生物学からの独立を「宣言」したということであり、認知革命以後は、歴史的な物語が生物進化論にとってかわり、歴史を理解するためには、遺伝子やホルモン、生命体の相互作用などを理解するだけではたりず、思考やイメージや空想の相互作用なども考慮にいれる必要があるということになります。 * そしておよそ1万2000年前、サピエンスは、いくつかの動植物種の生命を操作しはじめました。 種をまき、作物に水をやり、雑草をぬき、ヒツジを草地につれていきました。 こうしてサピエンスは「はたらく」ようになって、それまでよりもおおくの穀物や肉を手にいれるようになりました。 「農業革命」です。 これはサピエンスのくらし方における革命でした。 たとえば紀元前9500〜8500年ごろ、トルコの南東部とイラン西部とレヴァント地方の丘陵地帯で農耕への移行がはじまりました。 紀元前9000年ごろまでに小麦が栽培植物化され、ヤギが家畜化されました。 エンドウ豆とレンズ豆が紀元前8000年ごろに、オリーブの木は紀元前5000年ごろまでに栽培化されました。 紀元前4000年までにウマが家畜化され、紀元前3500年にブドウの木が栽培化されました。 こうして紀元前3500年までには栽培化・家畜化のピークはすぎました。 このような農耕は、中東の単一の発祥地から世界各地へひろがったとかつてはかんがえられていましたが、現在では、中東の農耕民が農耕技術を輸出したのではなく、さまざまなほかの場所でも完全に独立した形でそれぞれに農耕が発生したとかんがえられています。 農業革命以後、永続的な村落にサピエンスは定住するようになり、生活の時間の大半を農耕についやすようになります。 そして食料の供給量がふると人口が増加しはじめます。 女性は子供を毎年うめるようになります。 すると食物はもっと必要になり、さらにおおくの畑で栽培をおこなわなければならなくなります。 もっとおおくの働き手がそのために必要になり、さらにおおくの子供をうみそだてていきます。 当時は、子供の死亡率はとてもたかかったですが、死亡率の増加を出生率の増加がうわまわり、サピエンスはかぎりなく人口を増加させていくことになるのです。 こうなってくると人々の負担はふえるばかりです。 一連の改良はどれも生活を楽にするとおもっていたのに、おかしいな? 一生懸命はたらけば、いままでよりよいくらしができるとおもっていたのに。 より楽なくらしをもとめたら、もっとおおきな苦難をよびこんでしまいます。 サピエンスは、認知力がたかいはずだったのに初歩的な「計算間違い」をしてしまい、おおくの人々がこの間違いに今でも気づいていません。 農耕は、何ヶ月にもおよぶ耕作に短期の収穫期がつづくという季節のながれにそった生産周期をもっています。 しかし旱魃や洪水・悪疫などのために不作の年がかならずおとずれるため、農耕民は蓄えをのこすために、自分たちが消費する以上のものを生産しなければなりません。 このような未来の心配からくる農耕計画と余剰食糧が経済をうみだします。 農業革命は、農耕の技術革新にとどまらず、経済の発展をもたらし、経済が発展してくると、都市あるいは社会の秩序をたもつための制度がつくられます。 政治家や役人が出現します。 さらに豊作をいのるために、また農耕民の不安やストレスをしずめるために宗教(精神文化)が発達します。 聖職者(精神的指導者)もうまれます。 * 農業革命以後、サピエンスの社会はしだいにおおきく複雑になり、みずしらずの膨大な数の人どうしが効果的に協力できるようになります。 この人工的な本能のネットワークのことを「文化」といいます。 どの文化にも、典型的な信念や規範・価値観がありますが、それらはたえず変化しています。 文化は、環境の変化に対応してかわったり、近隣の文化との交流をとおしてかわったり、みずからの内的ダイナミクスのせいでかわったりします。 文化は、矛盾におりあいをつけようとし、この過程が変化にはずみをつけます。 文化の発展は、技術革新、経済、制度、宗教の発展といった形で具体的にあらわれ、経済の発展においては貨幣の発明が決定的に重要でした。 貨幣は「最強の征服者」として、その後のサピエンスを支配していきます。 わたしたちは、赤の他人も隣人さえも信用しませんが、彼らのもっている貨幣は信用します。 貨幣は、みずしらずの人どうしのあいだに普遍的な信頼をきずきますが、親密な人間関係やコミュニティや人間の価値をこわす危険ももっています。 経済は、デリケートな「バランス芸」であるといえるでしょう。 そしてついに帝国が出現します。 帝国は、みずからの基本的な構造もアイデンティティもかえることなく、異国民や異国領をつぎからつぎへとのみこんで消化していきます。 多様な民族集団と生態圏を単一の政治的傘下に統一し、サピエンスと地球のおおくの部分を融合させていきます。 * およそ500年前になると、「科学革命」がはじまります。 科学とテクノロジーのあいだに強固な絆がむすばれたことが重要であり、今日の人々は両者を混同することがおおいです。 科学研究がなければテクノロジーの開発は不可能であり、あたらしいテクノロジーとして結実しない科学研究には意味がないとかんがえます。 また科学革命以前は、進歩というものをサピエンスはほとんど信じていませんでした。 しかし解決できないとおもっていた問題を科学が解決しはじめると、あたらしい知識を応用することで、どんな問題でも克服できるとおもいはじめ、進歩が永遠につづくと誤解しはじめました。 そして科学と産業と軍事テクノロジーがむすびつくとたちまち世界が一変します。 帝国主義と資本主義と科学と進歩が原動力になって数々の悲劇がうまれます。 たとえばタスマニアの先住民には悲惨な運命がまっていました。 ヨーロッパからの入植者たちは、もっともゆたかな土地から先住民をおいはらい、その後、のこっていた未開地までもほしがって、先住民を組織的にさがしだしては殺していきました。 先住民たちは、科学と進歩の近代世界の餌食になりました。 科学革命と帝国主義はきってもきれない関係にありました。 ヨーロッパによる1850年以降の世界支配が、軍事・産業・科学の複合体と魔法のようなテクノロジーとをおおきなよりどころとしてきたのはたしかです。 近代後期に成功した帝国は例外なく、テクノロジーの刷新を期待して科学的な研究を奨励し、兵器・医薬品・機械の開発におおくの科学者が帝国のために時間をそそぎこみます。 さらに欧米の科学者たちは、ほかのどの人種よりもヨーロッパ人はすぐれており、「劣等人種」を支配する権利をもっているとする「科学的」根拠を提供します。 帝国の生産性は爆発的に向上し、農業も、工場のような「施設」で大量生産をおこなうようになります。 動植物でさえもが機械化されます。 そして労働者が大量にうまれます。 労働者は、まったくおなじ時刻に出勤して配置につき、空腹かどうかにかかわらず誰もが一斉に昼休みをとります。 そして仕事をやりおえたときではなく、就業時間が終了したことをつげる合図があったときに全員 家にかえります。 産業革命以後、時間表と製造ラインは、サピエンスのあらゆる活動の定型になりました。 工場だけでなく、学校でも病院でも官庁でも小売店でも居酒屋でも交通機関でも、時間表がすべてを支配するようになります。 サピエンスそのものの機械化です。 これらにともない、地域コミュニティと家族が崩壊していきます。 サピエンスは本来は、親密な小規模コミュニティのなかで家族とともにくらしていました。 認知革命と農業革命がおこってもそれはかわらず、コミュニティと家族は人間社会の基本的構成要素でありつづけました。 ところが産業革命は、わずか2世紀あまりのあいだにこの基本的構成要素をバラバラに分解してのけます。 非常におおくの人々が、コミュニティと家族の崩壊を経験し、またそれらに対する関心もうしなっていきます。 サピエンスは個人になるのだ! そしてコミュニティと家族が従来はたしてきた役割の大部分を、国家や自治体あるいは市場がまかなうようになるのです。 代理母になることをもうしでた女性もすでに数人います。 ネアンデルタール人がよみがえる。 遺伝子工学あるいは生物工学の急激な発展により、こんなこともできるようになりました。 しかしこれは、ホモ・サピエンスが生命の進化に手をくわえるということであり、このようなことは地球の進化史上これまでにはなかったことです。 地球に生命が誕生して以来もっとも重大な「生物学的革命」が今まさにおころうとしています。 サピエンスの遺伝にサピエンス自身が手をくわえることももちろんできます。 受精卵を操作して、支配者や親の欲望にかなったサピエンスをつくりだすことができます。 しかしホモ・サピエンスに手をくわえすぎれば、それはもはや、ホモ・サピエンスではなくなる可能性があります。 こうして「超ホモ・サピエンス」の時代がやってきます。 * 7万年前までは、サピエンスはとるにたらない動物の一種でした。 ところが7年万年前の「認知革命」を皮切りに「農業革命」「科学革命」をへて、サピエンスの力は大幅に増大し、地球の主となり、いまや、生命の進化をあやつる「神」になろうとしています。 サピエンスは、動植物を征服し、環境を征服し、帝国をうちたて、広大なネットワークをつくりあげましたが、一方で、動植物たちの境遇は悪化の一途をたどり、環境の破壊はとりかえしのつかないところまできています。 ひるがえってサピエンスの境遇はどうでしょうか? 幸福になったのでしょうか? おどろくべき数々のことがわたしたちにはできるはずなのに、どこにむかおうとしているのかもわからず、大きな不満をつねにかかえています。 わたしたちは地球を支配するほど強力ですが、その力を本当は何につかえばよいのかわかりません。 なんだか漠然といきています。 ネアンデルタール人をよみがえらせてどうしようというのでしょうか。 あまりにも無責任です。 自分自身の快楽だけをおいもとめていて、それ以外のことには無関心になれても、決して満足できません。 「自分が何を望んでいるのかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」 ** こうして、サピエンス全史(人間の全史)を一気に概観してみると、サピエンスは優秀なはずなのに、なんだかずっこけているとおもえてきます。 非常な高学歴をもった人なのに、ポイントがなんだかくるっている人がときどきいます。 あれです。 サピエンスは、実にいろいろなことをやってきたのに、一向に心はみたされません。 心をやんでいます。 進化論的には、文明人としてはサピエンスはまったく不完全なのかもしれません。 進化のまだ過渡期にあたっており、今後、「超ホモ・サピエンス」あるいはサピエンスにとってかわる生物があらたな進化により出現するのかもしれません。 進化論・地球史的にみて、サピエンスの時代がおわり、つぎの生物の時代に代替わりするのではないかということです。 現在、地球環境は危機的状況にあります。 ここで、その各論にはいっている余裕はありませんので、サピエンスの人口増加について指摘しておきたいとおもいます。 国連の2011年版「世界人口白書」によると、2011年10月31日に世界人口は70億人に到達したとされます。 また国連の2017年版「世界人口予測」によると、地球の総人口は、現在は75億5000万人であり、2030年には85億5100万人に達し、2055年には100億人を突破するとされています。 すべての人々が、アメリカ人並みの生活をおくるとしたら、地球5個分の資源が必要になり、このままではエネルギーの枯渇は必至で、世界的な資源不足によって緊張・対立がふかまり、資源の争奪戦が勃発するのではないかと懸念されています。 人口増加はつづいており、一方で地球は有限ですから、どこかで限界がきます。 火星に移住すればいいとかんがえている人がいますが、10億人単位で移住しなければ問題は解決されず、そのようなことは不可能です。 したがって限界がくるまえに人口増加をくいとめなければなりません。 わたしの友人に、人口抑制プロジェクトに発展途上国でとりくんでいる者がいます。 一般の人々は彼をかるくみたり馬鹿にしたりしていますが、実は、地球でもっとも重要な仕事をしています。 サピエンスは何よりも、人口抑制プロジェクトにとりくまなければなりません。 あるいは地球はひとつのシステムですから、システムのバランスをとりシステムを維持するために、サピエンスの人口をへらす現象・作用がおこるかもしれません。 気候変動、大災害、大飢饉、疫病・・・。 あるいはサピエンス社会の内部の矛盾葛藤が爆発して社会システムが内部から崩壊して人口がへるかもしれません。 しかしそれらによってサピエンスがただちに絶滅するわけではありません。 人口増加がとまり人口減少期にはいるということです。 そして人口はしだいにへっていきます。 どこまでもへっていきます。 そしてサピエンスの時代はおわります。 しかし地球上の空白をうめるようにつぎの生物が進化していきます。 いずれにしても、サピエンスの人口曲線は、地球でもっとも重要な曲線ですから今後とも注目していきたいとおもいます。 そもそも人口増加は、農業革命から顕著になり、そして科学革命以後に人口爆発となりました。 そしてこれらの革命の基礎となったのが認知革命でした。 現代人は、これらの革命をひきずっていきています。 そしてやっかいなのが、科学革命で身につけた「永遠の進歩」という妄想です。 わたしたちの開発はどこまでもつづき、わたしたちは永遠に進歩し、どこまでも成長するという誤解です。 しかし地球は有限ですから永遠はありえません。 ものごとをかんがえるときには前提が必要だということがわからないと迷路にはまります。 したがって開発・進歩から循環へ、文明のタイプを転換しなければなりません。 これは、まったく容易なことではありませんが、たとえば「環太平洋文明」などに希望がみいだせます。 本書『サピエンス全史』をよめば、各論におちいることなく全体像がわかります。 サピエンスが大観でき、大観することによってはじめてわかることがたくさんあります。 各論をつみあげるのではない次元のたかい考察ができます。 読書テクニックとしては、できるだけ短時間で一気に最後までよむという方法がよいでしょう。 細部にはあまりとらわれないで。 速読法が実践できればなおよいです。

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認知革命

認知 革命

Contents• サピエンス全史における認知革命 サピエンス全史。 読みたいと思っていて、ずっと手を出せずにいた本である。 人類の誕生まで遡って、何故人類はこれほどまでに繁栄したのか、原始時代から現代にわたって歴史を追いながら、壮大なスケールで解き明かすというのが本書のテーマである。 いかにも僕好みのテーマだったので、ゆっくりと腰を落ち着かせて読みたかったのだが、なかなか時間が取れず、最近になってやっと読む機会を得た。 評判にたがわず、膨大な知識を縦横無尽に駆使して、人類の歴史を紐解く過程は抜群に面白い。 なので印象に残ったところをブログに書き記しておく。 著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏によると、我々人類は今までの歴史の中で、3つの革命を経て現代に至っていると言う。 すなわち 「認知革命」「農業革命」「科学革命」である。 今回はこの「認知革命」にテーマを絞って述べてみたい。 ホモ・サピエンスの台頭 一般的に人類は一直線に進化してきたというイメージがある。 例えば、アウストラロピテクスのようなチンパンジーに近い形態から、ネアンデルタール人のような形態を経てホモ・サピエンスに進化したという下図のようなイメージである。 実際のところ、一直線に進化したという説は正確ではなく、実は200万年前から1万3千年位前までには 複数の人類種が併存していたのだ。 自然界としては、それは珍しいことではない。 現在でも犬に様々な種がいるように、人類にも現代人の祖先であるホモサピエンスやネアンデルタール人、フローレス人等が同じ地球上に生息していた。 それが、ある時を境にホモサピエンスが他の人類種を駆逐し始める。 ホモサピエンスは他の人類種と比べて頭脳が明晰でも、腕力が強かったわけでもない。 別に特別DNAが優秀だったいうことではないのだ。 それが7万年位前から人類種の生存競争に圧倒的な強さをみせ、1万3千年前ころには、唯一の人類種として地球上に君臨することになった。 一体ホモサピエンスにどのような変化があって、他を圧倒する力をもつようになったのだろうか?それが認知革命による影響なのである。 虚構を信じる力 認知革命とは何か?それは「 虚構を信じる力」を得たということである。 とりあえず何かしらの事柄を、実在することにしておきましょうと仮定し、それを集団で信じてしまうということである。 例えば「神」。 この世に神がいると仮定し、神を崇めれば死んでも天国にいけると信じれば、それまで以上の力を出しきる可能性がでてくる。 それが宗教の原型であり、逆に言えば宗教は人々が虚構を信じる能力がないと成り立たない。 神の実存の証明はできないし、証明できない事柄を無条件で信じてもらうしかないのだ。 虚構を信じることは、現代の人間にとってあまりにも当たり前で空気を吸う程度の自然な能力だが、他の生物にはない能力である。 お金という概念も国家という概念も、その価値や概念を人類が共有しているから成り立っているだけであって、実際のところは、お金自体はただの紙切れだし、国と言ってもそういうものがあるという虚構をみんなで共有しているにすぎない。 宗教や国というと壮大な虚構だが、人類に認知革命の波が訪れた時、ちょっとした虚構が、他の人類種と大きな違いをもたらしたに違いない。 虚構を信じるというのは目で見える以外の事柄を信じられる、ということである。 例えばあそこの丘の近くに仲間が隠れているぞ、と目に見えない事柄を信じれば、戦略的に協力して敵を挟撃して打ち負かすようなことが出来る。 ウソであれ本当であれ、人々が共通認識を持てば、それは虚構として成り立つ。 うわさ話しであっても、自分たちの後ろには多くの味方がひかえている、と信じれば想像力が無限の力を引き出す。 その 虚構が人々を繋ぎ、知らない人たち同士でも協力することができた。 それに比べ、目でみるものしか信じない他の人類種はどうしてもチームが大きくならず、大多数で戦略的に動くホモ・サピエンスに全く歯が立たなかった。 他の人類種との戦闘に限らず、狩猟においても、ホモ・サピエンスの圧倒的優位性は崩れなかった。 虚構を信じれば、何十人何百人規模で見ず知らずの人たちで協力し合い、野生動物を効果的に罠にしかける、なんてことも容易に実践していただろう。 そうやって自らの縄張りを徐々に広げていき、ついには他の人類種は絶滅されるに至った。 以上がサピエンス全史で述べられている認知革命の概要である。 人間社会と虚構 3つの革命と相転移 認知革命を経た後の人類は、長い時間をかけて人類同士の争いで歴史を紡ぐことになる。 違う側面からみると、歴史とは どうやって人々に虚構を信じさせるか、 その競い合いをしてきたといっていい。 宗教や国家間の血を血で洗う歴史は、自分たちの信じている虚構をどれだけ多くの人に信じこませるか、その繰り返しであり、現代でもその争いは、かたちを変えながら継続しているのだ。 物理学では、 相転移という概念があるが、認知革命は人類における相転移だったとも言える。 相転移とは、水が氷になったり水蒸気になるように、ある系が別の相に変化することを言う。 同じ人類には違いないが、認知革命を経た後と前では、全くその質が異なるということである。 認知革命を経た後に、人類はさらに農業革命、科学革命と二段階の相転移を経ることになる。 まるでフリーザが変身するように、その形態を変化させているのだ。 いや、フリーザは姿形を変えるが、人類は姿形を変えずにその質を変化させている。 特に人の集合体である社会としてみた時、まさに相転移のごとく各革命前後で全く違う様相を呈している。 農業革命と科学革命は認知革命の土台の上に成り立っているから、いわば 人間が人間たらしめている根幹部分が虚構の共有だといっていい。 人間社会のすべては虚構である。 虚構前提で世の中が成り立っている。 言葉だって虚構の産物である。 その言語を基に貨幣だとか法律等の仕組みが構築され、人権やら道徳、規範といった概念が生みだされていったのだ。 虚構を認識する 「だからどうした、虚構であれ何であれ、それが現実として目の前にあるならば現実として対処するだけだ」と言われれば、それはその通りである。 でも虚構として認識しておく重要性は計り知れない。 世の中が虚構だということを、僕は二十歳の頃にある書物で気付かされ、パラダイムシフトの如く視点が変化したが、同時に生きるのが少し楽になった。 世の中で絶対正しいと思われていることが虚構ならば、こうしなければいけないという思い込みの呪縛から逃れられる。 逆に絶対的な真実だと思われている事柄が、確実ではなくなる可能性も常に秘めている。 意識として一縷の望みをどこかに持ち続けていられるのだ。 そんなことに思いを巡らせつつ「サピエンス全史」を読んでみた。 単なる歴史としての読み物ではなく、歴史学の視点から、人間の本質に迫り解き明かす良書である。

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