埼玉 県 氷川 神社。 埼玉県の金運・財運パワーアップ神社!おすすめ【8選】

埼玉のパワースポット!エネルギーたっぷりの神社・寺院10選

埼玉 県 氷川 神社

武蔵一宮【大宮氷川神社】とは 埼玉県さいたま市に鎮座する「氷川神社」は、 全国に約250社を超える氷川神社郡の総本社であり、武蔵国(むさしのくに)における一の宮(または三宮)とされる。 宮中の四方拝(しほうはい)で遥拝(ようはい)される一社で、他の氷川神社と区別する際は、 「大宮氷川神社」とも呼ばれる。 さいたま市の「大宮」の地名は、この社を「大いなる宮」と称えたことに由来すると言われている。 お正月三が日には、埼玉県周辺は元より、遠方からの参拝客も多く、 全国初詣参拝者数(警察調べ)は全国10位以内を誇るほどである。 関東を中心に鎮座しており、大阪府を始め関西地方では氷川神社という名前の神社はほとんど存在しない。 御祭神 須佐之男命(すさのおのみこと) 稲田姫命 (いなだひめのみこと) 大己貴命 (おおなむちのみこと) 創建 第5代孝昭天皇3年(紀元前473年)4月末の日(大宮氷川神社 社伝) 御由緒 氷川神社の氷川という社名は、 島根県の簸川郡(ひかわぐん)に由来する。 社伝によると、第五代天皇となる孝昭天皇3年(紀元前473年)に、杵築神社(きづき(現:出雲大社))よりご分霊を勧請したとされ、御祭神からも出雲との深い関係性が考えられる。 また、創建は、江戸中期まで境内に存在した 見沼の水神信仰に始まったとする説もある。 html 大宮氷川神社の御神託 厄除け・厄払い、合格祈願・学業成就、健康祈願・病気平癒、商売繁盛・千客万来、家内安全・交通安全、恋愛成就・縁結び、安産祈願・子宝・子授け、開運招福・諸願成就など 大宮氷川神社と須佐之男命 大宮一帯は川が多く、水が豊富で豊かな土地である反面、その周辺の川が幾度となく氾濫し、人々を悩ませていた。 大宮氷川神社に 須佐之男命が祀られる事となった理由については諸説あるが、 何本もの川を八岐大蛇(やまたのおろち)にたとえ、それを鎮める守り神として、神話で八岐大蛇を退治した須佐之男命を祀ったのが始まりではないかと云われ、関東の氷川神社が多摩川や元荒川(中世の荒川の主流)の流域に多いのはそのためだとされる。 bell. htm 氷川参道 「氷川参道」と呼ばれる表参道は、神社までほぼ南北一直線に伸びたおよそ2kmの道のり。 参道の大鳥居は、中山道と分かれる位置に「一の鳥居」、大宮駅が最寄りの「二の鳥居」、神社入り口の「三の鳥居」三つで、このほか、大宮区土手町の旧中山道から神社北側に至る「裏参道」にも大鳥居が立つ。 木造鳥居では国内最大級を誇る二の鳥居は、明治神宮から奉納されたもので、もともとの二ノ鳥居は「裏参道」側に移設されている。 html 氷川神社みどころとパワースポット 神池 現在のさいたま市、川口市に江戸中期まで存在した見沼と呼ばれる巨大な沼があった。 氷川神社はこの広大な沼の畔に面しており、「氷川神(ひかわのかみ)」と云う見沼の水神を祀ったことから始まったとする説があり、神池の水は、その見沼の名残とされている。 「神池」に突出した小さな半島に 「宗像神社」(むなかたじんじゃ)が鎮座し、 御祭神には「宗像三女神」である多起理比売命(たぎりひめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、田寸津比売命(たぎつひめのみこと)が祀られている。 スピリチュアリスト江原啓之氏が幽体離脱し、導かれた場所が「宗像神社」で、神託を受け龍神に遭遇し、スピリチュアルな力を得たという話しから、更に参拝客が増えたと云われる。 tokyolovers. 「蛇の池」の地中深くから湧き出る神秘的な湧水により、 この地に氷川神社が鎮座したとも伝えられ、氷川神社発祥の地といわれる場所。 元々この水源は、古来より蛍の住む地として親しまれ、大宮は、戦前に関東随一の蛍の名所として知られていた。 かつての風景を取り戻そうと、大宮氷川神社と市民団体「氷川ほたるの杜(もり)」が取り組み、これを復活させるため、「蛇の池」を整備し、平成27年(2015年)よりほたる鑑賞会を開催している。 これと同時に禁足地だった「蛇の池」が参拝可能となったのである。 goo. 409• 327• 256• 218• 102•

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埼玉県の金運・財運パワーアップ神社!おすすめ【8選】

埼玉 県 氷川 神社

2018. 16 埼玉県大宮にある氷川神社。 「武蔵国一宮」として、とても有名ですよね。 東京都・埼玉県近辺にある氷川神社の総本社です。 ふと、しばらく行っていないから参拝しようかなと思い立ち、 今まできちんと下調べなんてしたことがなかったので、 下調べもしてみよう!と、何の気なしに氷川神社について 調べてみるとちょっとびっくりすることが。 なんと、氷川神社は参道の長さが日本一!?2kmもあるらしいのです。 氷川神社は大宮駅から普通に歩いて向かうと 「二の鳥居」からの参拝になるんです! 今まではずっと二の鳥居からの参拝だったんだ。。 では「一の鳥居」はどこにあるのかと調べたところ、 大宮駅とさいたま新都心駅の中間くらいの位置にありました。 参拝するならやっぱり一の鳥居から参拝したい。 だけど、どちらの駅からも歩くには中途半端に遠い距離。。 どうしようか悩んでいたところに飛び込んできたのが 「レンタサイクル」。 調べてみると大宮駅のすぐ近くにもポートがある! ちょうど大宮に行く用事もあるし、 自転車だったら今の時期は気持ちいいに違いない。 ちょこっとだけど運動にもなる! ということで、隙間時間にレンタサイクルで 氷川神社 一の鳥居から参拝に行ってまいりました。 まずは大宮駅に降り立ちます。 向かったのは東口。 東口を出ると右手のほうにこんな建物があります。 その建物を覗いてみると。。 ありました!さいたま市コミュニティサイクル。 借り方もとても簡単でした。 自転車はこんな感じ。 とても乗りやすそうな自転車です。 誰にでも乗ってもらえるようにという配慮が感じられます。 しかも色はオレンジ。 テンションも上がります。 早速、さいたま新都心駅方面へ自転車を走らせます。 あまり通ったことのない道、人も結構いるのですが、 自転車に乗っているというだけで、なぜか気持ちいい。 歩いて行っていたら、果たしてこんな気持ちになったのだろうか。。 なんて思いながら走っていたら到着しました、一の鳥居! あっという間。 やっぱり自転車は早いです。 これが一の鳥居。 初めて来ました。 大宮駅からも、さいたま新都心駅からも少々距離があるところなので、 結構、ひっそりした感じ。 それがまたいい! ただし、車道にもなっているので車の往来が多いとまた別なのかも。。 「享保」と書いてあります。 江戸時代です。 歴史を感じますよね。 近くにはこんな広場もありました。 ここから2キロで武蔵一宮 氷川神社です。 まだ一の鳥居にたどり着いたところなのに、 少々長くなってまいりました。 続きは次回に! 今回大活躍のレンタサイクル。 詳細はこちらからどうぞ。 次回はこちら (執筆:a.

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【埼玉県】日本一参道が長い大宮氷川神社 一の鳥居からサイクリング

埼玉 県 氷川 神社

概要 [ ] ・の流域、特に旧を中心にしてに基づく氷川神社が多数分布しており、当社はその中心である。 さいたま市「」の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来する普通名詞から転じたものである。 埼玉県周辺の広域から参拝者を集め、正月三が日の初詣の参拝者数(調べ)は全国10位以内に数えられる。 特に全国的に初詣客が増加した(20年)以降は毎年200万人以上が訪れている。 神社の境内は、(中期まで存在した広大な沼)の畔に立ち、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられている。 神社の南側に広がる神池(かみいけ)は、神社の西側から涌き出た地下水が溜まったものであり、かつて見沼の一部であった。 神社に隣接する埼玉県営は、期に神社周辺の森を取得して整備したものであり、神社のある小山を見沼の入江が囲んでいた、という地形の特徴をよく保存している。 大宮の氷川神社、中川の中氷川神社(現 )、三室のは、いずれも見沼の畔にあり、かつ一直線に並んでいる。 この三氷川とかつて大宮の氷川神社境内にあった三社(男体社・女体社・簸王子社)がよく混同されるが、別のものである。 祭神 [ ] 現在の主祭神は以下の3柱。 (すさのお の みこと)• (いなだひめ の みこと)• (おおなむち の みこと) 現在の祭神は、(4年)当時の神主・角井惟臣が著した『氷川大宮縁起』に拠る。 祭神の変遷 [ ] 祭神がどの神であるかは、以下のように多くの議論がなされてきた。 中期の『』では一座として記載されている。 の東征時、須佐之男命を勧請したとする説()。 須佐之男命とする説(『大日本神祇史』)。 男体社:須佐之男命(相殿に、日本武尊、)、女体社:奇稲田姫命(相殿に天照太神宮、、、)、簸王子社:大己貴とする説(『風土記稿』)。 男体社:伊弉諾、女体社:伊弉冉、簸王子社:とする説(『大宮氷川太明神縁起之書』)。 歴史 [ ] 前史 [ ] 社伝によれば、3年4月の創建という。 「」によると、初代のは(第13代天皇)の時代にをひきつれてこの地に移住し 、祖神を祀って氏神として、当社を奉崇したという。 この一帯はが開拓した地であり、武蔵国造(无邪志国造)はと同族とされ、社名の「氷川」も出雲の(ひかわ)に由来するという説がある。 一方、氷川神社の摂社に「」がある(現在も氷川神社社殿の東隣に鎮座)。 元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、が「客人神」として祀られている。 このアラハバキ社は氷川神社のである。 現在祀られている出雲系の神は、一族とともにこの地に乗り込んできたもので 、先住の神がアラハバキとみられる。 このほか、景行天皇の皇子・が東征の際に負傷し、夢枕に現れた老人の教えに従って当社へ詣でたところ、立てるようになったという伝説が残されている。 このことから本地域を「」と称するようになったとされる。 古代 [ ] 前期に編纂された『』に「武蔵国氷川神」の名で神階授与の記載がある。 数年の間に位が上がっていることから、から崇敬されていたことが分かる。 元年()1月27日、従五位下から従五位上• 貞観5年()6月8日、正五位下• 貞観7年()12月21日、従四位下• 貞観11年()11月19日、正四位下• 2年()12月2日、正四位上 平安時代中期の『』には「武蔵国足立郡 氷川神社 名神大 月次新嘗」と記載され、に列している。 中世 [ ] 後期、武蔵国の高位の神社とされ、国司からも崇敬を受けた。 がにおいて当社で戦勝を祈願し乱を平定したことから、のに幅広く信仰され、流域に数多くの分社が建てられ、武蔵国中に広がった。 4年()にはがに命じ社殿を再建して社領3000貫を寄進、8年()には神馬神剣を奉納している。 一宮・三宮に関する議論 [ ] 氷川神社自体は「 武蔵一宮 氷川神社」の社標を掲げているが、内における氷川神社の位置付けには、と三宮の2説がある(「」も参照)。 平安時代中期の『延喜式神名帳』では氷川神社を「名神大社」と記しているものの、現在のところ、中世まで氷川神社を「一宮」とする資料は見つかっていない。 の歴史書『』には、現在のに所在する(延喜式神名帳では「小社」)を指すと思われる「多磨郡吉富に一宮」の記述があり、平安時代の内に、すでに社格の逆転があったとも考えられる。 武蔵国である東京都の(六所宮)では、に編纂された『』を基にして、武蔵国内の一宮から六宮までを「武州六大明神」として祀っており、公式に「一宮」を小野神社、「三宮」を氷川神社としている。 現在も大國魂神社の(・武蔵)の祈祷に、氷川神社の神官が「三宮」として参じている。 一方、後半に編纂されたと思われる『』は氷川神社を一宮とした。 上記を基に、室町時代以降に当社が小野神社に替わって一宮の地位を確立したとする説がある。 これとは別に「氷川女躰宮」が一宮ともされている。 近世 [ ] が関東に入ると、5年()8月に関東郡代を奉行として社頭を造営した。 にはから社地三百石が寄進されていた。 江戸初期のはの南で参道を使用していたが、この地を治めていた関東郡司が、参道を街道とすることは恐れ多いとする宿の意見を受け、5年()に西側に街道を付け替え、参道沿いの宿や家およそ40軒を新設街道沿いに移転させ、これが現在に至る大宮の町となった。 7年()3月には、阿部豊後守を奉行として社殿を建立した。 近世には男体社、女体社、簸王子社の三社に別れ、それぞれ岩井家・内倉家(のち断絶、角井家が継承して西角井家を称する)・角井家(後に東角井家を称する)がとして神主を世襲した。 三社の祭神や順位を巡る論争もあったが、(12年)三社・三社家を同格とする裁定が下った。 (4年)当時の神主・角井惟臣が著した『氷川大宮縁起』に拠り、現在の祭神が定められている。 近代以降 [ ] 元年()10月17日、の4日目には当社を武蔵国の・と定めた。 10日目には大宮にし、に関東の神社の中で最初に親祭を行った。 以来、にはの参向があり、によるがされる。 明治天皇は(明治3年)にも再度親拝され、も皇太子時代の(6年)、天皇に即位した(9年)11月に、それぞれ軍事演習視察の帰途に親拝され、(昭和42年)10月に夫妻で参拝された。 も皇太子時代の(昭和38年)9月に参拝され、(昭和62年)7月と天皇に即位した(5年)5月には夫妻で親拝されている。 明治初頭の寺院整理神社統合により、供僧観音寺は本地仏とともに下加村の満福寺(現・さいたま市日進町)へ退転した。 また、である社有林が開かれて、埼玉県で最初の近代公園「」として整備された。 (明治15年)に社殿を改造し、簸王子社と女体社を廃して男体社に三神を祀るようになり、さらに(15年)に国費で社殿・楼門等を改築し、現在の姿になった。 また、(昭和4年)9月には埼玉縣が境内に建立され、県内の戦死者2000余柱が祀られた。 招魂社は(昭和14年)3月に分離してとなり、同4月には国指定護国神社となった。 (昭和41年)にの大鳥居(第二鳥居(木造鳥居では国内最大級))が落雷によって破損したため、新たな鳥居が(昭和50年)に竣功。 落雷した鳥居は移設され、(昭和51年)に氷川神社に竣功された。 これが現在の二の鳥居で、2019年までのの前にある。 このとき、もともとの石造の二の鳥居は大宮公園との境界へ移設されていたが、で基礎が破損したため一旦撤去された。 その後、撤去した柱を新たに整備された摂社寄りの参道と公園との境界の標として再建されている。 (昭和57年)の開業を祝い、この年からが毎年5月に催されている。 境内 [ ]• 一の鳥居 に近いの(旧)から神社まで、およそ2の表参道が、ほぼ南北一直線に延びており、 氷川参道と呼ばれている。 参道上に三つの大鳥居があり、旧中山道と分かれる位置に「一の鳥居」、(旧、新道)と交差した近くに「二の鳥居」、境内入り口に「三の鳥居」がある。 参道は2kmに及ぶ南北直線だが、神社の拝殿、本殿は参道の直線から西にずれており、また南北に対して約30度傾いている。 境内に入ると、参道は左手に弧を描き、「神池」を橋で渡って拝殿に至る。 参道はを中心にした並木に覆われている。 30種類680本の木々があり、幹回りが2メートルを超える古木20本を市の天然記念物に指定している。 にはが多かったが、以降はが主体となる樹木で覆われた。 中から戦後にかけて燃料として伐採され、また参道に自動車を走らせたことから排気ガスで枯死し、汚染に強いケヤキが6割を占めるようになった。 歩行者により、根本が踏み固められて木々は弱っているため、保全活動が行われている。 2kmに及ぶ参道は3つの区間に分かれている。 旧中山道と分岐する 一の鳥居から(大宮中央通り、東口の駅前通り)までの約1000mは道幅が狭く、参道を車道として開放している。 歩道と車道は分離されており、自動車は北向きの一方通行である。 将来構想として、自動車を完全に排除して、往事の参道に再生することが考えられている。 この区間は、かつて自動車の違法駐車が後を絶たず、また一の鳥居から南大通り(4車線の大通り)まで380mは狭いながら対面通行であり、歩行者、自転車、双方向の自動車、路上駐車で混乱していた。 さいたま新都心が街開きし、参道南部を歩く人が飛躍的に増えたことから、参道再生の一環として、車道部分を通過できるだけの広さにし、残りを御影石風のブロックを敷き詰めた歩道にした。 (平成14年)に第一期(南大通りより北の450m)が完成、(平成18年)に第二期(上記の380m)が完成した。 特に第二期は自動車を一方通行に変更するため、数次に亘る社会実験を経て実現した。 (平成21年)に第三期(中央通りより南の約200m)が完成、全区間の歩車分離が完了した。 近隣の代替道路整備が行われたことから、(平成31年)より、第一期区間が自動車通行止めとなる。 大宮中央通りから県道2号までの約300mは「平成ひろば」と名づけられた公園になっている。 中央が歩行者用の広い参道であり、その周囲が公園となっている。 自動車は「平成ひろば」の両側を南北方向とも一方通行で走ることができる。 「平成ひろば」は、参道を利用していた住宅・店舗の跡地に、(平成元年)に造られた。 この住宅や店舗はもともと、敗戦後に大宮駅東口に集まっていた闇市やバラック街であり、(昭和22年)にが排除命令を出したため、警察と、氷川神社の間での取り決めにより参道の一部に移転したものだった。 その後40年にわたって生活の場となったために樹木は荒れ、往事の面影は失われた。 昭和の終りに大宮市によって参道の再生事業が進められ、住宅や店舗は下町の市営住宅へ移転した。 県道2号の北に 二の鳥居があり、神社境内の入り口である 三の鳥居までの約500mは往事の面影が残された広い参道が延びている。 中央に歩行者用の広い参道があり、東側に対面通行の自動車道がある。 参道では毎年に「十日市(とおかまち)」という祭が開催され賑わう。 正月三が日にも、多くの出店が立ち並ぶ。 参道の周辺は、二の鳥居の南側では、参道を挟んで西側が官民のビルや大型マンションが建ち並ぶ大宮の中心市街地、東側が区画された住宅地と、街並みが大きく異なっている。 神社に近い二の鳥居の北側では、勅使斎館等の行事施設や市立博物館が並ぶほかは閑静な住宅地であり、特に神社と参道の周辺は風致地区として、建築制限が課せられている。 このほか、大宮区土手町の旧中山道から神社北側に至る「裏参道」があり、こちらにも鳥居が立つ。 交差する主な道路 [ ]• 県道164号さいたま線(旧中山道)• 県道214号新方須賀さいたま線(大宮中央通り)• 県道2号さいたま線(旧国道16号、岩槻新道)(氷川神社入口交差点) 沿道の主な施設 [ ]• 氷川参道出張所• 大宮区役所・(埼玉県大宮合同庁舎跡、2019年5月7日移転)• 市民会館おおみや・山丸公園• 埼玉県自動車税事務所(旧大宮区役所別館)• さいたま市立大宮小学校• 参道交番• さいたま市立博物館• 氷川の杜文化館• 勅使斎館 主な祭事 [ ]• 月次祭 (1日)• 献詠祭 (15日)• (1月1日)• (2月節分日)• (いくわの-) (2月7日)• (2月17日)• (さとかぐら) (3月15日)• (はなしずめ-) (4月5・6・7日)• (5月9日)• (みちあえ-) (5月21日)• (ちまきの-) (6月5日)• (6月30日)• (8月1日)• (8月2日)• 10月• (ぬきほの-) (10月9日)• (さくへい-) (10月21日)• 11月• (11月23日)• 12月• (だいとう-) (12月10日)• (せいしょう-) (12月11日)• (12月31日) 国民奉祝日にはそれぞれ祭事がある。 文化財 [ ] 埼玉県指定有形文化財 [ ]• 氷川神社行幸絵巻 1巻(附 原本1巻、下絵1巻)(絵画) - 昭和39年11月17日指定。 さいたま市指定有形文化財 [ ]• 氷川神社横山大観作「秋色武蔵国」1幅(絵画) - 昭和39年1月13日指定。 氷川神社文書(古文書) - 昭和40年11月6日指定。 摂社門客人神社本殿・摂社天津神社本殿・末社御嶽神社本殿(建造物) - 平成23年3月30日指定。 さいたま市指定天然記念物 [ ]• 氷川参道の並木 - 昭和50年2月7日指定(昭和63年12月2日追加指定)。 現地情報 [ ] 所在地• 一丁目407番地 交通アクセス• または (徒歩約10分)• ・ほか (徒歩約20分) 参道の始まる一の鳥居へは、(JR東日本)が最寄駅。 (産業道路)・「堀の内」交差点から数分。 県道35号大宮公園入口交差点、県道2号氷川神社入口交差点から入ってもアクセス可能。 最寄りIC:首都高速、 周辺• 脚注 [ ] []• 概ね8位前後を推移している。 も参考• 『埼玉県の地名』()氷川神社項。 - 武蔵一宮 氷川神社(2018年7月2日午前9時36分()閲覧)• 『日本神話の形成』(塙書房)186頁、菱沼勇「武蔵の古社」(有峰書店、1972年)71-75頁、原島礼二「氷川神社」、谷川健一篇『日本の神々 神社と聖地 11関東』(白水社)。 武蔵野古社 歴史と風土7 p. 「」、『太政類典』第1編(慶応3年~明治4年)第123巻36。 (さいたま市)平成31年3月発行 第15号を参照 参考文献 [ ]• 『武蔵一宮 氷川神社略記』(神社由緒書)• 『』、にて2011年10月閲覧• 『』、にて2011年10月閲覧• 『 11 埼玉県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会 、、1988年7月1日、再版、716頁。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 武蔵国一宮とされている• 当社に由来• - 各地の氷川神社の一覧。 - 氷川神社をとする。 外部リンク [ ]• - 公式ページ• - ちょこたび埼玉(埼玉県観光課)• - 21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」.

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