オウム真理教。 「チクショー。やめろ」 オウム真理教・麻原死刑囚最後の日

オウム真理教・麻原彰晃の女たちの現在!松本知子、石井久子、飯田エリ子、山本まゆみ!

オウム真理教

概説 [ ] を筆頭に、現世人の魂を救済する「」を大義名分として、組織的に数多くの殺人事件を起こした団体である。 である(本名:松本智津夫)は、「で最終したで唯一の存在でもできるであり、その指示に忠実に従ってをすれば誰でも超能力を身に付けることができる」、などと謳い若者を中心とするを多く獲得した。 教義的にはや、さらにといった諸宗教に合わせ、1999年に世界に終末が訪れるとするの予言など、終末論が交錯していた。 麻原自身はの教えを忠実に復元したとしていたものの 、実際のところ麻原にとって都合の良いものとなっていた。 当初はを学ぶ和気藹々としたサークルに過ぎなかったが、次第に常軌を逸した行動が見え始め、信者に全財産をお布施させたり、麻原の頭髪や血、麻原の入った風呂の残り湯などの奇怪な商品を高価で販売するなどして、多額の金品を得て教団を拡大させた。 内部では奇怪な商品の売付けや過激な修行で懐疑的になって逃走を図った信者を拘束したり殺害するなどして、からの6年間に脱会の意向を示した信者のうち、判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名以上に及び、で教祖への絶対服従を強いていた。 麻原は、若いころにからにかけて急成長した宗教団体の教祖でるの著書を愛読していた。 のちのととの対談によれば、オウムの活動の最終目的は「種の入れ替え」であり、それは教団の上層部において、ある程度共有されていた。 麻原の世界観では、人類全体が自らの霊性のレベルを高め、超人類や神仙民族と呼ばれる存在に進化する「神的人間」と、物質的欲望におぼれ動物化していく「動物的人間」の2種類に大別され、現在の世界は「動物的人間」がマジョリティを占めており、他方、「神的人間」はマイノリティとして虐げられている。 この構図を転覆しようというのが、「種の入れ替え」であり、オウムでは数々の修行やイニシエーションによって、「神的人間」を創出・育成し、同時に人類の霊性進化の妨げとなる「動物的人間」を粛清する目的で、70トンのサリンを製造し、日本をサリンで壊滅させた後に「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれるユートピア国家を樹立しようという最終目標を持っていた。 「出家」や高額のを要求し信者の親族その支援者と揉め事が多く、当初より奇抜、不審な行動が目立ったため、信者の親などで構成される「」(のちに「オウム真理教家族の会」に改称)により、、、など関係官庁に対する訴えが繰り返されたが、取り上げられることなく、その結果、をはじめ、などのを含む多くの反社会的活動(詳細は「」を参照)を起こした ほか、や、、、類といったや違法薬物の生産を行っていた。 でのの惨敗もあり、最終的には、麻原に帰依しない部外者を「」により「救済」するとして、すらも実行するようになった。 その到達点と言える3月20日のは、宗教団体が平時の大都市を狙い複数箇所を強力なでを起こすという過去に類のない事件であり、比較的治安の良い戦後日本で起きたことも含めて、日本国内だけでなく、世界にも大きな衝撃を与えた(海外ではTokyo Attack等と称された)。 法人格の喪失後 [ ] (8年)1月にとしての法人格を失ったが活動を継続。 (平成12年)2月にはに伴い「オウム真理教」としては消滅した(2009年に破産手続きが終了した)。 同時に、新たな「 アレフ」が設立され、やの一部が引き継がれた。 アレフは後に「 」と改称され、また2007年(平成19年)5月にを中心とした別の「 」が、2014年(平成26年)〜2015年(平成27年)頃にAleph金沢支部の山田美砂子(ヴィサーカー師)を中心とした「 」と呼ばれる分派(自称ではない)が結成された。 また、既に目立った活動はなく崩壊したと見られているが、により「」なる組織が分派して結成されていた時期もある。 には麻原をはじめとした幹部達の死刑が執行されたが、Alephを中心に未だに麻原信仰は根強く、後継組織の施設周辺は抗議の看板が掲示されるなどしている。 2019年現在も日本のはにより後継団体の動向を監視している。 の調査では、政府、(EU)、政府、・裁判所、最高裁判所からの認定を受け、各国で活動を禁止されている。 麻原の三女は、ではオウム真理教出家者が高学歴のインテリばかりで構成されていたかのようなイメージで報道されたが、実際は一般社会に居場所を無くした構成員も多かったと語る。 例えば、普通に生きていくことに疑問を生じたり、居場所が無かったりした人や、被害者、被児、、、などのが少なからずいたという。 名称 [ ] 「オウム(AUM)」とは、語またはの呪文「」でもあり、「ア・ウ・ム」の3文字に分解できる。 これはの創造・維持・破壊を表しており、その意味は「すべてはである」、すなわちすべてはするものであるということを表している。 また麻原自身の解説によれば「」の意味は、やが人間が実践しなければならないものはこうであるという教えを説いたものであるが、その教えの根本であるものを「真理」と呼ぶ。 特にやの要素をアピールしたため仏教系とされることも多いが、あえて仏教を名乗らなかった理由は、「仏教」という言葉自体が釈迦死後に創作されたものであるからとしている。 また真理と密接に関係のあるものがである。 しかし、実は命名にはの私立・が関わっていたという。 目川は「松本智津夫」からの全容の調査を依頼され、その調査結果を松本に手渡した。 その際、目川があんりきょう、いんりきょう・・・と「あ」から続けていき、「 しんりきょう」に至ったという。 「 オウム」は目川の家の向かいにあったとに由来し、目川が「オームなんていいんじゃないか?」と勧めたとされる。 後に目川は松本が麻原彰晃であると知った。 時期は目川の手記では1978-1979年頃、ノンフィクションライターのおよび記者瀬口晴義の文献によれば1984年春頃とされている(詳細は「」を参照)。 高山は勢力を拡大し教団名が市の名前 にまでなるに至った天理教を自分の夢と重ねていたのではないかとする。 沿革 [ ] 前史 [ ] ヨーガ教室 [ ] 1984年(59年)、超能力開発塾「 鳳凰慶林館」を主宰していた(本名・松本智津夫)は後に「 オウム真理教」となる教室「 オウムの会」(その後「 オウム神仙の会」と改称)を始めた。 当時は超能力の獲得を目指すアットホームで明るいヨガ教室だった。 この頃、系雑誌の『』が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた。 麻原はこれらオカルト雑誌にの瞬間と称する写真を掲載したり、についての記事や、『生死を超える』『超能力秘密の開発法』などの本を執筆するなどして宣伝した。 麻原と家庭 [ ] 当時は松本家一家はに住み、貧しく家族全員で1つのを共有していた。 は中心での代りにを肉状にしたものを食べたり、の上にホットプレートを置き、「野菜」を楽しんでいた。 この船橋の家には「瞑想室」があり、宗教画が掛けられ棚にはが置かれていた。 麻原は日に1度は瞑想室にこもり修行をしていた。 棚の前にはちゃぶ台があり、麻原はそれをと呼んでいた。 「形は重要じゃない。 心が重要なんだ。 私にとっては」というのが麻原の口癖だった。 後に教団が大きくなってからも、麻原はそれを祭壇として使っていた。 当時、麻原はヨーガ教室を東京都で開いていたため、家にいることが少なかった。 たまに帰宅すると強度の弱視のためテレビにくっつくように野球中継を見ていた。 ころにはのに住み込むようになりほとんど家に帰らなくなる。 たまに麻原が帰宅すると3人の娘たちが大喜びで玄関まで走って行き、姉妹で父を奪い合うような普通の家庭であった。 次女は父の帰宅を「太陽のない世界に、太陽が来た」などと表現していた。 しかし、妻のは麻原が滅多に帰宅しないことから精神不安定であり、麻原に向かってなじるようないさかいがあり、麻原はこれにほとんど抵抗をしなかった。 3女の目には、知子が麻原の宗教を信じているようには見えなかったが、知子は麻原の著書の代筆を深夜まで行っており、後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。 麻原は子供に向かって「に刺されると痒くていやだね。 でも蚊も生きているんだよ」とか「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、一方妻の知子は蚊を平気で殺していた。 合法な宗教活動 [ ] オウム神仙の会からオウム真理教へ [ ] (昭和62年)、東京都渋谷区において、従前の「オウム神仙の会」を改称し、「オウム真理教」が設立された。 同年11月には支部も設立。 「真理教」の名前は以外には「いかにも新興宗教」と不評であり、もっと宗教色を隠さないと一般受けしないという意見もあったが、麻原は「救済活動をする為なのだから真理教にする」と拘った。 宗教化後は多額の献金を要求するようになり、ワークも増え、会員の三分の一が脱会した。 (平成元年)に東京都にとして認証された(以降の登記上の主たる事務所は東京都の新東京総本部)。 麻原はして超能力を身に付けたといい、に憧れる若者を中心に組織を急速に膨張させていく。 さらに麻原は自らをの最高神の一柱である破壊神神あるいはの怒りの神「」などのだとも説き、人を力尽くでも救済するこの神の名を利用し目的のためには手段を選ばずをも肯定する教義へと傾斜していく。 同年にはで「オウム真理教の狂気」特集がスタートし、オウム批判、オウムバッシングが始まった。 ダライ・ラマを利用した宣伝 [ ] 麻原はの日本代表であったと接触し、その助力によって、(昭和62年)2月24日ならびに(昭和63年)7月6日にとで会談した。 麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「ねえ君、今の日本の仏教を見てみたまえ。 あまりにも儀式化してしまって、仏教本来の姿を見失ってしまっているじゃないか。 これじゃあいけないよ。 このままじゃ、日本に仏教はなくなっちゃうよ。 」「君が本当の宗教を広めなさい。 君ならそれができる。 あなたはボーディ・チッタ を持っているのだから」と麻原に告げたとしてオウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。 ペマ・ギャルポはその後まもなくオウム真理教と積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても今後は麻原と関係を持たないように進言した。 と同様オウム真理教はの権威づけに多くのチベットの高僧やインドの修行者と接触し宣伝材料として利用していたが、事件後に行われたマスコミの取材に対して、オウム真理教から接触があった高僧や修行者は軒並み深い関係を否定している。 1995年4月5日来日したダライ・ラマ14世は記者会見で「(麻原と)会ったことはあるが、私の弟子ではない。 彼は宗教より組織作りに強い興味を持っているという印象が残っている。 私に会いに来る人には誰でも友人として接している。 しかし、オウム真理教の教えを承認してはいない。 私は超能力や奇跡には懐疑的だ。 仏教は、一人の指導者に信者が依存し過ぎるべきではないし、不健全だ」と語った。 この話はオウム真理教が江川紹子と出版社を相手取り損害賠償請求訴訟を行なった際の争点の一つとなったが、判決は「名誉毀損に当たらない」としてオウム真理教の請求を棄却した。 江川紹子は「多額のをしてもらえば、普通お礼はするし、多少のリップサービスをすることもある。 麻原教祖はそうした相手の反応を利用し、(中略)オウムの権威や信用を高めようとしたのではないか」と推測している。 麻原の健康不安と死への願望 [ ] 頃、人穴に総本部道場建設。 この頃より麻原は体調を崩すことが多くなり、健康面に不安を感じ始め「自分が死んだら、教団をどうするのか」あるいは「私は長くてあと5年だ」「死にたい」などと洩らすようになる。 やだと大騒ぎになったりもする。 高弟の前でも「もう死のうかな」と呟き、は「お供します」、は「困ります」、は「残って救済活動をします」と答え、妻のは「勝手にすれば」と言ったという。 3女は、この頃から「麻原のへの願望は強まった」と考えている。 者が多くなりオウム真理教が世界宗教へと変貌し救済ができるとの真剣な思いがあったが、弟子の修行が思うように進まず、通常通りの方法では人間界が救われないという否定的な認識が麻原彰晃に芽生えたと見ている。 宗教法人の認可申請 [ ] に適用される不課税、税額控除目的に、東京都に認可申請を行った。 しかし、未成年の信者を巡って家族及び被害者の会からの批判によって認証手続きが遅れる。 には麻原が信者200人を引き連れに押しかけ、抗議するという騒動を引き起こした。 この認証手続きには被害者の会の家族から依頼を受けた衆院議員の圧力に対し、教団側は『元弁護士で裁判官だった出家信者』及び『沖縄の参院議員』を利用し、認証手続きを推し進めようとしたことが麻原の第43回公判で明らかになっている。 しかし結局、不認可する理由がないことから、宗教法人認可を受けた。 衆議院議員総選挙への出馬 [ ] のでが沸き起こったことから、2月に行われるに、当初麻原はをはじめとした女性信者を出馬させる構想を立てたが、その後麻原自身が徳によって政を行い、地上に真理を広めるために(平成2年)にはを結成してへ麻原と信者24人 が集団立候補。 選挙に立候補するかどうかはオウムとしては珍しく幹部による多数決が採られた。 結果は10:2で賛成派が勝利。 反対した2人はとであった。 しかし結果は惨敗し、当時立候補者1人あたり200万円だったとして計5,000万円が没収される。 海外への進出 [ ] 麻原は自らの権威づけをかねて主要な弟子を引き連れて世界各地の宗教を巡った。 1987年には、「麻原の前世がのイムホテップ王であった」ということから、同王が埋葬されているの視察目的でツアーを行った。 後に麻原は自著において「ピラミッドはの装置だ」と述べた。 (平成元年)8月、所轄庁のよりとしての認可を得た後、日本全国各地に支部や道場を設置する一方、やなど海外にも支部を置いた。 では優秀な演奏者を集めという専属を所有、に利用した。 日本では1989年(平成元年)に約1万人程度の信者が存在していたとされる。 麻原は(平成3年)を「救済元年」とし (教団内でこれをの如く用いた) [ ]、を中心とした教団活動を活発化させた。 には、釈迦がの下でを開く瞑想に入ったとされる聖地、・のにある「」に座り、地元の高僧に下りるように言われたが従わなかったため、に引き摺り下ろされた。 麻原は日本では盛んにテレビ・番組に露出し、雑誌の取材を受けたり著名人との対談などを行った。 このほか講演会開催、や諸国・諸国などへの訪問や支援活動、物の大量刊行などを行った。 への寄贈・納本も行っており、麻原の著書を初めとするオウム真理教の出版物は現在も等に架蔵されている。 特に若い入信者の獲得を企図し、麻原が若者向け雑誌に登場したり、後半から行っていた大学のでの講演会を更に頻繁に開催するなどした(、、、等)。 1992年(平成4年)にはサリン事件後広範に知られるようになる製造などを行う会社「株式会社」を設立し、格安の販売を行うようになった。 オウム真理教放送の開始 [ ] ロシアでは、にが開始される。 の他、やで放送を行っていた。 当初は「エウアゲリオン・テス・バシレイアス」という番組名で、放送局名や放送時間、周波数等の告知すらなく、同年4月半ばからは「オウム真理教放送」と名乗る。 では「エウアンゲリオン」が正しい発音だという聴取者の指摘により、の放送分より「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」に変更された。 制作は富士山総本部で、録音テープをに空輸し放送していた。 の受信状態が悪かったためからは富士山総本部のスタジオからのに変更された。 1992年にはの英語ワールドサービスの時間枠を使用し、日本時間の5時30分と13時30分からそれぞれ約30分間、全世界に向けての英語放送を開始。 1992年からは「マヤーク」という約25分間のロシア語放送が開始された。 一連の事件がを受けたことから、ロシア当局は放送の中止を決め、時間のの放送が最後となった。 翌24日もスタジオからは番組を発信したが、ロシア側が放送中止を決めたため、電波には乗らなかった。 番組内では、麻原彰晃作曲とされる多くのが流され、「超越神力」、「エンマの数え歌」、「御国の福音」第1楽章の一部や「シャンバラ・シャンバラ」などのほか、での麻原彰晃説法の様子も放送された。 麻原の3人の弟子として、アナウンサーのカンカー・レヴァタ()、ダルマヴァジリ()、アシスタント役にはマンジュシュリー・ミトラ()が登場した。 麻原夫人の(ヤソーダラー)が、かつてはアンチ宗教だったという衝撃的な発言にはじまり、夫人の考え方が変わってゆく様子なども流された。 英語放送では麻原の英語のメッセージのほか、当初は朝のパーソナリティーをマイトレーヤ()が、昼の放送はヤソーダラー(松本知子)が受け持っていた。 1995年、オウム真理教に対する警察の強制捜査が行われ、翌23日にはこれに対する麻原自らの反論が放送された。 音質から、第4サティアンのスタジオではなく、他の場所での収録と推測されている。 1995年2月からは、麻原が「わたしは、君たちがわたしの手となり、足となり、あるいは頭となり、救済計画の手伝いをしてくれることを待っている さあ、一緒に救済計画を行なおう そして、悔いのない死を迎えようではないか」と呼びかけるメッセージを送り続けていたが、の放送の最後にもこれが放送されオウム真理教放送最後のとなった。 非合法活動 [ ] 住民によるオウム真理教追放運動。 各地で住民との摩擦が表面化し時にはヒステリックなまでにエスカレートした。 暴走の起源 [ ] (昭和63年)、が発生。 麻原は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れという神の示唆だな」とつぶやいたという。 隠蔽のため、(平成元年)にはを起こし殺人に手を染める。 坂本弁護士事件と衆議院選の裏側 [ ] 翌年の選挙戦など教団の活動の障碍になるとして、前年の11月4日、オウム批判をしていた弁護士とその一家を殺害()。 が殺害の際プルシャ(オウムのバッジ)を落としたためオウム犯行説が一時広まるが、任意の失踪の可能性があるなどとされこの頃はまだ事件性すら確定されていなかった。 そして、麻原はを結成してに出馬。 選挙の際には信者が麻原のお面やの帽子をかぶり、など教祖の歌を歌うといった派手なパフォーマンスなど奇抜な活動が注目を浴び、修行の様子なども雑誌やでされ、徐々に知名度が上がっていく。 これは違法で警視庁から警告を受けたが、運動にかり出された元信者は「もしも誰かから注意されたりしたら、『これは布教活動です』と言って逃れるように」と指示を受けていた。 また他の候補者のポスターを剥がす、汚損するなどを麻原自身が勧め、深夜に信者を使って他の候補者を中傷するビラを配布させた。 結果はこの選挙で最も得票の多かった麻原でさえ1,783票 であり、惨敗を受け麻原は「票に操作がなされた」と発言し、「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナでいく」として、やによる無差別テロ計画()を指示する。 このことからもこの選挙がオウム真理教の被害者意識をより一層高め、非合法活動を更にエスカレートさせたといわれている。 無差別テロ計画 [ ] 麻原は選挙での惨敗を受け、を実行に移し始めた。 教団内ではかねてから、現代人は死後三(地獄・餓鬼・畜生)に転生してしまうためこれを防がなくてはならない などと教え込まれていたため、信者は麻原に従って武装化に協力していった。 4月、「 ()が接近しているために、日本は沈没するが、オウムに来れば大丈夫」と宣伝し、在家信者だけでなく家族まで参加させ行き先も伝えないまま石垣島に連れて行きを開催した。 セミナーの当初の目的は、オウム真理教が計画をしていた・散布によるから、オウムの信者を守ることであった。 しかし、らはボツリヌス菌の培養に失敗をしたためテロは実行されなかった。 参加者によると、参加費は30万円であったが、会場はきちんと予約されておらず、天候が悪かったこともあり、「現在の東欧動乱は、1986年のの影響であり、今年のオースチン彗星の接近によって何かが起こる」とただそれだけの話があっただけで行事は予定を繰り上げてお開きになった。 しかしこのセミナーで多数の出家者を獲得し、選挙での惨敗後に脱会者が続出した教団を蘇生することには成功した。 これはその後「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」と危機感を煽って信者や出家者をかき集める方法の原点になった。 波野村の攻防 [ ] (平成2年)5月、の一環として(現在の)に進出するが、地元住民の激しい反対運動に会う。 波野村進出の目的のひとつは武装化拠点の確保であった。 しかし村民はオウムの進出に反発し、反対運動が激化した。 村の反対運動の背景には、村長派と反村長派との対立があったともされる。 またなども扇動され激しい攻防があった。 そして1990年10月22日、オウム真理教波野村の土地売買に関するでを受け、、、、、など教団幹部が続々と逮捕された。 しかしオウムは熊本県警内の信者から情報を入手しており、強制捜査も1週間延期されていたものだったので、武装化設備を隠蔽することができた。 後の、結局波野村はオウムが5000万円 で手に入れたを和解金という形式で9億2000万円 で買い戻すことで合意、オウムの大きな資金源となった。 武装化の中断、妄想・幻聴の出現 [ ] 国土法違反事件の影響もあり、(平成3年)〜(平成4年)はプラント計画や開発などの教団武装化を中断、テレビや雑誌への出演や文化活動などに重点を置いた「マハーヤーナ」路線への転換を図った。 だが1992年頃より、「から攻撃を受けている 」などといった麻原の、が現れ始める。 「大神の示唆では仕方ないな」とつぶやき、「内なる声」が自らの進みたい道とは違うことに苦しみ始め「いっそ死んでしまいたい」と言ったのを3女麗華が聞いている。 麗華は麻原をなどのに罹患していたのではないかと推測している。 教団の再武装化 [ ] 「」も参照 (平成5年)前後から再び麻原は教団武装化の「ヴァジラヤーナ」路線を再開。 武力を保有するため、を乗っ取りの生産を試みたり()、の研究を行うなどの開発を進めた。 以降は麻原が等を除くに登場することはなくなり、国家転覆を狙った凶悪犯罪の計画・実行に傾斜してゆく。 この中で、、らの手によってなどの合成に成功。 1993年より、これを利用した、を起こし、敵対者の暗殺を試みた。 さらに第7においてサリン70トンの大量生産を目指した()。 またの開発も再開し、遠藤誠一、らがを用いてなどを起こしたが、こちらは成功しなかった。 この頃には、アメリカから毒ガス攻撃を受けていると主張するようになり、車には空気清浄機を付け、ホテルでは大真面目に隙間に目張りをしていた。 ヘリコプターが通過する際には、毒ガスだと言って車に駆け込み退避するよう命じる有り様だった。 によると、このは頃に第2の食物工場からを含む煙が出た事故を、毒ガス攻撃と思い込んだことから始まったという。 洗脳の強化 [ ] 過激化とともにの強化が図られ、社会との軋轢が増すにつれ、教団内部に警察などのが潜んでいるとしきりに説かれ、信者同士が互いに監視しあい、密告するよう求められるようになる。 麻原は信者に対して「教団の秘密を漏らした者は殺す」「家に逃げ帰ったら家族もろとも殺す」「警察に逃げても、警察を破壊してでも探し出して殺す」と脅迫していたという。 教団内の締め付けも強くなり、、、などが発生した。 からオウムでは違法薬物をつかったイニシエーションを次々と実行するようになり、を使ったが在家信者に対しても盛んに行われた(LSDは麻原自身も試している)。 費用は100万円であったが、工面できない信者には大幅に割引され、5万円で受けた信者もいる。 LSDを使った「 キリストのイニシエーション」は出家信者の殆どに当たる約1200人と在家信者約200〜300人、LSDとを混ぜた「 ルドラチャクリンのイニシエーション」は在家信者約1000人が受けた。 また、によって「 ナルコ」という儀式が開発された。 「ナルコ」は、というを使い、意識が朦朧としたところで麻原に対する忠誠心を聞き出すもので、麻原はしばしば挙動のおかしい信者を見つけると林にナルコの実施を命じた。 麻原は林に、信者達の行動を監視するよう命じ、信者が自分の仕事の内容を他の信者へ話すことすら禁じていた。 [ ]林郁夫はさらに「 ニューナルコ」と呼ばれる薬物を併用した電気ショック療法を使い始め、字が書けなくなったり記憶がなくなっている信者が見つかっている。 他にも、村井秀夫により という奇妙な電極付きヘッドギアが発明され、教団の異質性を表すアイテムとなった。 洗脳は出家信者の子どもにも及び、を装着させたり、LSDを飲ませたり、オウムの教義や陰謀史観に沿った教育をしたりしており、事件後に保護されたオウムの子どもたちが口を揃えて「は正しかった、今も生きている」などと語っている光景も目撃されている。 麻原本人は言葉巧みに若い信者を説得し、 左道タントライニシエーションと称してを行っており、も行っていなかったため・に至るも数多く現れた。 省庁制発足と松本サリン事件 [ ] 、東京都内ので発足式が開かれ、これにより教団内に「科学技術省」「自治省」「厚生省」「諜報省」などといった国家を模したような省庁が設置された。 3女によれば、1994年6月に麻原の体調が悪化し、教団運営ができなくなる恐れが出たために、が敷かれたという。 各省庁の責任者や大臣が大きな権限を持つようになり、3女は、11歳にして法皇官房長官に任命される。 任命時に麻原は麗華に「お前はもう11歳だから大人だ」と言ったが麗華がふてくされていると「法皇官房は、私のことを一番に考える部署なんだ。 お前は長官だから、私の世話をしっかり頼む」と言った。 同日、オウムの土地取得を巡る裁判が行われていたにおいて、裁判の延期と実験を兼ねてサリンによるを実行。 死者8人、重軽傷者600人を出す惨事となる()。 当初はオウムではなく第一通報者のが疑われ厳しい追及が行われるなど、後にの杜撰さが指摘された。 またマスコミによる報道被害も問題になった。 戦いか破滅か [ ] (平成6年)と(平成7年)には特に多くの凶悪事件を起こす。 そのうちいくつかの事件では当初より容疑団体と目され、警察当局の監視が強化された。 オウム内ではビデオ「戦いか破滅か」や雑誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ」などで危機感を煽った。 「信徒用決意」という決意文にはこうある。 「泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない」「身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ」「丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ」「はぎとって、はぎとって、すべてを奪い尽くすぞ」。 「たとえ恨まれようと、憎まれようと、どんなことをしてでも、真理に結び付け、救済することが真の慈愛である」「救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ」「そして、まわりの縁ある人々を高い世界へするぞ」。 これらの教義は、信者の監禁事件へと発展していき、には教団は・を平然と行うようになり、、、長女拉致監禁事件といった多数の拉致監禁事件を起こし、に作られた独房や監禁用コンテナ、一日中麻原の説法テープを聞かせる部屋(ポアの間)に被害者を監禁した。 さらにが猛毒の合成に成功し、これを用いて敵対者の暗殺を計画、、、を起こした。 麻原は「もうこれからはテロしかない」 、「100人くらい変死すれば教団を非難する人がいなくなるだろう。 1週間に1人ぐらいはノルマにしよう」 、「ポアしまくるしかない」 などと語っていた。 サリン事件は、オウムである [ ] 後に「サリン事件は、オウムである」などと書かれた「に関する一考察」というが出回り、さらにオウムを追っていたジャーナリストのが何者かに毒ガス攻撃を受ける()など、オウムとの関係性が噂され始めた。 1994年11月には強制捜査接近の噂迫が教団内に流れ、サリンプラントの建設を中断するなどの騒ぎとなっていた。 そして(平成7年)、がの周辺で残留物が検出されたことを報じ、オウムへのサリン疑惑が表面化、教団は「の肥料会社が教団に向けて毒ガス攻撃をしているため残留物が発見された」と虚偽の発表をするとともに、隠蔽工作に追われることとなった。 だが麻原はので強制捜査が立ち消えになったものと考え 、、東京都内でを起こす。 この事件で教団信者の指紋が発見されたことにより、ようやくはで全国教団施設の一斉捜査を決定したのであった。 3月15日にはで自動式噴霧器が発見されたこともあり、毒ガスによる抵抗を想定して、から450着と50着を借用するとともに、3月19日には警視庁機動隊員300名と捜査一課捜査員20名がに派遣され、防護服の装着訓練を受けていた。 地下鉄サリン事件と強制捜査 [ ] しかし教団はそれを察して警察より早く動き、強制捜査を遅らせるためにを決行。 13人の死者と数千人の負傷者が発生する大惨事となった。 ただし、唯一地下鉄サリン事件が決定されたリムジン謀議の内容を詳細に証言しているによると、2014年2月4日の公判において「サリンをまいても、強制捜査は避けられないという結論で、議論が終わっていた。 しかし松本死刑囚は、『一か八かやってみろ』と命じた。 自分の予言を実現させるためだったと思う。 」 、2015年2月20日の高橋克也の公判において「『宗教戦争が起こる』とする麻原の予言を成就させるために、事件を起こしたと思った」と証言しており、自身の「」の予言を成就させるためという説もある。 いずれにせよ強制捜査延期には至らず、事件2日後のには、(現・)を中心とした教団本部施設への一斉捜索が行なわれ、等の製造設備、設備、散布のための、衰弱状態の信者50人以上等が見つかり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。 以降、同事件や以前の事件への容疑で教団の幹部クラスの信者が続々とされた。 強制捜査の際、どこの現場でも「捜索令状をじっくり読む」「立会人を多数要求する」「警察官の動きをビデオや写真に撮る」という光景が見られた。 また報道陣に対してもしつこくカメラを向け、突然の捜索に驚き慌てる様子は全くなく、事前に準備され訓練された行動のようであった。 実際に弁護士で信者のから「絶対に警察の手に渡ってはいけない違法なものに限り持ち出し、露骨な持ち出しをしないように」「令状呈示のメモ及び録音で時間を稼ぎ、私服警察官に対しては警察手帳の呈示を求める」「水際で相手を嫌にさせて、捜索意欲をなくさせる」「排除等の暴行に及んで来たらビデオで記録化する」「施設の電源を落とす」「内鍵をして立て篭る」「勝手に触ると修法が台なしになると主張する、ほとんどのものを修法されているとする」という通達と、警察との想定問答が極秘に出されていた。 もちろんこれは刑法104条の証拠隠滅罪に該当する。 オウムの犯罪行為は一部の信者以外には秘密であったうえ、「オウムは米軍に毒ガス攻撃されている被害者」「不殺生戒を守り虫も殺さぬオウム信徒が殺人をするはずがない」と教わっていたため、事件を陰謀と考える信者の抵抗は大きかった。 強制捜査後、らがテレビに出演して釈明を続け、サリンはつくっていないなどと潔白を主張した。 一部の幹部は逃走し、方面に逃げた、らのグループはから捜査撹乱を指示され、4月から5月にかけて、を起こした。 また、そのは1995年4月23日に東京南青山総本部前に集まった報道陣を前にして刺殺された()。 などオウムに関するデマも飛び交った。 1995年(平成7年)には再び、の応援を得て付近住民を避難させた上で、を入れたを持つ捜査員を先頭に、の教団施設の捜索を開始。 第6サティアン内の隠し部屋に現金960万円と共に潜んでいたこと(当時40歳)が逮捕された。 また、証拠品の押収や、をつけさせられた子供たちを含む信者が確保された。 麻原逮捕後の活動 [ ] 長老部体制 [ ] はこと松本智津夫を17件の容疑でした。 1996年1月18日時点で、一連の事件に関与して逮捕された信者は403名、そのうち起訴183名。 教団は代表代行とを中心として活動を継続していたが、1995年(平成7年)10月30日により解散命令を受け 、同年12月19日のにおいて、が 、翌1996年(平成8年)1月30日のにおいてがともにされ 、宗教法人法上の解散が確定した。 1996年(平成8年)3月28日、東京地裁がに基き教団にを下し 、同年5月に確定する。 1996年(平成8年)7月11日を害するを行った危険団体としての適用を求める処分請求がより行われたが、同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認されたこと等もあって、処分請求は1997年(平成9年)1月31日によりされている。 破防法処分請求棄却後により教団も活動を継続し、「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動や、販売による資金調達などを行った。 一方、一連の事件については「教団がやったがない」とし、反省や謝罪をせず、に対するにも応じなかった。 この頃教団は、当時黎明期であったインターネット上に を開設 (、休眠宣言により事実上閉鎖。 さらに一部の熱心な信者は一般人を装って、ネット上にオウム事件を流布していた。 休眠宣言 [ ] 教団の姿勢は社会の強い反発を招き、(現・)のをきっかけに、オウムが全国的に盛り上がりを見せ、でもオウム対策法として(いわゆる「オウム新法」)を制定するに至った。 予言されたもなかったことから、教団はに「オウム真理教休眠宣言」、は「正式見解」を発表し事件を形式的に認めた。 12月1日教団正式見解 9月末の休眠宣言以来、教団として、一連のいわゆるオウム事件に対する見解を発表すべく検討を重ねてまいりました結果、本日以下の見解を発表できる ことになりました。 いわゆるオウム事件に関して、教団として現在まで裁判の進行を見守ってきた結果、当時の教団関係者の一部が事件に関わっていたことは否定できないと判断するに至りました。 長老部のメンバーを代表とする現教団の信者たちにとって、一連の事件は知らないところで起こったこととはいえ、当時の教団にあって同じ団体に属した者 として、現在裁判で明らかになりつつあることが起こったことは大変残念であるとともに、被害に遭われた方々をはじめ、ご家族の方々に対し、心からお詫びを申し上げたいと思います。 (省略) 最後になりますが、現在「」といわれる法律が成立しようとしており ます。 わたしたちの関係者が関与した事件によって、憲法で保障された基本的人権を侵害する法律が制定されようとしていることは、大変遺憾なことであり、また国民の皆さまに対して申し訳なく思う次第です。 この法律が、もし成立するとするなら、わたしたち以外の団体に決して適用されることがないよう心から願ってやみません。 — 1999年12月1日 教団代表代行 後継教団 [ ] アレフ系 [ ] Aleph [ ] Alephのロゴ 2000年(平成12年)2月4日、教団はからオウム真理教の名称の使用を禁止されたため、前年に出所したを代表として「オウム真理教」を母体とした宗教団体「 」へと名称変更した。 同年7月、「アレフ」は破産管財人の提案により、被害者への賠償に関する契約を締結したが、その支払いは遅々として進んでいない。 2003年(平成15年)には「 アーレフ」、2008年(平成20年)にはさらに「 Aleph」(アレフ)と改称した。 2010年(平成22年)3月に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表した。 ひかりの輪 [ ] 2007年(平成19年)5月にはアーレフから上祐派の信者たちが脱会、新団体「 」を結成した。 この団体は麻原の教えからの脱却を志向していると主張し、またオウム被害者支援機構との協定により被害者への賠償金支払いを行っている。 なお公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版では、その活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている。 山田らの集団 [ ] 2014年(平成26年)から2015年(平成27年)頃、Aleph金沢支部の山田美砂子(ヴィサーカー師)を中心とした「 」と呼ばれる分派が結成された。 「山田らの集団」は公安調査庁の定めた便宜上の呼称であり、正式な団体名は不明。 その他 [ ] ケロヨンクラブ [ ] 「 」は1995年(平成7年)のオウム事件後に結成された分派。 代表のが信者の死亡事件で有罪判決を受けた。 偽装脱会者 [ ] 麻原の4女によると、偽装脱会者が「第二オウム」として、、、IT、福祉などを通じ陰の布教を図っているという。 教義 [ ] 教義の概要 [ ] オウム真理教の教義は、原始ヨーガを根本とし、を土台に、 やの技法を取り入れている。 日本の仏教界が漢訳仏典中心であるのに対しあえてやチベット仏典を多用した理由は、漢訳は訳者の意図が入りすぎているからとしている。 そして、「宗教は一つの道」として、全てのはヨーガ・的の一部に含まれる、と説く。 オウムでは、世界の宗教の起源はにあり、もインド系宗教もエジプトから始まったとし、・的な宗教観を持つ。 従って、オウム真理教に於いては・・キリスト教・等ありとあらゆる宗教・を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。 結果として、キリスト教のも、ヒンズー教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。 すべての宗教および真理を体系的に自身に包括するという思想はヒンズー教の特徴であり、麻原はそれを模倣した。 具体的な修行法としては、出家修行者向けにはの七科三十七道品、在家修行者向けにはの、またヨーガやその他の技法が用いられた。 特にヨーガにはかなり傾倒しており、その理由としてもヨーガを実践していたからとする。 また、オウム真理教の教義には、に始まる近代の影響も指摘されている。 ブラヴァツキーの死後、神智学の組織であるはインドに本部を構え、ヨーガ理論とその実践による霊性の向上と霊能力開発を強調するようになったが、社会学者のや宗教学者のは、こういった面を含めて近代神智学の構えはオウム真理教の諸宗教の編集の仕方に非常によく似ており、その影響が伺われると指摘している。 たとえばオウムで用いられた「」「」は神智学の用語である。 麻原が神智学の原典から直接学んだのか、麻原が一時はまったというなどの新宗教の経典や出版物 、オカルト雑誌などから間接的に教義を構築したのかは定かではない。 麻原自身は逮捕後、こう語っている。 オウム真理教が三乗の教えについて、例えばパーリ三蔵をから翻訳しなければならないと考え、それに対して労力、人材、時間を使っている理由は、まずその根本であります、北伝では仏教といわれていますが、この上座部仏教を検討しない限り仏教は語れないと考えているからでございます。 省略 では、なぜ原始ヨーガという言葉が入ってくるかということについて説明をしなければなりません。 もともとヨーガと仏教の関係は、10世紀前後あたりから非常に密接な関係が生じました。 そして例えばヘーヴァジラ・タントラなどの場合、これは仏教徒も修行しますし、あるいは非仏教徒であるヨーガ修行者も修行するという形をとり、結局その原典の完全な復元をなすためには、ヨーガ、仏教を問わず、あらゆるインドに伝わった教えを検討し、そしてそれから原典を復元する以外にないということがあるわけです。 省略 そして、それらの教団、それらの経の完全な復元こそが、私は、この日本人に大きな最高の恩恵を与えるものと確信し、今までやってきました。 したがって、このオウム真理教の教義そのものが麻原独特の教えであると公安調査庁が断定するとするならば、公安調査庁の言っている本当の仏教とは何か。 それをここで明示すべきでございます。 — 麻原、破防法弁明において 教義の柱 [ ] 1995年当時のオウム真理教横浜支部道場 オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。 最終地点まで導く(霊的指導者)の存在• 無常に基づく正しい教義• その教義を実体験できる修行法• その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在• 修行を進めるためのイニシエーションの存在 無常 [ ] オウム真理教では、によるからの解放を説き、である・から物理的に超越することを「」、精神的に超越することを「」と呼ぶ。 「 人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という、仏教のに即した麻原の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべての現象は無常である。 よって今感じている喜びはいつか終わりが訪れた時にその喜びが失われることで苦しみを必ず生じさせる。 また今は何も無くともいつか自分にとって嫌な現象が訪れた際にも同様に必ず苦しみが生じる。 何かを欲求して得られなかった場合も同様に苦しみが生じる。 したがって無常である煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。 逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、(涅槃、煩悩破壊)である。 また、そこに留まることなく、更に全ての魂を苦悩から解放し絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによって自身も絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のマハーニルヴァーナ(大完全煩悩破壊)、あるいはマハーボーディニルヴァーナ(大到達真智完全煩悩破壊)へと至る。 シヴァ [ ] オウム真理教の主宰神は、大神である。 オウム真理教に於けるシヴァは「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナに住まう解脱者の魂の集合体であり、またマハーニルヴァーナそのものと同義としても扱われる。 当時の教団内で麻原彰晃はこのシヴァの弟子であるとともにシヴァの変化身とも称されていた。 (インド)にも同名の神があるが、これはシヴァ大神の化身の一つに過ぎないとされる。 輪廻転生 [ ] 教団ではが信じられていた。 麻原は自らの出版物を通して、、など多くのを持つと称していた。 中でもの宗教上のは直前の生であったため、その世界で麻原にしていた人たちが多くし、現在の信者になっていると教団内では信じられていた。 また、道場では「宿命通」というアニメビデオを放映し、麻原のでの前世の物語を展開していた。 の時代に彼は宰相のとして王に宗教的指導を施し、最古のピラミッドである「」を造ったとしている。 「」も参照 ポア [ ] とは、の用語で「を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。 これは実際のとは関わりなく意識の中の煩悩的要素を弱めて意識を高次元の状態に移し替えることと解釈されていた。 このポアの中で最も重要なものは死の直後、中間状態にある意識の移し替えで、これは次の生における先を決定することになる。 したがって、死の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。 オウムは人々の救済を説く一方、「=に支配され物欲に溺れ動物化する人々、三に落ちる人々」と「霊的に進化する人々」を二分し、前者を粛清しようとする思考に陥っていたとされる。 ハルマゲドン [ ] 麻原はや、・・らの予言 、(大宇宙占星学)などをミックスし、・が迫っていると盛んに主張した。 現代の人類は悪業を積んでいてこのままではに転生してしまうので、ハルマゲドンを引き起こすことも救済であると問いていた。 麻原によるとハルマゲドンの原因は、物質主義派と勢力が物質崇拝やオウム迫害を広めてが溜まっていることと、と人類の進化を求める派及び米・中・露のバックにいるものたちの計画であり、大戦はの石油危機をきっかけとしてに始まりごろ激化する。 この他、残党の第四帝国も参戦する。 日本は不況のために傾倒しに侵攻、さらにアメリカと対立しや兵器、攻撃などで蹂躙され殆どが死ぬが、「神仙民族」であるオウムが生き残り、に日本から「6人の最終解脱者」が登場、オウムは地球を救い、旧人類を淘汰してによる世界をつくるという、・的ともいえるストーリーであった。 オカルト本などが元ネタのひとつだった。 また、的な「」による精神革命論の影響も指摘される。 とはいえ麻原はを予言できず(当初はにソ連があることになっていた)1999年を迎える前から破綻していた。 麻原は逮捕後のの弁明手続において「1995年11月にの暗殺によって世界の首脳がに集まったため、これをもってハルマゲドンに集まったというプロセスは終了した」「私たちはハルマゲドンに出会うかもしれない。 出会わないかもしれない。 ハルマゲドンが起きるなどということはその中でも一言も言っていない」と予言を半ば撤回した。 疑似科学 [ ] 麻原は宗教の教えと科学の理論をごちゃ混ぜにして話すことを得意とし、からに至るまで理論で説明していた。 最先端の科学でも難しい「ビッグバン直後の世界」などのことでも、適当に誤魔化して説明できてしまうことから、多くの理系信者が惹きつけられた。 体系 [ ] オウム真理教では、修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。 ここでは4つの修行体系に分けて述べる。 ただし、が大乗を説くのに対して密教は金剛乗(ヴァジラヤーナ)を説くことは多いが、通常の仏教語の定義とは異なる。 ヒナヤーナ [ ] ヒナヤーナ(小乗)とは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。 ヒナヤーナはすべての土台である。 マハーヤーナ [ ] マハーヤーナ(大乗)とは、自己だけでなく他の多くの人たちをも高い世界に至らしめる道(衆生済度、救済)である。 教団全体はマハーヤーナと規定される。 ただし、完全なる自己の浄化(ヒナヤーナの完成)がなければ、真の意味でのマハーヤーナは成立しないともいう。 発行の機関紙の名前にも使われている。 タントラヤーナ [ ] タントラヤーナ(秘密真言乗)とは、を唱える等の密教的な修行を指す。 ただし、左道など、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。 しかし麻原はイニシエーションとして性行為を行っていた。 ヴァジラヤーナ [ ] 「」も参照 ヴァジラヤーナ(金剛乗)とは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。 グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。 『』などに見られるもので、麻原はと会ってからヴァジラヤーナを説くようになったという。 警視庁はこのヴァジラヤーナの教義はを正当化するものと解釈、オウム後継教団は現在もこの教義を根幹に据えていると見ている。 ヴァジラヤーナの教義の中には、 「五仏の法則」と呼ばれるものがあった。 の法則 - 財は善の為に使用されるなら盗んでも良い• の法則 - 輪廻に最適なタイミングであれば殺しても良い• の法則 - 恋愛感情によって真理の実践を妨害している異性は奪っても良い• の法則 - 結果のためには手段を選ばない• の法則 - 時期尚早として麻原が明かさなかったため詳細不明。 の肉などが必要なので現代では無理 これは「一般的なに反する行為・言動」が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。 「天界の法則であって人間界においてはなし得ない」という注釈のもとで説かれたこともあった。 麻原はでも同じことを言っているとした。 金剛乗とは密教のことを指す。 日本に仏教を伝来した真言宗の開祖であるの時代は、仏教は密教として扱われたこともあり、国内においては狭義の意味では金剛乗は真言宗のことを指す。 真言宗のうちもっとも重要な経典の一つである金剛頂経は仏教学的分類においてはタントラ密教経典に分類される。 金剛頂経は「金剛頂経瑜伽十八会指帰」にもある通り全十八会からなり、その内初会「真実摂経」のみが日本に伝わっているが、ニ会以降の内容では後期密教との過渡期の内容に踏み込み、上記の五仏の法則に近いと言える内容も実際に存在する。 しかしこれはがとに、既存仏教伝統に対して向けられたカウンター的な側面をもつものであり、は五仏の法則を現代で文字通り解釈すべきでなかったとしている。 法則 [ ] 世界観 [ ] この世界は、熱優位の粗雑な物質による 愛欲界、音優位の微細な物質の世界である 形状界、光優位のデータの世界である 非形状界が重なり合っているとする。 愛欲界 (現象界、) 形状界 (界、) 非形状界 (界、) 大到達神智完全煩悩破壊界 (マハー・ボーディ・ニルヴァーナ) 大完全煩悩破壊界 (マハー・) 上位非形状界 (上位コーザル) 上位形状界 (上位アストラル) 清潔居住天 中位非形状界 (中位アストラル) 美天 無量美愛欲神天 かすかな美しさの愛欲神天 美愛欲神天 光天 無量光愛欲神天 かすかな光の愛欲神天 光愛欲神天 神聖天 () 神聖代議愛欲神天 戯れ堕落天 () 第6天界() 下位形状界 (下位コーザル) 下位非形状界 (下位アストラル) 第5天界() 第4天界() 第3天界() 第2天界() 第1天界() 東 - 西 - 南 - 北 - 意識堕落天() 界 低級霊域(界) 界 界 チャクラと五大エレメント [ ] (チァクラ)と(五大エレメント)の理論を融合した形で導入している。 体の上部にあるチャクラほど高い次元につながっているとされた。 子供向けの防止説法で、麻原は以下のように語っている。 「 心臓と、おしっこするところは、どちらが上かな?もちろん、心臓のほうが頭に近いから、上だよね?体の下の部分に、心が集中するとね、その子は下の世界に生まれ変わるんだって。 やだねえ (良い子の真理 3巻) 」 元素 対応する体の構成要素 対応する(チァクラ) 色 対応する感覚器官 空 空間(肺など) ヴィシュッダ 青 聴覚 風 呼吸 アナハタ 緑 触覚 火 体温 マニプーラ 赤 視覚 水 血液などの水分 スヴァディスターナ 白 味覚 地 肉・骨 ムーラダーラ 黄 嗅覚 修行法 [ ] 当初は、専らの手法を用いた修行が行われていた。 その後、本来「秘技伝授」を意味する宗教用語であった「イニシエーション」という言葉を、オウム独自の「解脱者のエネルギーを伝授することで弟子を成就、解脱させる」という意味で使う ことで信者を増やしていった。 しかし一方で、はを煽り、前後には違法薬物や電気による様々な施策を取るようになった。 詳細は「」を参照 評価 [ ] 著名人 [ ] 教団は著名人との交流があったが、事件後は一変して多くの人物がオウム批判に転じている。 雑誌で好意的な対談を行った は事件後初めてオウム分析を週刊誌上で行い、オウムと、およびとの関係を指摘した。 はテレビ番組で麻原と対談し 、その後雑誌で再び麻原と対談 などしていたが、事件後は否定的な見解を取っている。 麻原の著書『生死を超える』の書評を書き、麻原を修行者として高く評価していた思想家のは、一般市民として大衆の原像を繰り込んでいこうとする立場から「オウムの犯罪を根底的に否定する」としながらも、なお「オウム真理教はそんなに否定すべき殺人集団ではない」「麻原は現存する世界有数の宗教家」などと述べた。 『ノストラダムスの大予言』の著者は、「(ただの新書を)まさかこんなに子どもたちが読むとは思わなかった。 なんと小学生まで読んで、そのまま信じ込んじゃった。 (略)当時の子どもたちには謝りたい」「が命令を下して、しかも権力をやっつけるんじゃなくて、自国の国民にサリンをまいたわけでしょう。 そこのところが、どう思うも何も間違いです」と答えている。 やらがかつて所属していたの教祖は、信者がオウムに流れていることに対して「あの若造め生意気な」と激怒していた。 学者 [ ]• で宗教学者のはオウム真理教にの立場から取り組み、好意的な発言をしていた が、地下鉄サリン事件が同教団の組織的犯行であることが発覚するとメディアから批判を受け、地下鉄サリン事件へのオウムの関与を否定するコメント を出したことで、、らから批判を受けた。 のちにオウムを批判する立場からの著作を出している。 同じく作家で宗教学者のもオウムに好意的な発言をし 、対談で麻原を「小学生のおもちゃ」と褒め、麻原も同意した。 地下鉄サリン事件後はメディアから批判を受け、地下鉄サリン事件についてのコメントも批判を浴びた。 島田 や などが中沢を批判する著作を発表している。 は、新宗教における「隔離型教団」の代表的な例として、、と共にオウム真理教をあげ 、他宗教団体と比較した上で、とくに、人生の価値を非常に低く見る点を徹底した教えが説かれていると主張している。 自分自身を仏教の系譜上に位置づけ、天皇への崇敬を示すことは全くないが、ハルマゲドンの危機に際し日本主導による未来を説いた。 島薗は、オウムに見られる日本中心的な思考については、首尾一貫していないとしている。 が元ネタの「」、、、などの漫画アニメ・SF・ゲーム的な要素、現実より虚構に重要性が置かれるといった点から、らによって文化との比較が行われた。 今日的な影響 [ ] オウム真理教の教義は、元となっている宗教教義を誤って解釈したもの、意味を取り違えたもの、都合主義的な拡大解釈などが少なくない。 しかし、密教を中心に原始仏教からキリスト教まで幅広い宗教から摂取して、オウム独自の体系化が図られたため、麻原ののテープや映像が、いまだにに用いられてアーレフの信者などに信奉されており、マスコミも折りにつけてそれを問題視した報道を行っている。 活動 [ ] 1989年(平成元年)3月、東京都に対し宗教法人の認証を申請。 6月、東京都は受理を保留したため、オウム真理教はを相手取り、を東京地方裁判所に提起した。 8月、東京都が宗教法人として認証。 宗教法人規則認証申請書の記載内容 [ ] 設立 1989年8月29日 主たる事務所の位置 東京都江東区亀戸 目的 主神をシヴァ神として崇拝し、創始者の松本智津夫(別名麻原彰晃)はじめ、真にシヴァ神の意思を理解し実行する者の指導のもとに、古代ヨガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事をおこない、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目的を達成するために必要な業務を行う。 代表役員は、9人の責任役員の互選により選任され、オウム真理教を代表し、その事務を総理する権限を有する。 責任役員は、信徒および大師のうちから、総代会の決議をへて、代表役員が選任する。 総代会を組織する総代は、信徒および大師のうちから、責任役員会の議決を得て、代表役員が選任する。 信徒とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、代表役員の承認を受けたもの。 大師とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、信徒を正しく指導できると、代表役員が認めたもの。 役員等• 代表役員:松本智津夫 麻原彰晃• 責任役員:松本知子、石井久子、大内早苗、上祐史浩、都澤和子、飯田エリ子、新実智光、大内利裕• 監事:満生均史、別所妙子 本部 [ ] オウム真理教教団本部はに多数点在するサティアンではなく、の教団「富士山総本部」である。 また、東京方面での布教活動の総拠点となったのが東京、の東京総本部である。 日本シャンバラ化計画 [ ] 麻原は、「」を発表した。 これによると、ゆくゆくは日本主要都市すべてに 総本部を設置しそこから日本全土に布教活動をし、いずれは自給自足のオウムの村「 ロータス・ビレッジ」を建設するというものだった。 公称信徒数 [ ] 特記なければ日本国内のみ。 1985年12月 - 15人• 1986年10月 - 35人• 1987年2月 - 600人• 1987年7月 - 1,300人• 1988年8月 - 3,000人• 1990年10月 - 5,000人• 1995年3月 - 15,400人(出家1,400人、在家14,000人)• 1997年 - 1,000人• 1999年 - 1,500人 (以降は後継団体)• 2000年 - 1,115人(教団が公安調査庁に報告した数)• 2002年 - 1,650人• 2003年2月 - 1,251人(教団が公安調査庁に報告した数)• 2005年 - 1,650人• 2008年 - 1,500人• 2009年 - 1,500人(出家450人、在家850人。 出家50人、在家150人)• 2011年 - 1,500人• 2014年 - 1,650人• 在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。 また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。 このほか名目上の信徒である「黒信徒」がいた。 黒信徒の入会金は信者の家族や知人が代わりに払っていたので一応信徒としてカウントし水増ししていた。 オウムの修行の最終的な目標は、現実世界を越えた真実に到達することで、と呼ばれる出家修行者らはその目標に到達するために、激しい修行を行った。 現実世界を超えるためには、この世界のを超越しを壊す必要がある。 の価値観に重きを置かない点で、最初からオウムは「」の思想を内包していた。 当初はこの狂気の割合が低く社会性も帯びていたものが、などやなどにより次第に崩壊をはじめ、社会性が薄れていった。 修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「」制度があり、時期によるが、1995年(平成7年)時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師(小師、愛師・菩師、愛師長補・菩師長補、愛師長・菩師長)、正悟師(正悟師、正悟師長補、正悟師長)、正大師の各ステージが存在した。 師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた(詳細は「」を参照)。 オウム真理教幹部には難関大学の卒業者も多く、教団の武装化を可能にした、、など理系幹部を多く抱えていた。 また資格を持つ、資格を持つ柴田俊郎、上田竜也、医師免許を持つや、芦田りら、佐々木正光、平田雅之、森昭文、小沢智、片平建一郎など社会的評価の高い国家資格を持つ者も多くいた。 他にも、など自衛隊員、建設会社出身で教団の不動産建設やロシアとの交渉を手がけた、元暴力団員の、のアルバム制作にも関わったことのあるデザイナーの、などを作曲したミュージシャンの、盗聴技術を持っていた、元のなど幅広い層の信者を有していた。 以下に示すのはオウム真理教の雑誌ヴァジラヤーナ・サッチャが1995年6月28日(強制捜査・オウム事件発覚後)に行った出家修行者対象のアンケートデータである。 旧・青山総本部(東京・南青山、2011年)• 年齢 平均 30. 1歳 最多 26歳(102人)• 学歴 大卒 37. 入信動機 1位 本を読んで 273人 2位 勧誘 171人 3位 出家者・修行者の姿を見て 61人 4位 教義に納得して 52人 訴訟・嫌がらせ [ ] 教団には弁護士がおり、批判に対し多数のを乱発していた。 、、など初期からオウム報道をしていたマスコミも訴訟のターゲットとなり、事件発覚までマスコミがオウムへの追及を敬遠する一因となった。 さらに敵対者や脱会活動に対しては、• ビラまき - の入るビルを25分の間にビラで埋め尽くしたこともあった• 通勤経路にオウムのポスターを貼る• 車を並べる• 無言電話• いたずら電話• による仄めかし• を流す などの嫌がらせを行い、これらはエスカレートし数々の襲撃事件に至った。 国外での活動 [ ] 1991年(平成3年)には、麻原彰晃がロシア(当時は)を初訪問した。 当時のもこの模様を伝え、で宗教劇の上演が行われたことやと会談したことを報じた。 において麻原は、当時ロシア副大統領だったやの、モスクワ市長の等、ロシア政界の上層部と接触。 翌年には後にとなるが来日し麻原から資金援助の申し出を受けるなど、オウムのロシア進出に拍車がかかった。 モスクワ放送(現・ロシアの声)の時間枠を買い取って「」(御国の福音)というラジオ番組が1992年4月1日から1995年3月23日まで放送された。 またロシアで「」というオーケストラを組織。 日本からロシアの施設での訓練ツアーがオウム関連のによって主催されたり、他にもロシアからヘリコプターなどが輸入されている。 またロシアに数ヶ所の支部を開設。 後に精神的支柱が揺らいでいた当時、ロシアの多くの若者がオウム真理教に惹きつけられた。 このためオウム事件後、実はオウムはやのスパイだというがまことしやかに語られるようになった。 しかし一連の捜査・裁判により、はが中心となり自力でつくったことが発覚した。 も、オウムの合成プロセスはで主流の方法ではなくの方法に由来していると分析している。 または「麻原は自分が一番であり、利用することはあっても配下になるタイプではない」「(事件を陰謀としたい)を助長している」と批判している。 2018年5月1日、ロシアのオウム真理教の中心人物とされるミハイル・ウスチャンツェフが逮捕された。 事業 [ ] オウム真理教は、宗教活動のかたわら、多彩なを行っていた。 業種は、事業、、、、、食品販売、飲食業、さらに、などのなど多岐におよび、さながら総合商社の観を呈していた。 数多くの法人を設立し、ワークと称して信者をほぼ無償で働かせていたため、利益率は高く、特に中心となっていたのはパソコンショップ『』の売り上げで、公安調査庁によると年間70億円以上の売り上げ(1999年当時)があり、純利益は20億円に迫る勢いであった。 出家信者200人がそこで働いていた。 95年11月からは「トライサル」「グレイスフル」「PCバンク」「PC REVO」「ソルブレインズ」「ネットバンク」と名称を変えコンピューター事業を継続した。 様々な業種に進出し集まった社員を教団に勧誘したり、オウム系企業グループ「太陽寂静同盟」を結成するという構想もあった。 コンピューター関係• マハーポーシャ・オーストラリア• マハーポーシャ・台湾• マハーポーシャ・ウクライナ• APC名古屋• CPUバンク• 真愛、ヴァンクール - コンピュータソフトウェア企画設計• ポセイドン - PCショップ「トライサル」、PC部品卸会社「ハイバーシティ」を経営。 なお、「ハイパーシティー」は遺族の住むマンションに店舗があった• オリエントエンジニアリング - PCショップ「PCバンク」「PC REVO」を経営• ナスカ - 広告代理業、情報処理サービス• オウムのお弁当屋さん• うまかっちゃん• 運命の時 出版• オウム出版• なあぷる - オウムとの関係を否定しに抗議した• 巧人館 その他• 株式会社オウム - オウム神仙の会設立の年であるのに設立。 出版業の他、ヨガ教室を開催したりしていた。 土地購入のダミー会社としても使用し、これがの一因となる• ドゥプニールミリオネール - ロシア射撃ツアーを企画。 が代表。 後に株式会社アレフとなる(を経営するアレフとは無関係)• 神聖真理発展社 - 資産隠し目的• マハーサンパッティ - 設立。 宝石屋、弁当屋、テレクラを経営• アルス総合建築事務所• アルファ企画家庭教師派遣グループ• M24 - スーパーマーケット• マイトリーバ・ベビーシッター - ベビーシッター派遣会社。 が代表• ファインウォーター - 浄水器販売• シーディーコレクター• 日本健康クラブ - 化粧品・医薬品・食料品販売• セシン - 建設業の人材派遣• ドンファン -• スーパースターアカデミー(SSA) - 教室。 が校長• ヴァジラクマーラの会 - 美人信者による修行教室• エ・ヴェーユ - 大阪に設立した能力開発塾。 派手な化粧をした女性信者で勧誘していた• 日本印度化計画 - 1994年の学園祭に出店。 の同名の曲やとの関係は不明• アクエリアスプロジェクト21、マイブーム研究会 - 東京大学• 新世紀CIRCLE - 京都大学 薬品・武器関連のダミー会社• 長谷川ケミカル - 設立。 が社長。 などの原料の調達が目的• 株式会社ベル・エポック - 設立。 社長・目的は長谷川ケミカルと同じ• ベック株式会社• 下村化学• ぶれーめん - が役員。 加工会社とのことだったが実際には細菌プラントをつくろうとしていた• オウムプロテクト - ロシアに設立した警備会社• サンプラン - 薬品を隠す倉庫を借りていた 不動産取得目的のダミー会社• ジェービーテレコム有限会社• 世界統一通商産業 - が代表 他にもの紅茶園などを経営していた。 また、信者には真面目な若者が多かったので、人手不足のにおいて重宝されており、必然的に内部情報なども持ち出していた。 教団での麻原の絶対性 [ ] 信者時代「大師」の肩書きを持っていた元信者によれば、「オウムでは、肝心なことは常に教祖が決めているんです。 教祖が知らないなんていうことはありえない」と言っている。 幹部であろうとも麻原の指示は絶対であり、の患者の入退院の判断すら麻原の指示を仰がねばできなかったという。 さらに麻原含めた上司の指示は説明無しに従わなくてはならなかったため、信者はいつの間にか事件に関わっていたということが度々あった。 は信者の証言を引用して「正悟師以上になると尊師のロボット」「形式上はピラミッド形組織だが基本的には尊師と信徒は1対1の関係」としている。 オウム年表 [ ] 一連の事件における被害者数は、死者30人・重軽傷者6000人以上。 さらに教団内に関しては判明しているだけで死者5人、行方不明者は30人以上。 一連の事件に関与した教団幹部に対し、刑事裁判では13人の、6人の判決が出されている。 逮捕者については「」を、違法薬物・爆薬・化学兵器製造については「」を参照。 1983-1988年 [ ] こと松本智津夫、東京都に、・・などを統合した(超)能力開発の指導を行う学習塾「 鳳凰慶林館」を開設 鳳凰慶林館に代わり「 オウムの会」を東京都渋谷区で創設。 当初はのであった 1984年 株式会社オウム設立 オカルト雑誌『』10月号、『』10月号に麻原の空中浮揚写真が掲載される。 麻原曰く、「あと1年ほどすれば空を自在に飛べるようになるはずです」 1985年 麻原、「幻の超古代金属は実在した!?」という記事を『ムー』11月号に掲載。 にヒヒイロカネ探しに行った際、と行動を共にしたという老人と会い、酒井が隠していたとする予言を聞く。 ヒヒイロカネ50名に読者プレゼント 1985年 麻原、「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」と啓示を受けたとする 「 オウム神仙の会」に改称 導入 1986年 麻原がヒマラヤで最終解脱したと主張する 1986年 (出家制度)発足 1986年 『超能力秘密の開発法』『生死を超える』出版 麻原、丹沢セミナーで「タントラ・ヴァジラヤーナ」「ポア」説法 1987年 大阪支部開設 1987年 とで会談 1987年 インド訪問。 麻原、この時に現地の高僧からタントラ・ヴァジラヤーナを伝授されたとする 1987年 「 オウム真理教」に改称。 本部を渋谷区から世田谷区に移し、月刊誌『マハーヤーナ』発行開始 の土地取得 1987年 支部を開設(初代支部長は) 「血のイニシエーション」開始 1988年 発表 1988年 とインドで会談 1988年 に総本部を開設 1988年。 富士山総本部に来ていた在家信者が修行中に死亡。 遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧のへ遺棄 1988年 に東京総本部を開設 1988年 によるトンネル無断工事で県を告訴 1989年 [ ] 坂本弁護士事件で一時危機を迎えるも、事件が迷宮入りしたことでオウムは生き延びた。 教団最初の殺人事件、発生 東京都に対し宗教法人の認証申請 、に麻原と信者約300人が押し寄せ、宗教法人早期認可を求め抗議 弁護士らがオウム真理教被害対策弁護団を結成 東京都に真理党の政治団体設立を届出 宗教法人認可(8月29日設立登記) が「オウム真理教の狂気」の連載をスタートし、高額なや出家者に対するの侵害などを取り上げ糾弾する。 各もこれに追随 麻原、の番組「」に出演しバッシングに対して反論 中旬 本社、、文化放送プロデューサーなどに対してビラ貼りや街宣車での嫌がらせを実施。 麻原、を構想 麻原、「」に出演。 後の被害者の会代表と論争 オウム真理教被害者の会設立 「」でオウムが取り上げられる 10月26日 、、が東京放送(現・)千代田分室を訪れ、取材内容に抗議、放送を中止するよう圧力をかける() 夜、、、が横浜法律事務所を訪問した。 10月29日に申し入れた事前の約束では青山1人の予定だった 初頭 麻原、の殺害を指示。 遺体はオウムが持ち出したため、失踪扱いに。 周囲は当初から拉致と見ていた 坂本堤弁護士に関して捜索願が提出された 坂本堤弁護士に関し公開捜査に切り替えられた 坂本堤弁護士に関し教団が記者会見し「(現場に落ちていたプルシャについて)坂本弁護士が被害者の会の親から預かったもの か、第三者 が故意に置いたと考えるのが自然」「警察からは事情聴取も受けていない」「申し入れがあれば捜査に協力する」と発表 前夜の会見を受けてか日曜日にも関わらず神奈川県警察は教団幹部に事情聴取を申し入れたが、教団側は「集中修行の期間」を理由に事情聴取を拒否 11月19日に幹部事情聴取を拒否した理由である集中修行の期間であるにもかかわらず、幹部が・に出国 議会での渡辺利光市議がオウム真理教について市当局に質問。 富士宮総本部には7月に216人が住民登録されていたが、8月に東京都杉並区宮前のある住所 に向けて一斉に転出が始まり、11月1日までに17人に減ってしまったという 教団は(当時)・で会見。 坂本堤弁護士失踪は横浜法律事務所が仕組んだ狂言だと主張。 一行にはを話せるものがおらずボン支部へも道に迷い語学が堪能な記者が見かねて教えたという 制作のテレビアニメ「」第11話にの顔写真のコマが一瞬挿入される()。 に発覚。 読売テレビは同年5月23日付で(現:)から「番組基準の遵守を問われるような放送を行い、社会問題を引き起こした」として注意のを受けた 雑誌「」()に麻原との対談が掲載される 年末 一行はニューヨークから帰国後テレビの生番組にフル出演、その後さらにインドに渡り帰国 1990年 [ ] 選挙で惨敗しいよいよ武装化に着手。 熊本に進出し住民との戦いも始まった。 麻原自身を含む幹部25名が を結成し中野文化センターにおいてへの出馬表明。 ただし演説したのは麻原だけ、他の24人は実質ホーリーネームでの出馬(選挙管理委員会に受理されなかったため、届出は本名で行い、選挙ポスターなどではホーリーネームの方を大きく掲示した)であった。 会場では麻原のお面をかぶった運動員が踊り、「ショーコーショーコー」と麻原の名前を連呼する歌を流し、集まった300人以上の信者が手拍子するという状態で、江川紹子は「選挙運動といっても、その実質は教団や教祖の宣伝」としていた 実行犯のひとり、が教団から3億円を持ち出し逃亡。 後に3億はに取り返されるが、岡崎は麻原に事件の口止め料を要求し、麻原から830万円を脅し取る がに遺体を埋めた場所を記した匿名手紙を送付。 しかし警察は遺体発見に失敗 執行。 全員落選。 これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる() 3月頃 麻原は幹部25人を集め「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったので、これからはヴァジラヤーナでいく。 現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする。 」と宣言。 ・の研究を開始。 教団の立て直しに成功。 ただし当初の目的であったは実行できず 旧に第2建設 4月〜 するが失敗 5月 の一環として熊本県波野村の土地を5000万円で入手・造成。 シャンバラ精舎とする 波野村で開始 設立 大阪府の男性が妻が子どもを連れて出家した事に対し人身保護請求を起こす(9月7日引き渡し命令) 8月16日。 熊本県がと違反で教団を 広島でを積んだオウムのトラックが乗用車に衝突し炎上、一般人1人が死亡。 運転していた信者逮捕 の教団施設がの強制捜査を受ける。 オウムは熊本県警内の信者から前もって強制捜査情報を入手し、隠蔽工作をしたので武装化は発覚しなかった。 以後しばらく武装化を中断 国土法事件でとが出頭、逮捕 国土法事件で、、が逮捕 で特集連載「揺れる山里 ルポ オウム真理教」開始(1991. 6まで) 1991年 [ ] 昨年末のと強制捜査を受けて武装化路線を中断し、文化活動にシフトした。 ダンスオペレッタ「死と転生」公演開始 に「オウム真理教会議室」を開設 〜 インド訪問 雑誌「03」6月号()に麻原との対談が掲載される 〜 インド訪問 〜 訪問 8月26日 〜 訪問。 国賓待遇 「」にパネリストとして麻原、上祐、、が出演。 、など兼ねてからオウムに共鳴的であった宗教学者も出演した。 オウムのライバルであった幹部らも出演し激論を繰り広げた。 番組途中に麻原が番組の運行が幸福の科学に有利に進められ、発言の機会も幸福の科学の方が多いなどと興奮し、大声で司会のに食ってかかり、パネラーの一人であったが「あなたは解脱者を自称するのに、どうしてそんなことで興奮するんですか」と麻原をたしなめる一幕もあった。 はオウム側が優勢であったと評しており、実際にこの番組をみてオウムに入信した信者もいた 〜 訪問 麻原、キリスト宣言。 自分を()であるとする 麻原、「」出演 雑誌「サンサーラ」10月号()に麻原との対談が掲載される 〜 インド訪問 、、、、、世田谷区民会館で麻原講演会 にロシア日本大学設立 麻原、学園祭で宗教学者と対談 雑誌「」12月15日号()に麻原との対談が掲載される 雑誌「」12月18日号()に宗教学者、フォトジャーナリストによる麻原へのインタビューが掲載される 麻原、「」に出演 1992年 [ ] 昨年同様に文化活動を行っていたが、徐々に武装化を再開。 設立 マハーサンパッティ設立 来日したのらと会談。 ロシア進出のきっかけとなる 雑誌「」2月号()に麻原とと書記長の対談が掲載される 〜 「ロシア救済ツアー」として約300名がロシア訪問。 副大統領と会談 「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」開始。 ロシアから放送 雑誌「別冊太陽 No77 輪廻転生」()に麻原と宗教学者の対談が掲載される スリランカ訪問 教団がに取得したの地主が、・の無効と土地の明け渡しを求めて教団を提訴(のきっかけ) 不動産会社「マハーポーシャ・オーストラリア」を設立、のため、直後に500,000(約3000万円)での北東700kmにあるレオノーラ地区バンジャウォーン(バンジャワン)牧場を購入した 雑誌「」()に麻原との対談が掲載される 「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」、英語放送開始 、京都教育文化センター、で麻原講演会 インド訪問。 ダライ・ラマ14世と会談 スリランカ訪問。 チャーター機の機長に機内食がまずいと言いがかりをつけトラブルに ブータン訪問。 国賓待遇。 麻原にブータン政府から「最聖」の称号を与えられたと発表 夏 研究開始。 以後、徐々に武装化を再開 を開設(初代支部長は) 麻原が、、ら幹部を含む25人の信者を連れてを訪問、バンジャウォーンでを探すため約1ヶ月滞在。 パース空港到着時、一行が塩酸などの劇薬を所持していたことが明らかになり、など2人が危険物持ち込みで罰金刑に処せられた。 豊田亨は現地に「豊田研究所」と札のついた専門の化学実験室を持っていた のBBS「オウム真理教ネット」開設 コンゴ訪問 交響楽団結成 、、、、、、で麻原講演会。 麻原、講演に同伴したら信者に「またヴァジラヤーナを始めるぞ」と発言 インド訪問。 のの下に座りトラブルに ロシアのテレビ局「 ()」でオウムの「真理探究」放送開始 京都大学で講演し「2000年までに破局が訪れる」と予言 南青山に東京総本部開設。 同時に亀戸の旧総本部は新東京総本部と改称 松本支部での説法で「93年の後半、特に10月以降急激に新しい変化」と予言 1993年 [ ] 生物兵器計画がことごとく失敗していた最中、サリンの製造に成功。 台湾訪問 台湾訪問 麻原が杉並道場での説法で「1997年にハルマゲドンがある」旨の発言 春 がにサリン製造を指示 化学薬品購入目的のダミー会社「長谷川ケミカル」設立 麻原が広島支部で説法、この頃から説法に「核兵器」「細菌兵器」「化学兵器」「軍備」という言葉が頻発するようになる 麻原が高知支部での説法で初めてサリンに言及 建設。 遺体は幹部らによって遺棄 第1次。 新東京総本部からを散布するが失敗 第2次亀戸異臭事件 、 合成に成功。 同時にサリンプラントの建設を開始()。 やに炭疽菌を散布したが失敗 化学薬品購入目的のダミー会社「ベル・エポック」設立 インド訪問 がアメリカでヘリ免許取得 麻原、教団が毒ガス攻撃を受けているとの主張を始める サリン散布に使おうとしていた農薬散布用ラジコンヘリがの操縦ミスで大破 第1次。 サリンを使用した初の事例 ロシア訪問 (パーフェクト・サルべーション・イニシエーション)開始(いわゆるヘッドギア) 第2次。 現場警備担当の創価学会員数名負傷。 実行時に防毒マスクを外したが重症 時期不明 化学薬品購入目的のダミー会社「下村化学」、ロシアへの射撃訓練ツアーを企画した「ドゥブニールミリオネール」などを設立 1994年 [ ] 化学兵器や麻薬を手に入れたオウムはいっそう過激になり、多くの事件をおこした。 中国本土訪問 サリン30キロ(青色サリン溶液)製造。 後に、で使用 18歳の少年信者が作業中に機械に挟まれ死亡 、、、、がロシア訪問。 自動小銃をカメラなどで計測 麻原、「東京にサリン70トンをぶちまくしかない」と幹部に説法 らがロシアより部品を密輸入。 密造計画を開始() 、被害者は5ヶ月間監禁され、解放後の9月2日に告訴 富士川河口付近でサリン散布実験 信者らがロシアを訪問し軍事訓練ツアー。 化学兵器探知器、原料、小銃弾などを持ち帰る 、に爆薬サンプル製造を指示 麻原、早期完成を指示 密造開始 、に製造を指示 キリストのイニシエーション、温熱療法、バルドーの悟りイニシエーション、Sチェック開始 ヘリ到着 麻原、の実行を指示 麻原の体調悪化に伴い の発足式を午前0時から都内で挙行。 22省庁を開設し大臣と次官を設置。 当時の教祖、麻原は神聖法皇に。 を法皇官房長官とする 夜、。 官舎に隣接するでサリンを噴霧し、8人を殺害。 重軽傷600人。 当初は被害者の一人であったに疑惑の目が集まった 密造開始 フランス訪問 信者が大火傷する騒動。 がを検出 未明、 第7サティアンに建設中ので薬品漏れ事故が発生。 周辺で異臭騒ぎがあり、治療が必要な人的被害はなかったものの近くのブナなどの葉が褐色に変色、教団側は否定したが地元の人たちは発生源は教団だと確信していた。 7月8日の騒動でスパイ疑惑をかけられた信者が拷問の末死亡 夕方、7月9日に続き第7サティアンで再び異臭騒ぎ が退院して「顔も名前も出して結構です」として記者会見を開き、自らの無実を訴えた ロシア訪問 が、製造を指示 密造開始 教団「雄叫び祭」を開催。 内容は早食い大会やカラオケ大会など が病院で書いた手記が文藝春秋9月号に掲載されて発表され、この後徐々に報道の扱いが変化して行く 8月 ~ 、 の合成に成功 9月 機関誌「マハーヤーナ」に代わって過激路線の「ヴァジラヤーナ・サッチャ」が創刊される 長野県警が同年7月に異臭騒ぎのあった第7サティアン付近の土を採取 10月7日に採取した第7サティアン付近の土をで調べたところ、サリンの分解物及びサリン製造の際の副生成物が検知され、松本サリン事件で現場に残留していた副生成物とほぼ一致したことが判明 強制捜査の噂が流れる。 強制捜査の噂により建設を一時中断 ニューナルコ開始 サリンプラントで異臭騒ぎ 長女監禁事件 大阪における拉致監禁事件。 元自衛官を拉致 三菱重工広島研究所侵入事件。 レーザー兵器開発などのためのデータ収集 府中運転免許試験場侵入事件。 偽免許証用のデータ収集 時期不明 怪文書が流通 1995年 [ ] 教団の崩壊の年。 逮捕者についてはを参照。 「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」中で麻原彰晃は「95年は、社会的に見ても、世界的に見ても、非常に不安定な時代を迎えるわけだが、オウム真理教にとっては逆に外的な圧力は弱められ、大発展の年になるはずである」と予言したが、これは大きく外れた が上九一色村の第7サティアン周辺で を生成した際の残留物質である有機リン系化合物が検出されたとスクープ 、これを受けてを解体しを祭った神殿に改装するよう麻原が指示。 保有していたサリンも処分された 密造していたが完成 上九一色村の教団施設にサリンを噴霧したとして、教団信徒18人が村内の肥料会社社長を殺人未遂罪で。 教団は会見を開いて毒ガス攻撃を受けているためサリン副生成物が検出された旨主張、上九一色村のオウム対策委員会副委員長で産業廃棄物処理業を営んでいた人などを殺人未遂罪で刑事告訴した旨明らかにした。 これをきっかけに教団とサリンの関係を公然と論評するマスコミも出て来た 教団信者がを用いて神戸で地震があることを「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」内で予言 発生。 1月8日の予言的中と宣伝 偽自動車免許証製造 1月4日に教団が行なった刑事告訴について、告訴された一人が麻原ら4人をとでに告訴、さらに教団と幹部4人を相手に1億円の慰謝料を求めてに民事訴訟を提起 、オウムに拉致された男性が死亡。 犯行に使われたレンタカーから教団信者の指紋検出が報じられる 「エウアンゲリオン・テス・パシレイアス」で「悔いの無い死を迎えようではないか」という麻原の音声の放送が始まる 麻原の誕生日に合わせ密造 「オウム真理教被害対策弁護団」の弁護士がと宛に「本当にオウムがサリンを撒く可能性がある」と速達で上申 麻原と信者らがに出没。 東京・構内で、オウムが設置した不審なアタッシェケース(中身は超音波振動による自動式の噴霧器)が発見され、のが出動する 麻原と信者らがのファミレスに出没 複数の教団幹部のステージ昇格を伝える尊師通達が発令される(当月付けから7月付けまで計23名) において警視庁とによるオウム真理教に対する一斉家宅捜索を3月22日に行う決定 「オウム真理教から被害者を救出する会」主催による1万人集会 にて地下鉄サリン事件の実行が決定される 脱会希望の大学生を拉致した容疑でが教団支部に家宅捜索、信者3名を逮捕 、。 東京の(現・)でサリンを撒き、13人を殺害、約6000人が重軽傷 名古屋における拉致事件。 信者の家族の高齢女性を拉致し資産を強奪 警視庁が公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でオウム真理教信徒の逮捕状を取り、 の教団施設など1都2県の施設25カ所を一斉捜査 「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」は「悔いの無い死を迎えようではないか」と「エンマの数え歌」(私はやってない~潔白だ~の歌)を放送し閉局。 オウム犯行説がある の佐々木正光医師が麻原について、、慢性、の疑い、と5つもの病名を挙げて「約1ヶ月の加療及びベッド上安静が必要であると判断する」との診断書を作成したが、5月16日に逮捕された麻原は健康上何の問題もなかった がの犯行を自供 ロシア全土における活動禁止命令 がの実行を自供 山梨県上九一色村の教団施設を一斉捜査。 第6サティアン内にて麻原彰晃こと松本智津夫を逮捕 とが法人解散請求をに申請 再捜索で坂本弁護士と妻の遺体発見 初の実刑判決(に対し懲役1年) がに基づく解散命令を決定(同年12月確定) 米上院政府活動委員会の調査小委員会がこの期間に開いた公聴会で、の調査との執筆による、100ページ余りの『報告書』が提出される 首相がオウムへの適用方針を了承 国会で改正法が成立 1996年以降 [ ] アレフ(現Aleph)への再編。 破防法第1回弁明手続 1996年。 格を喪失 1996年 破防法第2回弁明手続 1996年 麻原初公判 1996年 破防法第3回弁明手続(麻原出席) 1996年 破防法第4回弁明手続(麻原出席) 1996年 ウェブサイト「オウム破防法適用で民主主義が危ない!」開設 1996年 麻原に代わり、長男(当時3歳)と次男(当時2歳)の二人を「教祖」とした。 翌日にの容疑で逮捕 が内の潜伏先で身柄を確保された 2012年 が東京都の漫画喫茶内で身柄を確保される。 これによりオウム関連の特別指名手配者はすべて確保された 全裁判終結 2018年 オウム真理教元代表、こと及び関係者らの死刑執行 2018年 に関与した残りの死刑囚の刑が執行された。 オウム真理教を題材・モデルにした作品 [ ] 映像作品 [ ]• 「A」シリーズ - によるドキュメンタリー作品。 映像作品には『』『』がある。 - 本作にオウム真理教をモデルにした新興宗教団体「宇宙真理教」が登場する。 主人公である16歳の少女リカはその教団の信者であったが、ラストで他の信者達とともに脱会する。 - 元幹部の男性や、1980年代に入信した古参信者で、教団元幹部の女性の証言を元に、主演・で、教団初期からのオウム真理教の内部をが詳細にドキュメンタリードラマ化。 で、2012年3月31日・午前1時30分から放送された。 放送時間101分。 NHKスペシャルでは、さらに調査を進め、『未解決事件』シリーズとして、にて2012年5月26日と5月27日に3部構成で放送された。 番組放送終了の翌月、菊地直子容疑者・高橋克也容疑者の逮捕を受けて、異例の緊急再再放送が2012年6月24日に放送され、また、NHK BSプレミアムで、2012年7月16日に3部構成にて同番組が放送された。 [ ]• [ ] その他 [ ]• 煉獄の使徒 - による小説作品。 カルマ真仙教事件 - による小説作品。 「阿佐川公照」などが登場する。 - 歌詞にが登場する。 - L. ボレ による漫画。 約束された場所で - によるオウム信者・元信者へのインタビュー作品。 『』 - による小説作品。 オウム真理教をモデルにしたと思わしき新興宗教団体「神泉教」が登場し、地下鉄爆破テロを行った。 同作者の続編『』にも、名前のみが登場している。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 読みは「シヴァたいしん」。 オウム真理教におけるシヴァ大神はの神よりも更に崇高な存在とし、を超えるマハーニルヴァーナに存在する真理勝者の集合体であり、すべての根本神。 なお、当初は「真理教」とする筈だったが「しんりきょう」と発音する宗教団体()が他に存在していたための都合上、オウム神仙の会の名前から取り「オウム真理教」と命名したのではないかという考え方もできる。 立候補者が25名以上の政党には公職選挙法上と認められる利点がある。 オウム真理教の元代表は、教団の中では教祖であるの書籍以外は読んではいけないことになっていたが、の『』(1981年、平河出版社)はネタ本として半ば公になっており、教団内にふつうに存在し皆が参照していたと述べている。 また、宗教学者のによると、ポアという言葉をオウム真理教に教えたのは本書である。 近代神智学とは、西洋と東洋の 智の融合・統一を企図したものであるされ、西欧神秘主義の伝統的な諸思想をアジアの諸宗教の用語によって装飾または再解釈したものであるが、チベットの霊的達人により伝えられた秘伝仏教であり、普遍の叡智であるとされた。 これは1個だけであり法律事務所に保管されていたため可能性はない。 当初の横浜法律事務所との話の中で、教団は創価学会の名前を挙げた。 11月17日夜にキャンセルされている。 麻原彰晃が総選挙で出馬する選挙区。 麻原の予言は自作自演であることから、自白とも取ることができる。 出典 [ ]• 東京都に提出された宗教法人規則認証申請書より• , p. 139. www. moj. 2019年1月26日閲覧。 東洋経済online 2013年8月23日. 2020年6月15日閲覧。 『尊師に聞く1』AUM PRES 1992年 p. と「シリーズ人間」取材班『「あの子」がオウムに!』 p. 瀬口晴義『検証・オウム真理教事件』 p. 高山文彦 『麻原彰晃の誕生』 文藝春秋、、170-173頁• 目川重治 『目川探偵の事件簿』 データハウス、、16-18頁• カナリヤの会• 瀬口晴義『検証・オウム真理教事件』社会批評社、1996年、p. 145-152「ダライ・ラマ側近の証言」。 麻原彰晃『イニシエーション』 1987年 p. 1-2• 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録2』 p,319• 『オウム解体』宮崎学vs上祐史浩( )• 島田裕巳『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー、2001年)• 「神話 聖地訪れ「私はブッダ」」『朝日新聞』東京朝刊、1995年10月22日、p. オウム真理教公式サイト• 114-121。 500-517「麻原説法の途方もない罪」。 336-352「麻原はすべてを知っている」。 452-477「被害者の会会長を襲った怪事件」。 上祐史浩 『オウム事件 17年目の告白』 扶桑社、90頁。 『「オウム真理教」追跡2200日』pp191-199「麻原彰晃の偽装工作」。 朝日新聞 2018年7月6日• 325• 降幡賢一『オウム法廷2下』 p. 315• 降幡賢一『オウム法廷2上』 p. 332• , p. 別冊宝島229号『オウムという悪夢』• 朝日新聞 1995年5月14日付 1面• 松本麗華『止まった時計』 p. 「ドキュメント強制捜査--日本治安史に残る「史上最大の作戦」の舞台裏 地下鉄サリン殺人事件 」『』第73巻第6号、1995年5月、 170-177頁、。 NHK ONLINE. 2014年2月4日. 朝日新聞DIGITAL. 2015年2月20日. 「信徒50人 衰弱状態」 朝日新聞 1995年3月22日• 363-375「青山弁護士の証拠隠滅罪」。 『「オウム真理教」追跡2200日』pp. 9-23「序章」。 の迅速化を図るため麻原の起訴内容の内・・・麻酔薬等薬物密造に関わる4件に付いては2000年(平成12年)10月5日起訴を取り下げている• オウム真理教公式サイト(Internet Archive)• 『1544号』43頁、『890号』38頁• 『判例時報1548号』26頁、『判例タイムズ894号』43頁• 『判例時報1555号』3頁、『判例タイムズ990号』160頁• 『判例時報1558号』3頁。 『判例タイムズ907号』98頁。 「」『焦点』260号、警察庁、1999年• 江川紹子『魂の虜囚』 2000年 p. , p. ブログ• ひかりの輪公式サイト。 松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』 p. 朝日増刊『「オウム全記録」』 p. 2011年8月31日. 2015年12月22日閲覧。 『尊師に聞く1』AUM PRES 1992年 p. 公式サイト(InternetArchive)• 麻原彰晃『自己を超えて神となれ!』 p. , p. 麻原彰晃『超能力秘密の開発法』 p. 26-42• 『超越神力・パート2』()• 『』1995年11月号「オウム真理教修行体験90日」• 「」 第二章 浄土真宗円光寺• Aleph公式サイト(2011年版)「」• 、『私にとってオウムとは何だったのか』 2005年 p. 降幡賢一『オウム法廷2下』 p. 282• 大田俊寛 p. 2018年4月15日閲覧• , p. 270. オウム『ヴァジラヤーナ・サッチャno. 5』1994年 p. 48-51• 『日出づる国災い近し』1995年 p. 295-349• 2014年4月2日付• 246. オウム真理教公式サイト(Internet Archive)• , p. 153. 『「オウム真理教」追跡2200日』 p. 133• 江川紹子『魂の虜囚』 2000年 p. 314• , p. 137. , p. , p. オウム真理教公式サイト(Internet Archive)• ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャムツォ著、石濱裕美子訳『ダライ・ラマの密教入門』光文社 p. 273• 12-21• 碧海寿広「麻原彰晃の対機説法」『情報時代のオウム真理教』 p. 110• , p. 104. , p. 209. 「サンサーラ」1992年1月号• 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Report. 『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』、2011年3月。 関連項目 [ ]• (オウム新法)• 外部リンク [ ] ウィキソースに の原文があります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 公式ウェブサイト [ ]• オウム真理教主流派• オウム真理教上祐派• その他 [ ]• - ()• (dmoz)• (脱会者の集い -「カナリヤの会」公式サイト)• (NHK)「File. 02 オウム真理教」• (1814年)• (1840年)• (1857年)• (1859年)• (1869年)• (1872年)• (1873年)• (1880年)• (1882年)• (1882年)• (1892年)• (1900年)• (1905年)• (1908年)• (1916年)• (1927年)• (1930年)• (1930年)• (1932年)• (1935年)• (1941年)• (1945年)• (1946年)• (1947年)• (1948年)• (1948年)• (1949年)• (1952年)• (1952年)• (1954年)• (1955年)• (1957年)• (1958年)• (1970年)• (1970年)• (1972年)• (1984年)•

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「チクショー。やめろ」 オウム真理教・麻原死刑囚最後の日

オウム真理教

オウム真理教の一連の事件で教団の元代表 麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人は平成30年7月6日に、ほかの6人は26日に刑が執行された。 教団に対する強制捜査から23年余りがたって死刑囚全員に刑が執行された。 オウム真理教は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭った。 平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた松本元死刑囚など13人の死刑が確定した。 一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化したが、平成30年1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなった。 その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、平成30年7月6日、元代表 麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に刑が執行された。 ほかの6人は、東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていたが、7月26日午前、刑が執行された。 教団に対する強制捜査から23年余りがたち、教団の死刑囚全員に刑が執行された。 オウム真理教は、昭和59年に麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚が東京で開いたヨガと宗教のサークル、「オウム神仙の会」から始まった。 昭和62年には「オウム真理教」と名乗るようになり、神秘体験などを通じて信者を急速に増やしていき、平成元年に東京都から宗教法人として認められた。 教団は信者の財産をお布施として納めて出家するよう強く勧め、施設で共同生活を送らせていたが、信者の親との間でトラブルが相次ぐようになった。 平成元年11月、親たちの相談に応じていた坂本堤弁護士の一家の行方がわからなくなり、関与が疑われたが、教団は「関係ない」と主張した。 平成2年には松本元死刑囚らが衆議院選挙に立候補したが惨敗し、この直後からハルマゲドン、最終戦争が近づいていると強調し、信者の危機感をあおっていった。 その後、山梨県の旧上九一色村のサティアンと呼ばれる施設で急速に武装化を進め、ひそかにサリンを製造した。 平成6年6月、最初の無差別殺人となる松本サリン事件を起こし、8人が死亡、140人以上が被害を受けた。 平成7年2月には、東京の公証役場の事務長だった假谷清志さん(当時68)を拉致する事件を起こし、教団への捜査が本格化した。 そして強制捜査が迫った平成7年の3月20日、地下鉄サリン事件を起こした。 13人が死亡、負傷者はおよそ6300人にのぼる未曽有のテロ事件だった。 その2日後、全国の教団施設に一斉に警察の強制捜査が入った。 2か月後、松本元死刑囚は教団施設の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕された。 幹部らも次々と逮捕され、教団による一連の事件は終わったが、一部の信者は逃亡を続けた。 しかし平成23年にオウム真理教による一連の事件の裁判がすべて終わると、特別手配されていた3人のうち、平田信受刑者が警視庁に出頭した。 平田受刑者は、逃亡中、14年余りにわたって東大阪市のマンションで元信者の女性にかくまわれ、ほとんど外に出ずに生活していた。 出頭した理由については、裁判の中で、「松本元死刑囚以外の死刑囚に対する執行はかんべんしてほしいという気持ちがあり、自分が出頭すれば執行が延びると思った」と話した。 その出頭の半年後、17年にわたって逃亡し、教団とは無関係の男性と東京や神奈川県で暮らしていた女性の元信者が通報を受けて逮捕された。 さらに高橋克也受刑者もその12日後に逮捕された。 建設会社で働いていた高橋受刑者は女性の元信者の逮捕を知って社員寮から姿を消したが、防犯カメラに映った写真が次々に公開されて追い詰められ、東京の蒲田駅近くで逮捕された。 コインロッカーに入れていたバッグの中からは松本元死刑囚の本や写真、説法が録音されたカセットテープが見つかった。 特別手配されていた3人が逮捕され、警察の強制捜査から17年余りかかって一連の事件の捜査が終わった。 平田受刑者と高橋受刑者はその後、有罪が確定し、女性の元信者は無罪が確定している。 オウム真理教は、松本智津夫元死刑囚が平成7年に逮捕された後、「アレフ」と名前を変えた。 その後、平成20年に、「アレフ」のセミナーを撮影したとみられる動画を公安調査庁が入手したところ、オウム真理教を名乗っていたころと同じような修行の様子が写っていた。 動画では、信者とみられる人たちが、イヤホンや頭に装着する器具をつけ、松本元死刑囚の顔写真を前に、説法の音声にあわせて声を出して読み上げたり、立った状態で両手を頭上に合わせ、ひれ伏す動作を繰り返す「立位礼拝」と呼ばれる修行をしたりしている。 公安調査庁によると、こうした修行は今も行われているとみられるが、同じ動作を繰り返すことで思考が鈍るため、教団からマインドコントロールを受けやすい状態になるおそれがあるとしている。 また、公安調査庁が、平成30年3月に札幌市にある国内最大規模の拠点施設で立ち入り検査を行ったところ、松本元死刑囚の写真が祭壇に飾られていたほか、著書が書棚に並べられていることを確認したということだ。 公安調査庁は、今も「アレフ」が松本元死刑囚に帰依し、かつての危険な体質を維持していることがうかがえるとしている。 「アレフ」は活発な勧誘活動を行っていて、公安調査庁によると、信者らは、教団の名前を隠して書店などで声をかけたり、SNSやビラを使ってヨガや占いのイベントに誘ったりしているということだ。 そして、相手との関係を深める中で、地下鉄サリン事件に教団が関与したことを否定し、「すべて陰謀だ」などと言って教団への抵抗感を薄め、勧誘しているということだ。 札幌市の別の施設では、子ども向けの教材として松本元死刑囚を「そんし」や「グル」と呼ぶカルタも見つかったということだ。 公安調査庁によると、「アレフ」がことし4月から5月にかけて埼玉県や北海道などの施設で開いた「集中セミナー」にはおよそ520人が集まり、参加費として2700万円以上の資金を獲得したとみられるということだ。 一方で、教団の内部では、信者どうしの対立が深まったとみられ、平成19年に元幹部の上祐史浩代表が一部の信者と共に新しい団体「ひかりの輪」を設立した。 「ひかりの輪」は、松本元死刑囚からの脱却を掲げている。 これに対して、公安調査庁は、依然として影響力が残っているとみている。 さらに、最近になって「アレフ」から分派したとみられる「山田らの集団」が金沢市などを拠点に活動しているものとみられる。 公安調査庁によると、「アレフ」など3つの団体は、今も全国15の都道府県に34の施設を持ち、セミナーを開催するなど積極的な勧誘を続けていて、国内の信者の数は合わせておよそ1650人だということだ。 公安審査委員会は、再び事件を起こす危険性があるとして、平成30年1月、3つの団体に対して、立ち入り検査や資産の報告などを義務づける観察処分の期間を3年間更新することを決めた。 このうち「ひかりの輪」については、去年、東京地方裁判所が、前回・3年前の観察処分の更新を取り消す判決を言い渡したため、国が控訴して争っている。 公安調査庁は3つの団体に対する立ち入り検査を続けていて、死刑の執行を契機として信者が動揺したり、松本元死刑囚の神格化が進むことで団体の結束が強まったりするなど様々な事態が想定されるとして、警戒している。 上祐史浩代表 オウム真理教の元幹部で、信者同士の対立から新たに「ひかりの輪」を設立した オウム真理教から名前を変えた「アレフ」は、若い世代を中心にいまも新たな信者を増やしている。 札幌市の市街地にある4階建ての建物。 2年ほど前から「アレフ」が修行やセミナーの会場として利用している。 セミナーが開かれる時には、若い女性や子どもを連れた女性が出入りしている。 入口には防犯カメラが設置され、建物に看板などはない。 窓にはすべて目張りがされ、中の様子をうかがうことはできない。 近くの住民は「中で何をやっているのかまったくわからず不安だ」と話していた。 「アレフ」は、どのように信者を増やしているのか。 NHKは、勧誘が活発に行われている札幌市の街なかで「社会人サークルに参加しないか」と声をかけてきた信者から詳しい話を聞くことができた。 待ち合わせたのは札幌市内の喫茶店。 サークルを主催しているという2人組の女性信者は、ヨガや占いなどの活動について説明した。 サークルの会員は女性を中心におよそ100人、週末や平日の夜に会員の家に集まって仏教の勉強やヨガを行っているということだ。 女性信者は「訓練していくことで精神性を高めていくという考え方です。 人間関係が180度変わります。 みんな自分を見つめる機会を設けています」などと話した。 1時間半に及ぶ説明で、「アレフ」の名前などは一切出なかった。 「アレフ」の施設から見つかった勧誘マニュアルには、勧誘する相手に信者が1人から2人で寄り添うことや、お茶会や勉強会、それにイベントの順に参加してもらい、最後に「アレフ」を紹介して入信させるといった勧誘の流れが記載されていた。 実際に信者から勧誘を受けて入信を迫られた女性にも取材することができた。 最初、女性も「アレフ」と知らずにヨガ教室に通っていましたが、しばらくして今度は「お楽しみ会」に参加しないかと誘われたということだ。 指定された会場は、札幌市内にあるアレフの施設だった。 そこで初めて相手から「アレフ」の信者と告白され、松本元死刑囚のDVDや本を見せられたという。 この女性は「入会の書類を出されて『入りませんか?』という話になりました。 『アレフ』と初めから聞いていたら、話を聞きたくないと思うので、卑劣だと思います」と話していた。 「アレフ」 今も松本元死刑囚の教えを守る 「アレフ」が、死刑が執行された麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚の教えを忠実に守る形で今も教義を広めていることがNHKが入手した資料でわかった。 専門家は「事件への反省や犠牲者への謝罪の態度が見られない」と指摘している。 「アレフ」について、公安調査庁は、今も松本元死刑囚に帰依し、かつての危険な体質を維持していることがうかがえるとして、関連施設に立ち入り検査を行うなど警戒を続けている。 こうした中、NHKは関係者を通じて数年前に「アレフ」が会員に渡した教本3冊とCD2枚を入手した。 このうち、「新会員の願いをかなえる宝石の言葉」という教本は、「麻原彰晃です。 さあ、あなたはいよいよ、入会なさいました」という書き出しで始まる。 さらに「マスコミを中心として、大いなる悪魔がこの世の中を支配しているのである。 したがって、悪魔と対決し、悪魔を粉砕し、そしてわたしは必ず、自己の最終的な悟り・解脱を得るんだ」などと社会と敵対するような姿勢をとるよう求めている。 また、「マントラ」と呼ばれる呪文を最低30万回は唱えるよう求めているほか、「修行するぞ」、「救済するぞ」などということばが繰り返し書かれ、松本元死刑囚の教えに忠実に従うよう求めている。 一連の事件のあと、オウム真理教を脱会し、今も「アレフ」の信者と交流があるという元信者の男性は「今も松本元死刑囚への信仰を続けていて、基本的な教義は変わっていない」と話している。 これらの教本について、心理学者でオウム真理教の実態について研究している立正大学の西田公昭教授は「明らかに教祖を神格化しようとしており、麻原彰晃を信じなさいと言っているに等しい。 教団の教えはオウム真理教のころと全く変わっておらず、事件への反省や犠牲者への謝罪の態度が見られない」と指摘している。 NHKは教本の内容について「アレフ」の広報に取材を申し込んだが、これまでに回答はなかった。 公安調査庁一斉立ち入り 危険な兆候は見当たらず 麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら教団の元幹部7人の死刑が執行されたことを受けて、公安調査庁は、執行された今月6日から3日間にわたって「アレフ」など14の都道府県にある29か所の施設に、およそ370人の態勢で一斉に立ち入り検査を行った。 その結果、松本元死刑囚の写真を祭壇に飾っている施設もあったなど松本元死刑囚に帰依し、かつての危険な体質を維持している状況が伺えるとしているが、執行前と大きな変化はなく、今のところ、危険な兆候は見当たらなかったということだ。 公安調査庁は引き続き、信者が動揺したり、松本死刑囚の神格化が進むことで団体の結束が強まったりするなど、さまざまな事態が想定されるとして警戒を続けている。 アレフ居住施設内を独自に撮影 地下鉄サリン事件で駅員の夫を亡くし被害者の会代表を務めている 「13人の死刑が執行されて刑事司法としては終わったことになるが、私は司法関係者ではないので、事件が終わったという感覚はない。 後遺症を抱えている人もいて被害はまだ続いていて、つらいなと思う」 「(豊田死刑囚の)ご両親と話をしたり、死刑囚本人から手紙をもらったりしていたので、ほかの死刑囚よりも思うことがあり、面会して話したかった。 裁判で多くの被告を見てきたが、豊田死刑囚がいちばん被害者遺族のことを考えていて、『裁判での豊田死刑囚の態度に怒りはない』ということを伝えたかった」(7月26日記者会見) 「最近、体調が良くなくて、朝起きられずにいたのですが、死刑執行を知って、そういうことも忘れてしまうくらい緊張しました。 高橋克也受刑者の裁判が終わり、死刑が執行されるということは分かっていたので『その時が来たなと』それだけしか思いはありません。 ただ、夫や私の両親は亡くなっているので、執行のニュースを聞くことができなかったのは残念だっただろうと思っています」 「(1日に7人の死刑執行について)松本元死刑囚の執行は当然だと思っていますが、そのあと、死刑が執行された6人の名前を聞いたときは、動悸がしました。 今後のテロ対策や防止ということで、もっと彼らにはいろいろなことを話してほしかった。 それができなくなったという、心残りがあります」 「こんなに長く待たされ、もう何も話すことはないだろうと思っていましたが、人生の3分の1をオウム真理教によって狂わされたと考えると、辛い、悔しい思いです。 いろいろな人達がいろいろな思いでこの日を待っていたのだろうと思うと、これは1つの区切りだというふうに思います」(都内で記者会見)(7月6日) 假谷実さん 「松本サリン事件」で当初、事件への関与を疑われ、妻も犠牲になった 「オウム事件そのものの真相が明らかになっておらず、なぜここまで早急に続けて執行しなければならないのか、その経緯を国が説明すべきではないか」 「1か月間に13人すべての死刑が執行されたことは理解できない。 麻原の精神状態についても何もわからない状況で執行が行われ、通常であればあり得ない。 麻原が精神的な病気を装っているだけだったということがどこまで立証できているのか」 「死刑囚は長い間、自由を奪われていた。 死刑の執行をもって罪を償ったのだからこれで普通の人になれたのだと思う。 私としては冥福を祈るしかない。 一方で、死刑囚の遺族の人たちは辛い思いをされていると思う。 そっとしておいてあげたい」 「事件は起きてしまったことであり、もう元には戻れない。 私の中では10年前に妻が亡くなった時点で事件は終わったが、被害者の中には今も苦しんでいる人がいて、そういう意味で事件は終わっておらず真相もわからないままだ」(7月26日) 大山やいさん 東京の電機メーカーに勤務し長期出張で松本市に滞在していた次男の豊さん(当時23)を松本サリン事件で亡くした 「全員の刑が執行されたことを息子の墓前に報告します。 よどんでいた川が流れたような感覚はありますが、息子が帰ってくることはなくうれしさやこれで終わったという思いはまったくありません。 事件からこれまでに息子の生きた23年よりも長い24年という年月が流れましたが、2度とこのような事件を起こさせてはいけないので、決して風化させることのないよう伝え続けていきたい」(7月26日) 「気持ちは少し軽くなりましたが、いくら死刑が執行されても息子は帰ってきません。 複雑な思いです。 息子は23歳で亡くなっているのに、それより長い24年という年月がかかりました。 執行まで本当に長かったです」 房枝さんは6日朝、死刑執行の知らせを聞いた。 「いちばんに電話をくれた同じ松本サリン事件の遺族が、慌てた様子で、『とにかくテレビをつけて、死刑執行だよ』と教えてくれました。 その後、7人の死刑が執行されたということを知りました。 一度に執行されるとは思っていなかったので、驚いています」 「(今回は対象にならなかった6人への死刑囚について)できることなら私自身が立ち会いたいです。 早く執行してほしいという思いと、いつ執行されるか分からない苦しみを存分に味わってほしいという思いがあります。 それが亡くなった人たちへのせめてもの償いだと思います」 一方で、松本元死刑囚の死刑執行によって懸念することもあるという。 「麻原が神聖化されたり、あがめ奉られたりするような状況になれば、若い人が興味をもち、信者が増えるようなことになるのではないかと、とても心配です」(7月6日) 永岡弘行さん 信者の親などでつくる「オウム真理教家族の会」の会長として教団と対じし、信者の脱会を支援してきた 平成7年1月には信者に猛毒のVXをかけられて一時意識不明になり、今でも右半身にしびれを感じる後遺症があるという 「麻原以外の死刑囚はマインドコントロールされて事件に関わってしまった人たちであり、自分は親のような気持ちで接してきた。 それなのに今回死刑が執行されたことに腹立たしさを感じている」と話していました。 (7月26日) 「私は麻原以外の死刑囚については親になった気持ちで接してきた。 親の気持ちを考えれば、つらい。 それだけです」 また、5月のNHKのインタビューで以下のように語っていた。 「(多くの若者が教団に入信したことについて)世の中が恵まれていると自分たちに何かできることはないかとまじめに考える若者が多くなります。 オウム真理教は『君たちの力で世の中をなんとかしようじゃないか』という教えを広め、若い人たちが走ってしまいました」 また、死刑の執行については、今も教団に残る信者の間で麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚に対する信仰心が高まることを懸念しているという。 「死刑が執行されれば教団は松本元死刑囚が天界に昇るとして、信仰心をあおると思います。 より信仰心を高めて仲間を増やすのが松本元死刑囚の意向だと言って利用するのだと思います」(7月6日) 岩田キヨエさん 教団に殺害された坂本堤弁護士と同期 「オウム真理教犯罪被害者支援機構」の副理事長を務める 「わずかな期間に13人の死刑囚全員に刑が執行されることは想定していなかった。 これだけ多くの死刑執行は国際的にも批判があるかもしれないし、日本の死刑制度について議論する契機になるのではないか」(7月26日) 「坂本弁護士とは、一緒に司法修習を過ごしたが、とても優秀な弁護士だった。 家族全員が殺されてしまい、事件の首謀者である松本元死刑囚については、死刑で罪を償ってもらうしかないと思う」 「(オウム真理教の後継団体について)松本元死刑囚を信仰し、あがめ奉って、修行している人たちがいるが、現実を直視し、早く集団から抜けていただきたい。 そうしないと、また同じことがくり返される危険がある。 1200人を超える事件の被害者のために、「アレフ」と裁判を続けているが、アレフは賠償責任を果たすと言いながら、遅々として賠償が進まない」 「(1日に7人の死刑が執行について)正直、驚いた。 死刑廃止に向かっている国際社会の中で大きな批判を生むかもしれない。 執行の順番についても理由をぜひ知りたい」(7月6日) 佐藤一雄さん NPO法人「リカバリー・サポート・センター」の理事長で地下鉄サリン事件などの被害者の体や心の支援を続けている 「来るべき時が来たと受け止めている。 しかし、死刑囚にも家族がいることを考えると何とも言えない気持ちになる。 広瀬死刑囚の母親に会った時、母親は『小さいころから利発で優しい子だった』と話していて、今回死刑という話を聞くと母親の顔が思い浮かぶ」 「全員の死刑が執行されてもオウム事件は終わりではない。 事件から23年がたった今も体や心の不調に苦しむ被害者は少なくない。 死刑執行のニュースでさらに気持ちがざわつく方もいるので、今後も被害者の支援を続けていきたい」(7月26日) 「被害者のほとんどは死刑執行を望んでいたので、ひとつの区切りがついたと感じていると思う。 ただ現在も体がだるいとか目が見えづらいといった不調を訴える被害者は少なくなく、死刑が執行されたことで事件が終わったとは思ってほしくないし、事件が風化してほしくない」(7月6日) 小島周一弁護士 事件当時 坂本堤弁護士と同じ法律事務所に所属 坂本弁護士を捜す活動に取り組んだ 「麻原に語らせる努力を最後まで続けてほしかった。 オウム真理教という教団が、なぜ生まれてしまったのか、膨張していったのか、真面目に世の中のことを考えようと思っていた若者がなぜ入っていったのかということを社会としてきちんと振り返って検証することはできていないと思う」 「松本元死刑囚は、その後も一切、事件を語ることなく、謝罪の言葉1つ述べることないままに、死刑が執行された。 事件の核心部分が闇に閉ざされたままとなってしまったことを改めて残念に思う。 坂本弁護士一家事件を決して忘れることなく、弁護士業務への妨害に屈することなく、今後も、坂本弁護士の志を受け継いでゆく決意である」(法律事務所のコメント)(7月6日) オウム真理教による一連の事件を発生当初から取材 「とうとうこういう日が来てしまったという感じだ。 死刑囚だった人たちはオウム事件の生き証人でもあったと思う。 専門家が話を聞いて、この事件を研究し尽くして、そこからいろいろなものを学んでいくことが必要だったと思う」 「事件に関わった多くの人たちは本当に真面目な若者たちだった。 それが人生の意味や生きがい、あるいは自分の居場所を求めて、オウムという巨大なありじごくみたいなところにはまり込んで抜けられず、結局、自分の命も縮めることになってしまった。 本当にカルトの怖さを体現し尽くしたような問題だった。 きょう執行された人も含めて、結局は、オウムによって命を奪われたということだと思う」 「大きな区切りではあるが、これでこの事件が終わったとは思わない。 今も苦しんでいる被害者が大勢いるし、事件から学ぶべきことは学んでいかなくてはいけない」(7月26日) 「オウムが犯罪行為を活発化させていった時代は、バブルが膨らんでしぼんでいく過程と大体一致する。 日本全国に札束が飛び交って、価値観がおかしくなっていた時代とも言える。 本当の幸せとは何か、金ではなく、もっと違うものを探し求める人たちがたまたま麻原の本を手に取り、のめり込んでしまうケースがかなりあった」 「多くの若者が生きがいや居場所を探す中でオウム真理教に出会ってしまった。 人間関係に悩み、逃げ場を探して行き着いてしまった人もいた。 時代を超えて人がカルトに引き寄せられる動機は存在すると思う。 オウム事件は大きな区切りを迎えるかもしれないが、過去に変な人たちが起こした変な事件だということで終わらせるのではなく、私たちが巻き込まれないようにするにはどうしたらいいのかしっかりと分析する必要がある」(7月6日) 滝本太郎 弁護士 信者の脱会を支援する活動を続けみずからも信者から襲撃を受けた経験がある 「松本智津夫元死刑囚の死刑執行は当たり前だが、ほかの12人については非常に無益だ。 あの事件は松本元死刑囚の指示・命令に従って起きたもので、ほかの12人はマインドコントロールによる集団的な拘束力によって実行していた。 12人は生かしておいて、その後の気持ちの変化を話してもらうことが同様の事件の再発防止やオウムを潰すことに役立つはずだった」 「特に若い人はオウム事件は過去のものだと考え、風化が進んでいくだろう。 同じことが起きないように、どのような事件だったかを繰り返し伝えていくことが必要だ」(7月26日) 「松本元死刑囚の刑が執行されたと聞いてようやくこの時が来たと感じたが、ほかに6人が執行されたと聞いてぼう然とした。 彼らは松本元死刑囚の手足でしかなく、これから事件のことを何度も振り返ってなぜ自分が教団にはまってしまったのか説明してもらうという有益な仕事をしてもらいたかった」 「(教団幹部らによって車にサリンをまかれたことについて)私を殺そうとした人に事件後に会ってみたらいい人だった。 いい人がいいことをするつもりで犯罪に手を染めたという前例のない事件だったということをこれからも伝えていきたい。 事件を風化させないためにも松本元死刑囚以外は刑を執行してはならなかったのに、返す返すも残念だ」(7月6日) 宇都宮健児 弁護士 「オウム真理教犯罪被害者支援機構」の理事長を務める 支援機構は「アレフ」に対して未払いとなっている賠償金の支払いを求める訴えを起こしている 「死刑囚の中には、このような事件が再び起きることのないよう一連の事件がなぜ起きたのか社会に向けて語ってもよいという人も出てきていたので、1度に7人の死刑を執行したことについてはやや疑問が残る。 この点について法務省に説明してほしい」 「死刑執行によって事件が風化していくことがないようにすることが重要で、オウム真理教の後継団体には事件にきちんと向き合って高齢化が進む被害者や遺族に一刻も早く賠償責任を果たしてもらいたい。 社会全体としても、カルト教団のような団体が広がらないよう対策を強化する必要がある」(7月6日) 吉岡忍さん(ノンフィクション作家) オウム真理教の信者や裁判などを長年取材してきた 「なぜ、あの時代にオウムというカルト集団が生まれたのかという意味を考えなければいけない事件だった。 あのような事件を二度と繰り返さないためにはなぜ彼らがそうしたのか動機を知る必要があるが、裁判ではその部分があいまいなまま7人の一斉の死刑執行によって終わってしまったという印象だ」 「バブル経済崩壊後の日本社会が若い人たちにそれなりのきちんとした生きがいを与えられなかったのが事件の背景にあると考えている。 社会の行く先が見えないのは今も同じで、若い人は同じように迷っているようにも思う。 事件から学ぶことは多い」 「オウム事件の中心になった人たちは現在の社会の中心となっている世代と重なる。 特殊な宗教の信者が起こした特殊な事件だと決めつけず、同じ世代の若者がみずからの正義を示すために無差別殺人に及んだ理由を問い続けなければ、再びこうした事件を生み出してしまうかもしれない。 死刑の執行で一連の事件が一段落したと考えるのではなく、『なぜ』を問い続けることが求められていると思う」(7月6日).

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オウム真理教とは何だったのか

オウム真理教

目次はこちら• オウム真理教とは オウム真理教とは日本で最も恐ろしいカルト教団です。 現在は政府によって解体されたものの、後継団体として主流派(Aleph(アレフ)や山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)に分かれて活動を継続し、未だに麻原信仰に帰依しています。 そのため、警察当局の監視が続けられていますが、関連団体の中には昨今になって外れるものもあり一連の事件が風化したとも言われています。 教祖である麻原彰晃が死刑となった今では神格化され、信者数は少ないながらも勢いは衰えていないと言われています。 公安調査庁によると、後継団体全体で約13億円ほど資産があり、後継団体で最も大きな規模を誇る Aleph(アレフ)は、年間1億円ペースで資産を増やしていると報告され未だ危険性に注目されています。 オウム真理教の事件 オウム真理教の事件は今で言うテロ事件です。 世界史的に見ても、アルカイダやISILより先行し世界に影響を与えたとも言われています。 教祖である麻原彰晃(松本智津夫)には国家転覆計画があり、自動小銃の密造や化学兵器の生産など武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行しました。 簡単に言えば、クーデーター、武力革命、世界征服を真剣に考え行った事件と言えるでしょう。 事件のきっかけと狙い 事件にはきっかけと狙いがあります。 きっかけは、オウム真理教勢力の拡大を図ろうとして国政選挙に打って出たものの惨敗したことです。 狙いが外れ、今度は教団の武装化により教団の勢力の拡大を図ろうと考え、ついには救済の名の下に日本国を支配して自らその王となることを計画したのがオウム真理教の事件の始まりです。 その手口は、多数の出家信者を獲得するとともに布施の名目でその資産を根こそぎ吸い上げて資金を確保する事から始まりました。 一方で、多額の資金を投下して教団の武装化を進め、無差別テロを目的とする化学兵器サリンを大量に製造し、首都東京に散布するとともに自動小銃等の火器で 武装した多数の出家信者により首都を制圧することを目論んでいたのです。 オウム真理教の事件まとめ オウム真理教の事件をまとめると大きく3つの事件になります。 オウム真理教の3大事件と呼ばれ、教団と対立する弁護士とその家族を殺害した1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的としてサリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した1994年6月27日の松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と東京首都圏の混乱を目的に5輌の地下鉄車輌にサリンを散布して計12人の死者と数千人の負傷者を出した1995年3月20日の地下鉄サリン事件です。 その他にもオウム真理教の一連の事件をまとめると、29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えた。 教団内でも判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名超とも言われています。 オウム真理教の村井事件 村井事件はオウム真理教の指示ではないと言われています。 200人を超えるマスコミ関係者が集まり監視のなか殺害されました。 村井はオウム真理教幹部であり、教団内の科学技術省大臣を勤めていましたが山口組傘下の右翼団体(神州士衛館)構成員に刺殺されました。 村井を刺殺した犯人(徐裕行)で、動機は家族関係のように愛情で結ばれている人たちが、第三者の犯罪行為によって強制的に離間させられることに対して強い憤りがあったようです。 拉致事件でも同じことが言えますが、家族を無理やり引き離すようなことが許せず、それらに対する怒りは、サリン事件の時は非常に強かったので独断で犯行に及んだと言われています。 一方で、犯行の背後関係は未だ解明し尽くしておらず、陰謀説も数多く不透明な点が残されていると言わざるを得ません。 事件当時、オウムは追い詰められている中で、これから「村井が何かを発表する」と言いマスコミが集まってきたが、現場にいきなり現れた右翼が村井幹部を殺してしまったため 真相は闇の中になったと言われています。 結果的に村井幹部の死で、化学兵器、武器などの密輸ルートなどが解明されずに終わりました。 オウム真理教の事件の真相は? オウム真理教の事件の真相は非常に恐ろしい計画です。 簡単にまとめると、日本国を武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いていたオウム真理教の戦略が見事に失敗したのです。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で真理党が惨敗した後、麻原彰晃は理想を叶えるのはテロしかないと決断しました。 オウム三大事件の1つ地下鉄サリン事件はオウム真理教にとっては最後の足掻きで、事件の真相は 11月戦争と呼ばれる無差別大量テロだったのです。 11月戦争とは、1995年11月教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布し、東京都民の大量殺戮を目論んでいました。 日本の混乱に乗じて、米・露・朝の各軍隊による核戦争の誘発を狙い、その間に教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を統治するという狙いがあったのです。 しかし、1995年1月(11月戦争の10ヶ月前)に読売新聞によって上九一色村のサリン残留物がスクープされ、3月に警察当局の強制捜査によって11月戦争の計画が頓挫したのです。 このままでは、何も成す事が出来ないと考えた麻原彰晃が最後の足掻きで、3月20日に地下鉄サリン事件を指示したのが事件の真相です。 オウム真理教の事件一覧 オウム真理教の一連の事件を一覧にまとめています。 池田大作サリン襲撃未遂事件• 江川紹子ホスゲン襲撃事件• オウム真理教東京総本部火炎瓶投擲事件• オカムラ鉄工乗っ取り事件• 会社員VX殺害事件• 亀戸異臭事件• 警察庁長官狙撃事件• 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件• オウム真理教国土利用計画法違反事件• オウム真理教在家信者死亡事件• 坂本堤弁護士一家殺害事件• サリンプラント建設事件• シガチョフ事件• 自動小銃密造事件• 島田裕巳宅爆弾事件• オウム真理教女性信者殺害事件• 新宿駅青酸ガス事件• 全日空857便ハイジャック事件• オウム真理教ソフト開発業務受注問題• 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件• オウム真理教男性信者リンチ殺人事件• オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件• オウム真理教男性信者殺害事件• 地下鉄サリン事件• 駐車場経営者VX襲撃事件• 東京都庁小包爆弾事件• 日本テレビ長官狙撃自白報道• 日本テレビ郵便爆弾事件• 農水省オウムソング事件• ピアニスト監禁事件• オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件• 松本サリン事件• 宮崎県資産家拉致事件• 村井秀夫刺殺事件• 薬剤師リンチ殺人事件 オウム真理教の事件で死刑囚になった13人 オウム真理教の事件で死刑囚になったのは13人です。 教祖を含め、元幹部など一連の事件の実行犯を中心に死刑囚となりました。 2018年7月に死刑囚13人全員の死刑が執行されています。 2018年7月6日 麻原彰晃(東京拘置所) 土谷正実(東京拘置所) 遠藤誠一(東京拘置所) 井上嘉浩(大阪拘置所) 新實智光(大阪拘置所) 中川智正(広島拘置所) 早川紀代秀(福岡拘置所)• 2018年7月26日 豊田亨(東京拘置所) 端本悟(東京拘置所) 広瀬健一(東京拘置所) 宮前(岡崎)一明(名古屋拘置所) 横山真人 (名古屋拘置所) 小池(林)泰男(宮城刑務所仙台拘置支所) オウム真理教の事件に関する書籍【おすすめ本3選】 オウム真理教の事件に関する書籍(おすすめ本)を3つ厳選しています。 1995年、出家信者として山梨県上九一色村の教団施設にいた著者は、教団の「科学技術省」に所属していました。 だがあまりに不穏で不合理な状況が続き教団に不信感を抱きます。 上層部からは何の説明もない中、意を決して教団から単身脱出。 彼はそこで何を体験したのか。 身近に見た教祖麻原彰晃の姿とは。 恐るべき犯罪に手を染めた教団幹部たちの素の姿とは。 内部にいたものだから知りえた教団の驚くべき実態を、可能なかぎり客観的な筆致で描写した本です。 オウム真理教の事件をわかりやすくまとめると オウム真理教の事件をわかりやすくまとめると、世界征服を視野に国家転覆を狙った新興宗教の事件です。 教団内部では殺人を正当化する為にポアという言葉を用い、敵対する人物や集団を殺害することで功徳を積む(罪人の救済)という信仰を植え付け一連の事件を繰り返しました。 クーデターの大きな足掛かりだった選挙戦に敗れ、無差別テロを行うも計画の半ばで捕縛されてしまったのです。 一連の事件の目的は、 大義名分のためならば何をやっても許されるという狂信的な信仰の末路だと言っても過言ではないでしょう。 オウム真理教の事件に隠された黒幕の存在 オウム真理教の一連の事件に黒幕がいると言われています。 しかし、こういった陰謀論の多くはヘイトスピーチの一貫で根も葉もないデマが多く、言ったもん勝ちのような所があります。 もし仮に黒幕がいたとするならば、オウム真理教の一連の事件で最も利益を得た人物や集団です。 カルト教団を利用して私腹を肥やすなんてシナリオが最もらしく聞こえます。 実際、オウム真理教を利用(支援)していた人物や集団(組織)も少なからずいた事でしょう。 ですが、現時点で黒幕として暴かれていないのであれば、それは闇の中に葬られたと言っても過言ではありません。 今更もう暴く事は難しいでしょう。 まとめ.

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