アイヌ 民族 現在。 アイヌ民族の平均身長って何センチですか?

北海道アイヌ

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アイヌ語を話すおばあちゃんの口元。 北海道平取町(びらとりちょう)二風谷(にぶたに)という小さな町で育った関根さん。 二風谷は、人口の7~8割がアイヌ民族の血を引いていると言われており、「アイヌ」がマジョリティの環境で育った。 関根さんは、母親がアイヌの血を引いていることから、アイヌ文化に触れて育った。 日本語を母語としながらも、傍らには常にアイヌ語があった。 そんな関根さんが、今でも強く印象に残っているシーンがある。 《小さい頃、むっちゃんと呼んでいたアイヌ文化の伝承者と言われている中本ムツ子さんから、千歳にある彼女の自宅でよく物語を聞かせてもらっていました。 状況はあまり覚えていないのですが、むっちゃんのアイヌ語を話す口元だけがぼんやりと、でも強く印象に残っています。 むっちゃんの思い出は、私にとって大事な思い出であり、温かい思い出です。 》 アイヌは、文字を持たない民族と言われている。 現在では、カタカナやアルファベットを用いて表記されるアイヌ語だが、それまでの術は、口伝えだ。 アイヌは多くの物語を持ち、子や孫へと伝承してきた。 アイヌ民族は「教科書の中の人」 その後、札幌市内の高校に進学。 生まれ育った二風谷を出ると、アイヌの血を引く関根さんはマイノリティになった。 《家族から話は聞いていましたが、大人になるにつれて、アイヌの人たちが差別や偏見の対象となっていることを意識するようになりました。 自分が直接いじめを受けていなくても、アイヌじゃない人たちが多い中では、次第にアイヌであることに引け目を感じるようになっていきました。 》 アイヌは長きにわたって、結婚や就職などの際には根強い差別や偏見に晒されてきたと言われている。 関根さんは、それまで何も思わなかった自分の出自について、周囲に隠すようになった。 同時に、周囲のアイヌに対する考え方に違和感を募らせるようになっていったという。 《学校の教科書でアイヌの話が出てきても、アイヌは「教科書の中の人」「歴史の中の人」という雰囲気が教室中にあって、違和感を感じていました。 アイヌの血を引いている自分が同じ教室にいるのに、いないみたいに扱われていると感じました。 私自身も、そういう時はなるべく教室の中で目立たないように意識していました。 》 アイヌの血を引く人たちの中には、自らの出自を隠して生活している人も多くいると言われている。 関根さんも、同じだった。 「アイヌってかっこいいじゃん!」がきっかけに。 自分の出自に対してモヤモヤを抱えたまま過ごしていた関根さん。 高校3年生の時、友達との何気ない会話の中で、自分がアイヌであることを口にした時だった。 《友達に「私アイヌなんだよね」ってポロっと言ったら、「えっ!いいね!かっこいいじゃん!」と言われたんです。 「自分の守りたいものがあるっていいじゃん」とまで言ってくれた人もいて。 みんな偏見を持っていると思っていたので、正直、驚きました。 同世代の人たちは意外と偏見がないんだなと思いました。 同時に、アイヌを知らない世代なんだなって思いました。 》 関根さんは、アイヌ文化やアイヌ語など、自分の根源となっている「アイヌ」に対して誇りを感じるようになった。 自分に自信が持てるようになったことで、自然と自分の出自についても周囲に素直に話せるようになっていったという。 アイヌについて知らない世代が多いからこそ、ネガティブなことだけを伝えるのではなく、自分が思うアイヌ文化の良さを伝えていきたい。 使命感のようなものが生まれていった。 アイヌ文化は日本の魅力のひとつ。 関根さんはその後、慶應大学に進学。 今では、日常生活でもアイヌ語を話すという。 《大学では、友達といる時にアイヌ語を話すこともあります。 かわいいと思った時には「ピリカ!」って言ったりしますね。 相手が言葉の意味を知らなくても、言葉は自分のものなので、自分がその言葉を使いたい時に使うようにしています。 》 アイヌ語は、アイヌの文化が反映されているからこそ残していくべき言語だと関根さんは話す。 アイヌ民族は、人に対して想いを伝える民族だなと感じていて、それが言葉にも表われているんです。 そういった言葉の深い意味を知ると素敵だなって思いますし、知れば知るほどハマっていきます。 アイヌ文化を伝承していくという意味でも、残す必要のある言語だと考えています。 》 アイヌ民族の持つ、相手を大事に敬う文化。 これは、人に対してだけではなく、物に対しても同様だという。 《例えばコップは、人間が手にずっと水を貯めておくことができないことを、代わりにやってくれているという考えから、魂が宿るものとして大事に敬うようにしています。 だから、物を大切に長く使います。 これは世界から見ても大切にして良い文化なんじゃないかなと思っています。 》 関根さんは、そんなアイヌ文化の魅力を、等身大のスタイルで伝え続けていこうとしている。 アイヌ語のラジオ講師を務めた経験もあり、平取町内を走る路線バスでは、アイヌ語での車内放送を担当した。 最近では、アイヌ文化を伝える新たな活動としてYouTubeでの発信も始めた。 《日本人として生きている自分がいて、アイヌとして生きている自分がいます。 自分にたくさんの色を与えてくれているのが、アイヌ文化です。 ですが、まだまだアイヌであることを誇れる時代ではないと感じています。 現代に合った方法で、私だからこそ残せるアイヌ文化を発信していくことで、みんなが自分の考えるアイヌを発信できるようになったらいいなと思っています。 》 《海外の人が日本に来た時に、日本の伝統的なものや地方の文化のものがたくさんあった方が魅力的だと思っていて、そのためには、まずは自分たちの文化の魅力に気付いて、発信していく必要があるんじゃないでしょうか。 その日本の魅力を伝える一部にアイヌがあっても良いんじゃないかって思っています。 》 関根さんの横顔には、アイヌを誇りに思うと同時に、日本への誇りが滲み出ていた。 「アイヌ新法」はあくまで第一歩 そんな関根さんに、今回の「アイヌ新法」について率直に意見を聞いてみると「正直、法律については良し悪しをジャッジできる立場にはないのですが・・・」と前置きして、こんな風に語った。 《私はこれがスタートになればいいなと思っています。 いかにアイヌの人たちと、アイヌではない人たちが、共に素晴らしいところを認め合って日本を盛り上げていけるか。 その第一歩だと思っていますので、私はアイヌ新法をポジティブに捉えています。 》 《これってアイヌに限った話ではないと思うんです。 日本にはいろいろなアイデンティティを持っている人がいます。 自分とは違うアイデンティティを持つ人をお互いに認め合って、生きやすい社会にしていきたいです。 2007年の国連決議で「」が採択されて以降、世界中で先住民族への配慮を求める動きが進んでいる。 リオデジャネイロやバンクーバーなど過去の五輪では、先住民が開会式に登場した。 東京オリンピック・パラリンピックの開会式では、が出ている。 2020年4月には、北海道白老町にアイヌ文化発信の拠点として「」がオープンする予定だ。 東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には「」の目標を掲げている日本政府。 今回の「アイヌ新法」成立は、する狙いがあるとみられている。 今後の関根さんの活躍に注目したい。

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アイヌ民族の現在とは?純血アイヌ人は今もいるのか?

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この記事の目次• アイヌ民族とは アイヌ民族とは、 北海道を中心とした地域に居住していた先住民のことです。 北海道だけではなく、樺太や千島列島、本州の北端にも居住していました。 アイヌ民族は少数民族ですので、人口は多くありません。 江戸時代には最大26,800人ほどいたという記録がありますが、その後は感染症などによって人口は減少しました。 2006年の北海道庁の調査によると、 アイヌ民族の人口は23,782人となっています。 この時の調査では、アイヌ民族を「アイヌの血を受け継いでいると思われる」人、「もしくは「婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる」人と定義していますので、たとえ本当はアイヌ民族でも、「自分はアイヌ民族ではない」と否定した場合は、調査対象外としています。 2017年の調査では13,000人となっていますが、これは個人情報保護の観点から、調査に協力する人が減ったためではないかと言われていて、正しい調査結果ではないとされていますね。 元々は、 アイヌ民族は北海道やその周辺の地域に住んでいましたが、現在では北海道外に居住するアイヌ民族も増えてきています。 1988年の調査では東京に住むアイヌ民族は約2,000人だったとのことですので、現在はさらにその時よりもさらに増えていることが予想されますね。 アイヌ民族の芸能人・有名人11人 アイヌ民族の芸能人や有名人をご紹介します。 アイヌ民族は北海道の調査によると24,000人程度ですので、人口は多くありません。 そのため、アイヌ民族に出自を持つ芸能人や有名人は多くありません。 特に、アイヌ民族は差別されてきた歴史がありますので、自らをアイヌ民族であることを公表せず、むしろ隠している人も少なくないと考えられますから、アイヌ民族の芸能人・有名人は少ないのです。 1.宇梶剛士さん ・文字を持っていない ・物々交換で交易している ・狩猟民族 ・独自の言葉「アイヌ語」を持つ ・宗教はアミニズム的なもの ・アミプと呼ばれる伝統衣装がある ・文字を持たないため、すべて口頭での伝承 ・口承文芸としてウエペレケ(散文の昔話)やユーカラ(叙事詩)がある ・伝統的なウポポ(歌)やリムセ(輪舞)がある ・樺太アイヌはミイラを制作していた ・部族的に特徴的な入れ墨していた これを見ると分かるように、大和民族とは全く異なる独自の文化を持っていることがわかりますね。 ただ、アイヌ民族独自の文化は薄れてきてしまい、伝統文化復興運動が起こり、アイヌの伝統文化を残していこうという動きが活発になっています。 アイヌ民族は差別を受けてきた アイヌ民族は、差別と闘ってきた歴史を持っています。 特に、明治以降は差別に苦しんできました。 明治以降、大和民族は北海道(当時は蝦夷)での開拓を本格化させましたが、同時に先住民族であるアイヌ民族を差別し、迫害してきたのです。 どこかの国のようにいきなり先住民族を虐殺したなどの事実はないようですが、次のような差別をしたとの記録があります ・アイヌ民族の文化・風習を禁じる ・伝統的な土地を取り上げる ・農耕文化を押し付ける ・農耕させる土地は大和民族よりも劣悪で狭いところを与える ・鮭やシカの猟を禁じる ・大和民族に同化するように命じる ・アイヌ民族と結婚すると差別される 伝統的な文化を否定され、さらに大和民族の文化を押し付けられ、しかも差別される。 こんな歴史をアイヌ民族は持っているのです。 アイヌ民族の現在は? アイヌ民族は差別と闘ってきた先住民族です。 では、現在はどうなのでしょうか? 現在でも、残念ながらアイヌ民族への差別が完全になくなったとは言えません。 以前と比べると、だいぶ差別は減ったものの、 まだ完全に差別がなくなったわけではないのです。 平成25年の北海道の調査によると、アイヌ民族で直近7年間に差別を受けた経験があると答えた人は2%いました。 平成23年の北海道外で行われた調査でもほぼ同様の結果だったとのことです。 また、文化面では1970年代後半から伝統文化復興運動が起こっていて、アイヌの伝統文化を残そうと各地に博物館や資料館が作られたり、アイヌの古式舞踊がユネスコの無形文化遺産に登録されています。 1997年にはアイヌ文化復興法(アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律)が成立・施行され、アイヌ民族の文化を残そう・復興させようという動きが高まってきています。 まとめ アイヌ民族の基礎知識や顔・外見の特徴、文化の特徴、差別と現在、アイヌ民族の芸能人・有名人をまとめましたが、いかがでしたか? アイヌ民族はずっと差別されてきた歴史を持っています。 素晴らしい文化を持っている民族ですので、今後は差別が完全になくなり、その文化をベースとした芸能人がたくさん出てくるような世の中になると良いですね。

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自然を満喫しながら、日本の先住民族「アイヌ」の文化に触れる阿寒湖ガイドツアー|haconiwa|「世の中のクリエイティブを見つける、届ける」WEBマガジン

アイヌ 民族 現在

4~5世紀ごろ、関西を中心に大和政権ができました。 しかしこの当時は、本州もまだ全て大和の朝廷の支配下にあったわけではありません。 その 領域は西日本が中心でした。 日本の東北部で大和政権の支配下に入らなかった人々は「 蝦夷(えみし)」と呼ばれました。 「毛人」という漢字も使われましたが、読み方は同じ「えみし」です。 「えみし」という言葉の語源は諸説ありますが、漢字の「夷」というのは中国で東にいる異民族を指す言葉です。 当時の大和朝廷が中国的な自民族中心の価値観(華夷観念/かいかんねん)を持っていたことがわかります。 「えみし」というのは朝廷側の呼び方で、こうした人々がどんなふうに自分たちを呼んでいたかはわかりません。 朝廷が本格的に東北へと勢力を拡大しようとしたのは7世紀後半のことでした。 大化改新の直後には現在の新潟市付近まで勢力に収め、斉明天皇の時には秋田の蝦夷と関係を結び、日本海側を北上していきます。 8世紀になると 多賀城(たがじょう/現在の宮城県多賀城市)を築き、太平洋側にも勢力を広げました。 この時代は帰順する蝦夷には食料などを与えたのに対して、反抗する蝦夷は武力で抑え込むという二面的な政策をとっています。 桓武天皇は789年に 坂上田村麻呂を「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任命。 (坂上田村麻呂 出典:) 田村麻呂は蝦夷の族長である 阿弖流為(あてるい)を降伏させ、 胆沢城(いさわじょう/現在の岩手県奥州市)に拠点を置きます。 後に源頼朝や徳川家康がなる「征夷大将軍」ですが、「夷」という言葉が入っていることからもわかるように、もともとは蝦夷と戦う将軍という意味だったのです。 これ以降、「えみし」は日本との同化が進んでいきます。 それはただ読み方が変わっただけではなく、後に「アイヌ」と呼ばれるようになる人々のことを指すようになります。 つまり「蝦夷」は異民族を指す呼び方になり、差別的なニュアンスも強くなりました。 北海道のことは「蝦夷ヶ島(えぞがしま)」や「 蝦夷地(えぞち)」と呼ばれました。 今でも札幌ラーメンの店の名前に「えぞ」とつけられることがありますが、それは「蝦夷地」という呼称の名残なのです。 本州以南に住む「和人」とは別の民族で、言語も日本語ではなく アイヌ語を話します。 かつては千島列島、樺太、カムチャツカにも居住しており、現在もロシア領に居住している人々がいます。 「アイヌ」とは アイヌ語で「人間」という意味です。 たまに「アイヌ人」などといわれることもありますが、これでは「人・人」という意味になってしまうのであまり用いられません。 北海道の地名はアイヌ語にもとづくものが多く、現在でもその影響が残っています。 ただ明治以降「和人」との混血が進み、アイヌを自称する人は少なくなっています。 しかし、和人が北海道へと勢力を伸ばすとしだいに衝突するようになります。 1457年、アイヌの首長である コシャマインが蜂起しますが、武田信広によって鎮圧されます。 それ以降、北海道の南部は武田信広が婿入りした蠣崎氏が支配することになります。 江戸時代には松前藩が置かれ、アイヌとの交易を行って利益を独占しました。 そして、明治時代になると「蝦夷地」は「 北海道」と名前を改められ、明治政府による北海道の開拓が進められます。 ただそれはアイヌにとっては生活の領域を奪われることにつながりました。 狩猟や漁を行って生活をしていたアイヌは農業への転換を強いられ、多くの人々が窮乏していきます。 また前述のように混血が進み、アイヌ独自の文化も失われていくことになるのです。 まず古代の「蝦夷=えみし」ですが、古くから「えみし」がアイヌと同一の民族だったのかについては議論がありました。 江戸時代の学者、本居宣長は「えみし」はアイヌであるという説を唱えたそうです。 アイヌ語の研究で知られる言語学者の金田一京助(テレビでおなじみの言語学者・金田一秀穂先生のおじいさんです)は、東北北部に残る地名がアイヌ語由来であることから、奥羽地方にいた「えみし」はアイヌ民族だったのではないかという説を提唱しました。 しかし考古学者や人類学者による研究では「えみし」が「アイヌ」であるという証拠がなく、両者を同一のものと見るのは難しいのではないかと言われます。 つまり、大和朝廷の支配に従わなかった東北部の人々が「えみし」と呼ばれたということです。 その中には日本語を話す人たちもいたでしょうし、のちにアイヌ民族となる人たちもいたのでしょう。 それらをひっくるめて、大和朝廷は自分たちに従わない野蛮な人たちという差別的な意味で「えみし」と呼んでいたわけです。 したがって、そもそも 「えみし」を民族や人種的な概念だと考えるのが間違いだったということになります。 要するに、「蝦夷とアイヌの違い」という問題は、古代の「えみし」と中世以降の「えぞ」は別で、 「えみし」はアイヌと同一とは言えず、「えぞ」はアイヌであったというのが結論になります。 まとめ.

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