イスカリオテ の ユダ。 熱心党のシモン・イスカリオテのユダ

イスカリオテのユダ|イエスの12弟子・12使徒

イスカリオテ の ユダ

Contents• 小ヤコブと兄弟説、イエス様と親族関係にある説など様々な説がありますが、どれも真相は不明で謎の多い人物ですね。 カトリックや正教会では聖人とされています。 タダイの生涯 聖書には名前くらいしか登場しないので、伝承などをもとにタダイの生涯を見てみましょう。 タダイ、イエスキリストの弟子になる タダイがイエスの弟子になった経緯は不明です。 聖書には、以下のように12弟子の1人として名前が出てくるのみですね。 「十二使徒の名は次のとおりである。 まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。 」 マタイによる福音書10章2~4節 イエスの昇天後 イエスが十字架の死から復活されて昇天された後、タダイは同じく12弟子のバルトロマイと共に アルメニア地方へ宣教したと言われています。 そのため、現在でもアルメニア地方ではタダイは崇敬されていますね。 その後、遺体はローマのサンピエトロ大聖堂のあたりに埋められたんだとか。 実はタダイ、このイスカリオテのユダと名前が同じばかりにとんでもないとばっちりを受けています。 なんとタダイは、 カトリックではイスカリオテのユダと混同しないために、タダイへのお祈りが避けられているのです。 何しろイスカリオテのユダは裏切り者の代名詞。 そんな人物に間違ってもお祈りを捧げたくはないですからね。 無駄にネーミングはカッコイイんですがね。。

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イスカリオテのユダの絵画14点。キリストを銀貨30枚で売った裏切者の悲しき人生 : メメント・モリ

イスカリオテ の ユダ

コロナウイルス対策で窓を開け、挨拶の握手もしないで過ごしている礼拝。 高齢の方の出席が減っていて、少し寂しいのですが、祈りでつながっていると信じて礼拝します。 昨日の光の子幼稚園卒園式の立派なお花がきれいです。 卒園した19名の子どもたちやご家族のためにも祈ります。 さて、2月末からレント(受難節)に入って、主のご受難を思い聖書を読み進めています。 とうとう今日は、ユダのお話。 「イスカリオテのユダ」と聞くと、「裏切者」というイメージ。 聖書にもそう書いてあります。 でも、実は裏切ったのはユダだけではなかった。 ユダは弟子のひとり。 イエスさまの身近で接していたのに、なぜイエス様を銀貨30枚で売り渡したのか、その理由は書いてありません。 書いてあることは、ユダが銀貨30枚を受け取ってイエス様を引き渡したこと、そしてそのことを深く後悔して自分で命を絶ったこと。 ユダがイエスさまの近くで挨拶した時、つまり売り渡した時、イエス様はユダの企みを知っていてなお「友よ」と呼びかけました。 ユダには、この「友よ」というイエスさまの言葉が深く残ったことでしょう。 そして、引き返そうとしたけれど、時すでに遅く、自分の罪を自分で贖うために自らのいのちをもって決着をつけてしまいました。 そんなユダのことを最後まで愛しぬいて、裏切ったことも受け止めてなお「私のところに帰っておいで」と待ち続けたイエス様。 そして、そんなユダのためにこそ十字架へと向かっていかれるイエス様。 ユダほど、イエスさまの十字架の意味を深く、深く知りえた人はいなかったでしょう。 たった一人で罪を背負い死をもって償おうとしたユダ。 そんなユダのために、たった一人で十字架を背負い死に向かっていかれたイエス様。 ここに、愛があります。 イエスさまの十字架は、絶望・孤独・見捨ての中にいる人にこそ必要であり、そういう人と伴われ、そういう人が生きるようにと招いておられるのです。 ユダが一人ではなかったように、どんな人も一人ではないように、イエス様は一人で十字架上で死んでいかれたのです。 3月が終わり、4月に向かっていきます。 年度が替わると、新しい出発・出会いが大人も子どももあることでしょう。 それは、時には喜びですが、時には不安や孤独でもあります。 また、新型コロナウイルスの影響で、未知の恐怖や心配でいっぱいの人もいることでしょう。 しかし、イエス・キリストは、いつでも、どんな人も見捨てず、傍らにいてくださいます。 首里バプテスト教会も、主イエス・キリストに従うものとして、祈りを合わせていたいと願います。

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イスカリオテ の ユダ

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