金子 み すゞ こだま。 やまねこ翻訳クラブ:増刊号No.9:絵本 You an 〜金子みすゞを英語圏の子どもたちへ〜

金子みすゞ

金子 み すゞ こだま

こだまでしょうか 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。 ACのCMに登場する 『 こだまでしょうか』という詩は、1903年山口生まれの女性童謡詩人、金子みすず 金子みすゞ の作品。 没後80年以上経ってもその詩はまったく古びず、今、目の前で作られ、読まれたもののように自然に心へはいってくる。 あまりにはやく亡くなった金子みすず。 彼女の詩は没後散逸し、幻の童謡詩人といわれた。 しかし、戦後「日本童謡集」という書籍に「大漁」という金子みすずの詩が掲載され、それが童謡詩人の矢崎節夫氏の目に偶然とまった。 この作品に魅入られた矢崎氏は実に16年間にわたってみすずの作品を探し続けたという。 大漁 朝焼け小焼だ 大漁だ 大羽鰮(いわし)の 大漁だ。 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう そしてついに矢崎氏はみすずの没後50年後、500編をこえる金子みすずの詩が記された三冊の手帳にめぐりあう。 この手帳はみすずが弟である正祐に託したものであった。 弟の正祐はみすずの詩のよき理解者であったが、正祐はみすずが姉と知らされずに育てられた。 幼くして父を亡くし、正祐は母の妹である叔母の嫁ぎ先へ養子にやられる。 しかしやがて叔母がなくなり、そこへ実の母が再婚し入る。 そのとき正祐には実の母であるとはしらされなかった。 その後みすずは義父が経営する書店で働くことになるが、姉弟の関係であることはあかさないようにと言われた。 なんとも不思議な話だ。 正祐は作曲の才がありみすずの詩に惚れ込み、そして実の姉と知らず恋心を抱く。 実ることのない悲恋である。 義父はそれに気づき書店の番頭格である男とみすずを強引に結婚させる。 正祐は抗議し家を出てしまうのだが、義父の仕組んだみすずの結婚もうまくいかなかった。 みすずの代表作のひとつといわれる『私と小鳥と鈴と』を紹介する。 私と小鳥と鈴と 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地面(じべた)を速くは走れない。 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように たくさんの唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 500をこえる金子みすずの詩は20歳からのわずか5年間の間に創作されたものであるらしい。 みすずが20歳のときに関東大震災が起きた。 実の弟の正祐は東京へ勉強に出かけていたのだが震災を機に下関へ戻ってくる。 そこからみすずの運命が変わりはじめる。 そんなみすずがつくった詩が日々テレビやラジオで放送されわたしたちを癒している。 なんとも不思議なものである。 さびしいとき わたしがさびしいときに、 よその人は知らないの。 わたしがさびしいときに、 お友だちはわらうの。 わたしがさびしいときに、 お母さんはやさしいの。 わたしがさびしいときに、 ほとけさまはさびしいの。 こころ おかあさまは おとなで大きいけれど、 おかあさまの おこころはちいさい。 だって、おかあさまはいいました、 ちいさいわたしでいっぱいだって。 わたしは子どもで ちいさいけれど、 ちいさいわたしの こころは大きい。 だって、大きいおかあさまで、 まだいっぱいにならないで、 いろんなことをおもうから。 金子みすずの命日は3月10日である。 ACコマーシャル動画『こだまでしょうか 1分バージョン 』朗読:UA 参考) 金子みすずの世界 金子みすゞの簡易年譜 金子みすゞの詩 こどもの本の店JULA・・・JULA(ジュラ)出版局.

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金子みすゞ『こだまでしょうか』とCM放送 − 読者、視聴者はどのように詩を

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本展示では、金子みすゞの詩と生涯を展示することを通じて、生きとし生けるもののいのちの尊さ、すべての存在のつながりの大切さを伝えた。 さら に、金子みすゞの詩を愛する方々が、金子みすゞの詩を通してさまざまな活動を行っていることを紹介した。 たとえば、ネパールにおける小学校建設や医療支 援、東日本大震災にて被災した小中学校に金子みすゞの詩集を贈る活動などを紹介した。 みすゞの詩は、日本や世界に広がって、人びとの心を支えているのであ る。 展示開始日である11月19日には、11時半よりオープニング・セレモニーが開催された。 赤松徹真(龍谷大学学長)による挨拶のあと、鍋島直樹 (龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)による展示の趣旨説明があった。 来賓として、大村祐子氏(JULA出版局代表)、草場睦弘氏 (金子みすゞ記念館 主任・企画員、金子みすゞ顕彰会 事務局長)にお越しいただいた。 お二人にはセレモニー後にギャラリー・トークとして展示品を紹介していただいた。 大村氏には、金子みすゞの生涯と、金子み すゞの甦りの過程をご紹介いただいた。 矢崎節夫氏とともに、金子みすゞの詩を世に出すべく奮闘してきた大村氏にしか語れない逸話を数多く伺うことができ た。 草場氏には、地元仙崎の氏だからこそ語れる金子みすゞの実像と、金子みすゞの詩を通してのさまざまな活動についてご紹介いただいた。 オープニング・セレモ ニーの模様や本展示については、朝日新聞、毎日新聞、京都新聞、文化時報などで紹介され、11月19日の来場者数は116名であった。 本展示において、改めて学ぶことのできたことは、金子みすゞの詩の力である。 みすゞの詩は、とくに難しい言葉が用いることなく物事の本質を突く。 だからこそ、みすゞの詩は苦しみや悲しみの中にある人々の支えになり、世界中に広がっていく力をもつのである。 東日本大震災の被災地の子どもたちは、寄贈 されたみすゞの詩集を読み、癒しや励ましを感じている。 また、みすゞの詩は今や十数カ国語に翻訳され、中国やネパールでは小学生の学習教材として用いられ ている。 もちろん、日本でも多くの教科書に採用され、日本の子どもたちはみすゞの詩に触れている。 このように、日本や世界の人々の心に広がっていく力をも つみすゞの詩について、認識を新たにすることができた。 (RA 古荘) 開幕式の記念撮影 菊藤先生による解説 林先生による解説 【オープニングセレモニー報告】 2012年06月11日、13時より研究展示「妙好人における死生観と超越」オープニングセレモニーが行われた。 開館に際して、龍谷大学田中則夫副学長、鍋島センター長及びユニット3代表林智康先生の挨拶があった。 挨拶には、妙好人の言葉と実践に示された真実の死生観及び苦悩の超克を学ぶことなど、今回展示会の意義が紹介された。 ご来賓として、展示にご協力いただいた妙好人小川仲造の曾孫にあたる小川義雄様、道子様と京都短期大学(現成美大学)名誉教授の菊藤明道様をお迎えした。 引き続き、ご来賓と当センター研究員による展示品解説が行われた。 小川義雄様より妙好人仲造の生涯および「ひろいせかいに、おそろしものは、わがみ心がおそろしや」などのことばの意味についてご説明いただいた。 また、林先生より仰誓の『妙好人伝』や鈴木大拙の『妙好人』などの関連作品をご紹介いただいた。

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やまねこ翻訳クラブ:増刊号No.9:絵本 You an 〜金子みすゞを英語圏の子どもたちへ〜

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7ページ(PDF:491. 現在は各町会や自治会から選出された委員などが中心になり、5月には「憲法週間市民のつどい」、12月は 「人権を守る市民のつどい」などの開催や、「人権セミナー」などの研修会や広報活動を通じて、人権尊重の まちづくりを進める啓発活動を行っています。 5月19日、基本的人権の尊重について考える、「憲法週間市民のつどい」が行われました。 今年は、金子みすゞ記念館館長で児童文学者の矢崎節夫さんにご講演いただきました。 その一部を紹介します。 金子みすゞ著作保存会提供 【大漁】 朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰮 いわし の 大漁だ。 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮 いわし のとむらい するだろう。 この詩を読んだときに、完璧に僕の まなざしはひっくり返されました。 そ れまで「大漁」と聞くと、大漁節しか 知らなかったんですね。 人間側からし か見ていませんから、「いわしは沢山 獲れてうれしい」という喜びしか知り ませんでした。 でもみすゞさんは、わ ずか10行の中でいわしの方からも見せ てくれたんです。 「浜は祭りのよう だ」の後に「海のなかでは何万のいわ しのとむらいするだろう」という、い わし側から見せられた時に「私といわ し」が「いわしと私」に変わりまし た。 私が生きるためにはいわしは食べ られて当たり前だったんです。 でもそ の時に初めて「私は、私以外の命に よって、生かされてたんだ」と気付い た時に、「私といわし」が「いわしと 私」になりました。 つまり「私という 存在は、私以外の命によって生かされ てたんだ」って気づいた時に、自分中 心のまなざしが変わりました。 金子み すゞさんという人は、「私とあなた」 ではないんですね。 「あなたと私」と いうまなざしの人なんです。 この「大漁」という詩を読むと、一 番わかるのはこの世の中は全て「二つ で一つ」だということです。 「浜の喜 び」と「海の悲しみ」です。 「喜び」 と「悲しみ」で一つなんです。 必ず誰 かが喜んでいるということは、誰かが 悲しんでいるんです。 必ず二つで一つ です。 でも、それは永遠ではありませ ん。 必ず位置が逆転するようになって います。 その時その時で変わります。 それから、「目に見えるもの」と 「見えないもの」で一つです。 実は、 目に見えないものが圧倒的に多いの に、私たちは目に見えるものが全てだ と思いがちです。 そしてもう一つ、 「命」です。 つまり、「生きること」 と「死ぬこと」で一つです。 生きると いうのは、私以外の命によって生かさ れているわけですから、他のものは亡 くなるということです。 つまり、「大 漁」を読むと、この世の中は全て「二 つで一つ」だという根源的なことに気 づかせてくれます。 【こだまでしょうか】 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 在であり、依存し合って生きている存 在なんだという、人間の根源的なこと に気付いたという事だと思います。 かつて私たちの周りにいてくれた素 敵な大人の人は、「こだます」ことの 基本を知っていましたから、キチッと こだましてくれました。 例えば、僕が 転んで「痛い」と言った時に、僕の父 や母は「痛いね」って言ってくれまし た。 だから僕の痛さは半分になりまし た。 おじいちゃん、おばあちゃんは もっと上手に「ああ、痛いね痛いね、 かわいそうだね、痛いね痛いね、かわ いそうだね。 」何度も何度もこだまし てくれて、痛さを半分に半分に半分に 半分にしてくれて、その後で初めて自 分の言いたいことを言いました。 「泣 くのやめようよ」とか、「我慢しよう よ」って言ってくれました。 でも残念なことに大人はある時か ら、こだましなくなりました。 自分の 言いたいことを言うことが、先に言う ことがいつの間にか正当なことだと 思ってしまったんです。 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 【私と小鳥と鈴と】 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地面 じべた を速くは走れない。 あなたがいないと「遊ぼう」とも言 えないですし、「ばか」とも言えない です。 私たちは、言葉を発するために もまず、聞いてくれるあなたがいて初 めて成り立つんだってことを、あの 「こだまでしょうか」が震災の後CM で流れた時に、沢山の人が無意識に気 づいたんです。 それまで多くの人が、 「私はもう一人で生きていける」と 思ってたんです。 でもあの大きな災害 があって、あの「こだまでしょうか」 がCMで流れた時に、「ああ、私は一 人では生きていけないんだ」って。 かつて私たちの周りにいてくれた人 達は、みんなこだましてくれました。 「こだま」というのは、あなたという 存在を丸ごと受け入れるところから成 り立ちます。 人権の基本は「こだま」 です。 否定をしないということです。 私達が今まで「私は私で生きていけ る」と思っていた中で初めて社会的存 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように たくさんの唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 「みんなちがって、みんない い。 」っていうのは、「それぞれが素 晴らしいんだ」とか、「みんなの個性 が大切なんだ」とかいう事ではあるけ れども、もっと大切な事は、その一行 前にあるんです。 出来ないことと出来 ること、みんなそれぞれにあるんだっ て気付いたのは「私」です。 でも、気 付かしてくれたのは「あなた」です。 だから、一行前は「私と小鳥と鈴と」 が、「鈴と、小鳥と、それから私」っ てちゃんとあなたと私に変えたんで す。 まなざしを変えなければ「みんな ちがって、みんないい。 」は、絶対に ならないんです。 自分優先のまなざし を変えましょう、それが人権の基本で すから。 基本はあなたがいて私がい て、どちらも大切という事です。 だか ら、「あなたが辛い時は、私も辛いん だ」って思わなきゃいけないし、「あ なたの喜びは 私の喜びでもある」と 思わなければいけないという事でもあ ります。 そして、この詩がすばらしいのは、 もうひとつ、つい私達は動植物や人間 は同じ命だから、「命あるものはみん な尊くて大切だよね」っていうのはわ かります。 でもみすゞさんはその前に 「鈴」を書いていることです。 「無機 物の命なきものも同じく大切」って書 いてあるんです。 「一つとして無用な ものはない」って書いているんです。 そしてもう一つは、皆さんは二つで 考える時に「できること」と「できな いこと」って考えますか。 「できない こと」と「できること」って考えます か。 僕はついこの間まで「できるこ と」と「できないこと」って考えてた んですよ。 「見えるもの」と「見えな いもの」って考えたんです。 「知って ること」と「知らないこと」って考え たんです。 「私と小鳥と鈴」は、できないこと から唄ってるんですよ。 私が両手を広 げても、お空はちっとも飛べないって 言ってるんです。 で、あの小鳥は地べ たを速く走れないって言ってるんで す。 できないことがあって、それがで きることがあるから、喜びがあるんで す。

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