吾輩 は 猫 で ある 内容。 「吾輩は猫である」の結末

吾輩は猫である(夏目漱石)の1分でわかるあらすじ&結末までのネタバレと感想

吾輩 は 猫 で ある 内容

雑誌「ホトトギス」に 1905~1906年にかけて連載された長編小説で、 全11章からなります。 中学校で英語教師を勤める 「珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)」に 飼われることになった主人公・猫の「吾輩」。 名前はまだありませんよ(^^) この猫の「吾輩」目線で、 珍野家の人々や、彼の家を訪問する人々の様子が、 面白おかしく描かれていきます! ちなみに珍野家のモデルは 実際の夏目家でしょうね~。 作者自身、学校の先生だし、 当時の夏目家にも色々な人の出入りがあったろうし、 それに夏目家でも猫も飼っていました(^^) 珍野先生が病弱なところも、作者に一致しますね。 作者自身を珍野先生に投影し、 作者の思いを猫にしゃべらせていたのかなと・・・。 いずれにしても、このデビュー作が大人気となり、 夏目漱石は本格的に小説家の道を 歩んでいくことになります。 そういう意味では、文章の形式としては、 小説よりも日記に近いかもしれませんね。 「人もすなる日記といふものを、 猫もしてみむとてするなり」 っていう感じかな(土佐日記風^^; 簡単な感想 正直、読みにくかったです(^^; すごく長いし(^^; いや、人の会話や行動を受けて、 主人公の猫が「吾輩は~と思う」って 風刺をきかせて言ってる箇所は面白いし、 まだ読みやすいんですよ。 でも、人の会話が延々と続く場面は (小説後半は特に多い・・・)、 分かりづらかったです。 「吾輩」が会話の解説をしてくれれば まだ分かりやすいんでしょうけど、 猫のせいか、そんな親切対応は一切なし(^^; 難しい内容の会話が 数ページにわたって続くことが、 何度も繰り返されます。 作者の他作品の言葉を拝借すると、 「とかくにこの書は読みにくい」 っていう感じですかね(^^; 読書感想文には向いていませんよ~(^^; おすすめの読み方 全体的に、 猫が語っている場面は読みやすくて、 人の会話部分は読みにくいこの小説。 人の会話をじっくりと読めば、 当時の人々(だいたいエリート層)の 暮らしぶりや考え方を知ることができます。 ただ、全てを理解して読もうとすると、 とてつもない時間が掛かるはず。 長くて難解な会話が多いですから。 漱石、どんだけ物知りなんだよ! って突っ込みたくなりますよ(^^; ホントに、和・洋・中、 いずれの文化にも精通している 作者の博識ぶりには、驚かされるばかりです。 結論としては、 分かりにくいところはサッと目を通す ぐらいの軽い気持ちで読むのが、 ちょうどいいと思います(^^) 全部理解するぞ!と力を入れて読むと、 疲れますよ~(^^; 読みどころ4選 冒頭の文章 「吾輩は猫である。 名前はまだ無い。 」 この小説を読んだことがなくても、 この書き出しを知らない人はいないぐらい、 有名な文章ですよね~。 ここだけでも読んでおくべきでしょう(^^) 猫目線での小説って、今でも少ないと思いますが、 当時としてもとても斬新だったはず。 その発想力がすごいですよね。 ちなみに冒頭の文章以降は、 「吾輩」が生まれてから 珍野家の飼い猫になるまでが描かれていきます。 もちろん、猫目線で(^^) 三毛子さんにアタック! 物語の序盤は、 「吾輩」が他の猫と関わる場面が結構あって、 どれも面白いです(^^) なかでも「吾輩」が恋心を抱く 三毛子さん(猫です)とのエピソードは、 いやでも印象に残りますね(^^) こういった他の猫との関りが、物語中盤以降、 ほとんどなくなったのは残念です。。 銭湯へゴー! 「猫になったらやりたいことランキング」 があったら、必ず上位に入るであろう 「銭湯に行く(^^)」 「吾輩」がやってくれています(^^) 物語中盤以降は、何かと読みづらいですが、 ここは誰もが読みやすいでしょう(^^) 衝撃のラストシーン 冒頭部分は有名ですけど、 ラストシーンを知っている人は 少ないんじゃないでしょうか? まぁ、この長い小説を読まないと 分かりませんからね(^^; これが実に衝撃的な結末になっています。 その内容とは・・・何と、 「吾輩」が水がめの中に落ちて亡くなる! まるで突然打ち切りが決まった 少年ジャンプの連載漫画のような 怒涛の急展開でした(^^; 最後のまとめ この作品の凄いところは、まず、 ・猫目線での小説という斬新な切り口 ・20世紀初頭の世相が詳しく分かる が挙げられると思います。 そこももちろん凄いですが、 ただ、私が思うそれ以上に凄いことは、 「作家・夏目漱石を誕生させたこと」 だと思います。 この作品が人気を博したことで、 それまで教職に就いていた夏目漱石が、 本格的に作家の道へ入ることになりますからね。 つまり、この作品がなければ、 文学史上でも一、二を争う「文豪」と呼ばれる 夏目漱石はいなかったかもしれないわけで。 なので、「作家・夏目漱石誕生」が、 この作品最大の功績だと思います(^^) スポンサードリンク 人気記事TOP10• カテゴリー• 168• アーカイブ アーカイブ 検索: 検索 サイト情報•

次の

夏目漱石「吾輩は猫である」連載一覧:朝日新聞デジタル

吾輩 は 猫 で ある 内容

「吾輩は猫である。 名前はまだない」(『吾輩は猫である』より引用) 吾輩は猫であるの冒頭の有名な文章です。 この文章を皮切りに物語はスタートしていきます。 主人公である吾輩は、猫であり、名前がありません。 名前がないことは、人間の視点で考えると、あやふやな者として存在していることを連想させます。 そんな「吾輩」という独特な一人称の猫。 その人間を違う生物として客観的に見る存在から、人間生活の様子が描かれます。 主人公である吾輩は生まれてすぐ、一度人間に捨てられました。 生きるために仕方がなく苦沙弥(くしゃみ)家に住み着いたのです。 始めは、人間を軽視し、馬鹿にしていた吾輩ですが、徐々に彼らを認め、尊敬するに値する存在と認めるようになります。 そして最後は人間に憧れをいただき、人間のように生活をしたいとまで考えるようになるのです。 「吾輩は猫である」には特にストーリー性はありません。 人間生活を独特な一人称で吾輩が語っていくだけ。 そして人間に憧れを抱いてしまった吾輩は最後にどうなってしまうのか。 結末は予想もしない衝撃的な展開が待っています。 吾輩は猫であるに登場するキャラクターが非常にユニークで作品に温かみを与えてくれる存在ばかりです。 ここでは、「吾輩は猫である」にどんなキャラクターが登場するのかをご紹介いたします。 吾輩 猫ではあるが、ずっと一人称で吾輩と言い続ける猫。 まるで自分が人間であるがのごとく話す口調が特徴です。 人間を客観的に見る独特の視点がストーリーの奥ゆかさと面白さを醸し出しています。 見事な博識っぷりには敬服するばかり。 後述する、三毛子に恋をしています。 珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ) 「吾輩」の飼い主になった中学校の英語教師。 夏目漱石自身がモデルであったと言われています。 妻と3人の幼い子どもがいて、非常に多趣味。 胃腸が昔から弱いです。 迷亭 苦沙弥の友人で、しょっちゅう彼の家に上り込んできます。 嘘話をして苦沙弥の神輿をかついで楽しむという悪趣味の持ち主です。 美学者である大塚保治がモデルであると言われていましたが、この件は、夏目漱石本人が否定したそうです。 金田鼻子 近所に住む実業家である金田の妻。 巨大な鼻が特徴で、吾輩は金田夫人のことを鼻子と名付けました。 この人物は、明治時代の落語家である三遊亭圓遊を参考にして創作されたとも言われています。 金田富子 金田の娘です。 とてもわがままな性格をしています。 金田夫人に似ていなく鼻は大きくありません。 演奏会で後述の水島寒月に一目惚れします。 水島寒月 苦沙弥の旧門下生で理学士をしています。 バイオリンを趣味としており、お金があり頭もよいです。 金田富子との縁談話が持ち上がっており、彼も彼女に演奏会で一目惚れ。 つまり、金田富子と水島寒月はお互いに一目惚れし、両思いになるのです。 モデルは寺田寅彦と言われています。 越智東風 水島寒月の友人です。 金田富子に憧れを抱いており、寒月とは恋敵になります。 金田富子に新体詩を捧げましたが、残念ながらその想いが届くことはありませんでした。 三毛子 二弦琴の師匠の飼い猫です。 我輩のことを先生と呼んでいます。 とても器用であたまがよく、近所でも有名な美貌を備えています。 まさに才色兼備の猫。 吾輩は三毛子のことが好きでしたが、残念ながら三毛子はその気持ちに気づくことはありませんでした。 黒 車屋の飼い猫です。 大柄で乱暴な性格をしています。 わかりやすくいうとドラえもんに登場する「ジャイアン」のようです。 ねずみを捕るのが得意ですが、イタチが苦手。 吾輩が恐れている猫でもあります。 『吾輩は猫である』の魅力とは?結局、どこが面白い? 「吾輩は猫である」の作品の魅力はなんといっても物語が独特の一人称で語られている点と言えるでしょう。 「私は猫です」「ぼくは猫です」「吾輩は猫である」のニュアンスの違いがお分かりになるでしょうか。 同じ自己紹介をしているのにもかかわらず、「吾輩は猫である」はなんとも偉そうな感じがします。 本来はペットであり、人間から餌を与えられて生きている猫ですが、「吾輩は猫である」ということによって、人間より尊厳のある生物のように感じてしまいます。 そこがこの物語の魅力や面白さの一つと言えるでしょう。 「吾輩は猫である」と偉そうに語っていながら、人間に憧れを抱いていく吾輩の姿は、時に矛盾を感じながらも、独特なユーモアを生み出してくれる効果があります。 物語自体には特にストーリー性はなく、人間生活の日常以外の何物でもないのですが、吾輩が語り手になることで、普段気づかないような人間模様を気づかせてくれます。 本来、人間生活をしているときは、私たちは犬の世界がどうなっているのか、猫の世界がどうなっているのかなどは考えることは少ないと思います。 と同時に、動物も人間生活のことは考えないでしょう。 吾輩はというと、自分は猫であるのにもかかわらず、人間生活を一人称で語ります。 あたかも自分が人間かのように語っていくのです。 そこに、「吾輩は猫である」の構造上の歪みがあり、この独特な歪みが、この作品の特徴でもあり、魅力となって今世まで、名作として残されているのではないでしょうか。 こちらの作品は、読まずに聞けるオーディオブックで楽しむことができます。 今なら30日間無料! 「ながら聞き」ができるので、「最近、本を読む時間が取れない」方や「もっと手軽に楽しみたい」方におすすめです。 ストーリーの最後が意味するものとは?結末を解説! 吾輩は最初、人間界とはある一定の距離を置いて生活をしていました。 さらに言うと、人間を軽視し、馬鹿にするような発言を繰り返していました。 本作は、主人公をあえて猫にすることで、人間界を客観的な視点から描き、その素晴らしさや、恐ろしさを同時に描いています。 そしてそれらの日常を監察しながら、吾輩は最後にとうとう悟りを開くのです。 我輩は最後にビールを飲み、「ありがたいありがたい」と口にしています。 この発言から考えられることは、おそらく吾輩は人間のことを馬鹿にしながらも、苦沙弥家で暮らしていくうちに、人間には愚かさや欲深さはあるものの、それらを受け入れながら生活している人間に対して、憧れをいだき、いつの日か人間になりたい、人間のように生活をしたいと思うようになったのではないでしょうか。 本作は人間に捨てられたところからスタートしました。 人間に裏切られたことで、人間を信頼できなくなり、嫌いになった主人公。 彼は生きるために人間のもとで生活をすることを選びますが、そこで「本来の人間の姿」というものに気づきます。 それが吾輩にとって、人間への憧れを抱かせるようになり、さらには自分を同様の存在だと思うまでにさせるのです。 これは、結末で吾輩が生きることを諦め、人間のように南無阿弥陀仏を唱え、「ありがたいありがたい」と発言しているところからも見受けられます。 吾輩は最後まで名前を手に入れることはありませんでした。 もしかすると、それが人間、憧れの象徴であると感じていたからこそ、あえて冒頭の一文で語られていたのかもしれません。 彼は猫であるにも関わらず、まるで人間のように考え、日々を過ごし、死んでいきました。 「吾輩は猫である。 名前はまだ無い」 (『吾輩は猫である』より引用) 作品の冒頭にこのセリフがあります。 この作品の有名な箇所ですね。 名前が無いということにより、吾輩自体を人間世界ではとてもあやふやな存在にしています。 人間界に存在はしているけど、存在は認められていないような独特なイメージを持たせる一文です。 この作品は、この一文に象徴されている印象すら感じさせられます。 「吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。 こんな働き手を見るたびに撲(なぐ)ってやりたくなる。 こんなものが一人でも殖(ふ)えれば国家はそれだけ衰える訳である。 」 (『吾輩は猫である』より引用) 吾輩は心の中では人間を軽視し、馬鹿にし、愚かなどと思っていました。 しかし、このセリフをきっかけに、人間の良い面や地道に一生懸命生きる姿や、様々な知識や知恵を使いながら共存してく姿に感銘を受け始めます。 そして、このあとに「人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい」といったような発言をしています。 吾輩が人間を認めた瞬間です。 吾輩は「人間が自分の立場を自覚すること」を条件に、人間自体を肯定していきます。 人間は人間なりに尊重するべき点があると吾輩は述べているのです。 「ありがたいありがたい」 (『吾輩は猫である』より引用) このセリフは吾輩の最後のセリフです。 このセリフで『吾輩は猫である』の物語は締めくくられます。 吾輩はなぜこのセリフを吐いたのでしょうか。 それは、最初は軽視し、馬鹿にしていた人間に、吾輩が憧れを抱くようになり、最後は人間の生活でき、人間に近くことができたと自覚したため、このセリフを吐いたとも考えられます。 また、人間は愚かで情けないところも多いが、結局は素晴らしい存在だというこの作品のメッセージを感じとることもできます。 人間というのもの非常に肯定している作品とも捉えられるかもしれませんね。

次の

赤川次郎、新井素子、石田衣良、荻原浩、恩田陸、原田マハ、村山由佳、山内マリコ 『吾輩も猫である』

吾輩 は 猫 で ある 内容

芥川を発掘• 森鷗外のライバル• 教師、大学教授を経て新聞社に入社• ロンドンに留学するも、精神を病んで帰国 漱石は、造語を多く用いました。 漱石の造語で、現在一般的に使用されている言葉には、「浪漫(ロマン)」「沢山(たくさん)」などがあります。 他にも、「高等遊民(高等教育を受けたにもかかわらず、仕事をしないで過ごす人のこと」「低徊趣味(ていかいしゅみ。 世俗的な気持ちを離れて、余裕を持って物事に触れようとする趣向)」があります。 漱石の作品は、国外でも評価されています。 漱石については、以下の記事をご参照ください。 『吾輩は猫である』のあらすじ 「吾輩」と自称するその猫は、生まれてすぐに捨てられました。 そして苦沙弥(くしゃみ)先生の家に住むことになり、隣宅の三毛子に恋をしたりします。 吾輩は、人間が4本の脚のうち、2本しか使わないことを「贅沢だ」とし、髪を伸ばさずに整えることを不思議に思います。 こうして吾輩は、苦沙弥先生の家に出入りする人間の観察をするようになりました。 冒頭文紹介 吾輩は猫である。 名前はまだ無い。 数々の作品でパロディ化されている、非常に有名な一文です。 登場人物紹介 吾輩(わがはい) 元捨て猫。 苦沙弥(くしゃみ)先生の家で生活し、いろいろな人間とふれあう。 死ぬまで名前を付けられることはなかった。 苦沙弥(くしゃみ)先生 吾輩の家の主人で、英語の先生。 胃が弱く、ノイローゼ気味。 『吾輩は猫である』の内容 猫から見た人間社会 吾輩と先生 吾輩は、生まれてすぐ捨てられてしまいました。 寒さと空腹に耐えかねた吾輩は、1軒の家に入ります。 吾輩はその家の女性に何度もつまみ出されますが、めげずに侵入し続けます。 その様子を見た主人( 苦沙弥先生)の一言で、吾輩はその家の住人になりました。 しかし、人間の子供はすぐに泣くし、主人は身勝手だし、人間のことはどうも好きになれません。 それでも生きるために、主人の家で世話になるのでした。 三毛子(みけこ) 吾輩は近所の家に住む三毛子という美しい猫と仲良くなります。 吾輩は、ことあるごとに上品で可愛らしい三毛子を訪ねて話をするようになりました。 しかしあるとき、三毛子は風邪をひいてしまいました。 三毛子の家の人が、「あの野良猫(吾輩のこと)の仕業に違いない」と決めつけたせいで、吾輩は三毛子にそれ以降会えなくなりました。 ほどなくして、三毛子は死んでしまいます。 吾輩は、三毛子のために読まれるお経をぼんやり聞きながら、ひそかに想いを寄せていた相手の死を感じるのでした。 自殺 その後も、人間嫌いの吾輩は、人間をセミに例えて「油野郎、みんみん野郎、おしいつくつく野郎」などと好き勝手に言います。 また、先生の3歳の子供が「ばぶばぶ」言っているのを聞いて、「このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない」と分析したりします。 そして先生の教え子の結婚が決まった日、吾輩は先生たちの飲み残したビールに目を付けます。 なめてみると、初めは舌がしびれる感覚がしましたが、次第に体が熱くなり踊りだしたい気分になります。 前足がぐにゃりと曲がり、ぼちゃんと音がして、吾輩は目を覚ましました。 なんと、庭にある水がめの中に落ちてしまったのでした。 もがいても爪が水がめの壁に当たるばかりで、吾輩は沈んでいきます。 やがて吾輩は、「水から上がりたいのは山々だが、それは不可能だ」と悟ります。 そして、 「この苦しみを超えた先の死には、安楽がある」と考えた吾輩は、手足を動かすのを止めて静かに沈んでいくのでした。 『吾輩は猫である』の解説 漱石の処女作 『吾輩は猫である』は、漱石が作家活動を本気で始めるきっかけとなった作品です。 東大の大学院で英語を学んだ漱石は、卒業したあと英語の先生になりました。 その後、国から命じられてイギリスに留学して文学研究に励みましたが、周りの人とうまくやって行けずにうつ病になり、帰国します。 そして、そのうつ病の治療の意味を込めて、 知人のすすめで書き始めた最初の小説が『吾輩は猫である』なのでした。 これが評判になり、漱石は文学の研究者から文学の書き手に回ったのです。 今となっては、動物が主人公になっている作品は多くありますが、当時は人間を主人公に設定するのが当たり前でした。 漱石はその常識を打ち破って、猫を語り手にした作品を生み出したので、『吾輩は猫である』は当時の人たちに大きな衝撃を与えました。 漱石は英語を学んでいたり、留学をしたりしていたので、西洋の進んだ新しい考えを持っていました。 だからこそ、当時のこり固まった日本人の頭では考えられなかったようなユニークな作品が生まれたのです。 『吾輩は猫である』の感想 人間より下等な生き物である猫が、知識人ような言葉を使い、ひたすら人間を上から観察するところに、この小説の面白さがあります。 「吾輩」というのは、 ほどよく年を重ねた偉いおじさんの一人称です。 「である」というのは、明治になってから「話し言葉と書き言葉を分けよう」という運動のおかげで誕生したものであり、もっぱら 大学を出たスーパーエリートが使う言葉です。 そんな「吾輩」と「である」を、生まれたばかりで捨てられた1匹の猫(人間よりも下等な生き物)が使っているというちぐはぐさが、なんとも笑いを誘う小説だと思います。 (隣の家の猫が、産んだ子供をすぐに捨てられたことに対して)どうしても我等猫族が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅せねばならぬといわれた。 また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大いに憤慨している。 このように吾輩は、人間が読んでも堅苦しいと感じる日本語で話します。 これを猫が語っているというのがとても面白いです。 『吾輩は猫である』には、思わず笑ってしまう描写が多いので、楽しんで読み進められます! 『吾輩は猫である』の朗読音声 『吾輩は猫である』の朗読音声は、YouTubeで聴くことができます。 読み物として全章読みたい場合は、上にご紹介したものをおすすめします。 海外の出版社から出ているものです。 『吾輩は猫である』の名言 仏教では「この世は苦である」と言いますが、猫から見た人間の世界も苦なのでしょう。 確かに、わざわざ苦しいと分かっていながら生きるのは、人間でない生き物からしたら違和感を覚えることかもしれません。 でも、私は人間を辞めたいと思ったことはないです。 苦しい日常があるからこそ、楽しいことが引き立つと思うからです。 飼っている猫が、生きててあまり楽しそうじゃないというのもあります。 『吾輩は猫である』のPDF 『吾輩は猫である』のPDFは、以下のリンクから確認できます。 最後に 今回は、夏目漱石『吾輩は猫である』のあらすじと感想をご紹介し、解説しました。 これは、それだけ長いあいだ読み継がれ、人々に愛されてきた証拠です。 日本人として1度は読んでおきたい名作です!.

次の