スパルタ 語源。 レオニダス王とは?スパルタ最強の戦士の伝説と由来!【fgoや映画のモデル】

スパルタ|過酷な教育で有名な古代ギリシャ最強の軍人国家

スパルタ 語源

スパルタは古代ギリシャの都市です。 軍事主義的体制の国家で、 国に役立つ子供を育てようと意図しました。 国にとって役立たない 子供は排斥される運命でした。 健康状態の悪い子供は国の力には ならないわけですから。。 ギリシャが財政破綻に直面していることはニュースが伝えています。 スパルタ教育を受けた人達がいたとすれば、国家存亡の危機を 回避できたと思いますよ。 従って、そのようなスパルタ教育はギリシャではなされてきませんでした。 英国のHackney にある学校がとても厳しい規則で教育をしている、と 聞いたことがあります。 日本でもカトリック系の学校は、国や社会にのために、 とても厳しく生徒を育てているようです。 ギリシャに何か思い入れや興味があるのですか??.

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スパルタの歴史!過酷な軍事国家はなぜ滅亡したのか!?

スパルタ 語源

スパルタとは? スパルタ(Sparta)とは、 紀元前10世紀頃から紀元前146年まで存在した古代ギリシャの 都市国家(ポリス)の一つ。 現在のギリシャの大陸部分南端に広がる「ペロポネソス半島」の南部 スパルティに存在し、強力な軍人または戦士たちを抱えていたことで有名な、 古代ギリシャにおける最強の軍人国家。 ペロポネソス戦争 (紀元前431年〜紀元前404年)で、ライバルだった古代ギリシャの都市国家「 アテナイ」に勝利したことにより、 一時期はギリシアにおける覇権を握り最盛期を迎えました。 スパルタの文化は、 国家に対する忠誠心と極めて特殊で厳しい兵役制度を中心に成り立っていたことで有名。 スパルタの少年は7歳になると、国家の支援を受けた厳格な軍事訓練を中心とした教育、そして、社会活動プログラムを受け始め、その中では「 服従、訓練、忍耐」が強調され、これが古代ギリシャ世界で最強とも言われた軍人を作り上げた理由でした。 また、スパルタの女性は軍事行為にはそれほど携わっていませんでしたが、同じように健康な肉体を維持するためのプログラムやそれ以外の教育を受け、他のギリシア人女性に比べて高い地位を認められて自由を謳歌していました。 一方で、スパルタの男性は職業兵士であったため、肉体労働はすべて奴隷階級である ヘイロタイが担っていたのがスパルタ社会の特徴。 スパルタ市民は最大でも5万人程度なのに対して、奴隷は15万〜25万もいたと言われ、 この奴隷階級の人々を抑え付けて国家を運営するためにも「 市民皆兵主義」が用いられ、男性は強力な軍人になることが求められたと言われています。 スパルタ人 ・・・ 完全な市民権を持つ人々• スパルタ社会における支配階級であり自由民• 最盛期には2万〜3. 5万人ぐらいの人口を抱えた (5万という推定もある)• ヘイロタイ(ヘロット)・・・ 奴隷• 奴隷の身分から解放されることや移動することは許されない• 土地を耕してスパルタ人に貢納したり単純労働などを行った• 15万〜25万近くに上ったと言われる• ペリオイコイ・・・ 半自由民• 奴隷でもない代わりにスパルタ市民とも認められていなかった人々• 「周辺に住む人々」の意味を持つ「ペリオイコイ」は、技術者や貿易商として働き、また、スパルタ人が使用する武器も製造していた• スパルタの衰退が始まって人口減少が起き始めると、戦いに参加させられることも増えていった 市民であるスパルタ人は自由を謳歌した代わりに、 健康な男性は 全員、国家が運営する最強の戦士となるための「義務教育制度」にて学び、成人しても共同生活を送り (男性は30歳まで軍事施設に住むことが義務づけられていた)、一生を兵役に捧げることを求められ、国家の緊急時には命を落とす覚悟で国を守ることを求められたのです。 そのためスパルタ人は、「 国家への忠誠心が家族を含む何よりも優先される」という思想の基に生活しており、この考えが軍人国家スパルタの社会の根底となっていました。 社会の「運営」において非常に重要だった奴隷「ヘイロタイ」 「捕虜にされた人々」を意味するヘロット(ヘイロタイ)は、ラコニアやメッセニア出身の古代ギリシア人グループの一つ「アカイア人」で、その地域がスパルタに征服された際に奴隷の身分とされました。 しかし、奴隷としての扱いを受けていたものの、 ヘイロタイの存在なくしてスパルタ人の生活や社会が成り立つことはありませんでした。 というのもヘイロタイは、 社会生活を維持していくのに必要な日常作業や単純労働の全て、また、他にも多くの仕事を担っていたから。 例えば、• 家事労働• 従軍労働 といった仕事は、ヘイロタイが行っていたのです。 しかし、客観的に見れば社会にとって重要なヘイロタイも、 スパルタ人達から残忍かつ圧政的な扱いを受けていたとされます。 例を挙げると、数の上でヘイロタイを下回るスパルタ人は、 反乱を阻止する目的や戦いに慣れる目的で、ヘイロタイに対して残虐な行為を行うことがありました。 他にも例えば、 ヘイロタイに対して衰弱するほど大量のワインを飲ませ、公衆で嘲笑するなど、ヘイロタイを侮辱するような行為を行っていました (この行為には、若年層のスパルタ人に泥酔状態の悪い見本を見せて、自制心を失わない様に教育する意図もあった)。 ちなみに、 市民であるスパルタ人には、何かと理由を付けて奴隷である ヘイロタイを殺害することが許されていたのです。 スパルタの軍事力 芸術、学問、哲学の中心地であったアテナイのような古代ギリシアの都市国家とは異なり、スパルタは 戦士文化を中心としていました。 そのため、 スパルタ人男性に許された職業はただ一つ「 兵士になること」だけ。 スパルタ人の少年は「 7歳」で親元を離れて軍事訓練を受け始め、スパルタ教育の下で学び、また、厳格な条件下で共同生活を送っていました。 少年たちは絶えず、• (精神的・暴力的行為を含む)競争社会のなかに置かれ、• わずかな食糧配給を受けつつ生存競争を生き抜くための様々な技術を身につける• このスパルタの少年達に施された過酷な教育の一つとして、帝政ローマ時代のギリシャ人著述家「プルタルコスは、『 スパルタ人たちの古代の慣習 (モラリア3に収録)239d章』の中で、 スパルタの少年たちはアルテミスのために一日中鞭でたたかれ、それを受け入れなければならなかった。 誰が一番多く鞭打ちに耐えることが出来るか、お互いに競い合っていた と書いています。 また、十代の少年達のなかでも、指導者としての高い潜在能力を発揮した者たちは選別され、 クリュプテイアと呼ばれる特別な部隊に参加することが求められました。 このクリュプテイアとは、 ヘイロタイの一般住民に対してテロ行為を行い、トラブルの元となるヘイロタイを殺害することを主な目的とした 処刑部隊または 秘密警察のようなものです。 そして20歳になると、スパルタ人男性はフルタイムの職業軍人となり、60歳になるまで任務についたのです。 スパルタ人女性と結婚 スパルタ人女性は精神的に自立しており、古代ギリシア時代を通して、他の都市国家の女性に比べても大きな権力と自由を持っていたと言われます (古代ギリシャの他の都市の多くでは、女性は家庭に引きこもることが多かった)。 また、スパルタ人女性には、軍隊での役割がなかった一方で、男子とは別の教育課程で教育を受け、「 強い子供は強い親から生まれる」という考えに基づき、 女性でありながら槍投げやレスリングなどの陸上競技を行い、また、歌や踊りを競い合ったりもしました。 そしてスパルタ女性は成人になると、財産を所有し管理することも許され、おまけに彼女達には、 料理、掃除、裁縫などの家事負担がありませんでした。 そうした 家事労働はヘイロタイが担っていたからです。 しかし一方で、 スパルタ人女性は、健康で強い男児を産むことに対して強い圧力をかけられ、結婚をして多くの健康的な子供を産むことが最重要任務として課せられていました。 15歳位になった女性は、親が決めた30歳位のスパルタ人男性と結婚させられたのです。 ただし、男性は戦いに参加して戦死することが多かったため、兄弟で一人の女性を妻に迎えたりと、複数の男性に一人の女性が嫁ぐことが良くあったと言われます。 これは、 結婚相手の一人が戦士しても女性が未亡人にならないようにするための措置でした。 ちなみに、結婚した夫婦は通常、別々に暮らし、30歳以下の男性は引き続き共同宿舎に居住することが要求されたため、 この時期に妻に会うために夫は、夜中にこっそりと宿舎を抜け出さなくてはならなかった。 そのため、スパルタ人男性の中には、自分の妻を昼間に見る前に父親になった人もいる。 などという話も残っています。 スパルタの衰退 その優れた軍事力にもかかわらず、スパルタの優勢は長くは続きませんでした。 紀元前371年に起こった「 レウクトラの戦い」で敗れてギリシャでの覇権を失うと、スパルタは長い衰退の時代に突入します。 この戦いでスパルタに勝利したエパメイノンダス (古代ギリシャのテーバイの将軍)は翌年、軍を率いてスパルタ領内に侵攻。 スパルタ人よって数世紀に渡って奴隷身分を強要されてきた、メッセニアのヘイロタイ達が解放されました。 これによって社会機構が瓦解し始めると、スパルタはその後、長きに渡って二等国として衰退の一途を辿っていき、マケドニア王国の勃興とマケドニアによるギリシャ覇権の確立を見届けます。 そして、紀元前146年には古代ギリシャ全土を共和制ローマが支配し、これによって、スパルタ人は存在し続けたものの国家としてのスパルタは滅亡したのです。 硬貨製造に許可された金属は鉄のみで金と銀は禁止されていた という点をあげられるでしょう。 この場合、大きな買い物をするとその分、大量の鉄製硬化が必要になり、莫大な金額を持ち運ぶためには牛の群れが必要だったと言われます。 さらに、大量の硬化を保管するためには大きな空間が必要とされました。 一方で、これにより、 物理的にもスパルタでの収賄や盗難は困難で、裕福であることを簡単に享受できず、隠すことはほぼ不可能となったとも考えられるのです。 怠惰に対する弾圧 スパルタの兵士は強くて健康でなければならず、 それとは反対の「 怠惰」は忌み嫌われていました。 このことは、最強の軍人を目指す若い男性にとって特に重要なことだったようです。 スパルタの若い男性は、「 公共の場で裸になって検査される」ことが法で定められていたとされます。 この検査は 10日ごとに定期的に行われ、その都度、健康で強靭な肉体を見せることが要求されました。 手足がたるんでいたり、余分な脂肪がついていた場合、またはその両方の場合は叩かれ、批判されたのです。 臆病者は恥 スパルタ人男性にとってはまた、 臆病であることは恥であり、万が一にも臆病者と見なされた場合、彼らは悲惨な扱いを受けたと言われます。 例えば、 ペルシャとの戦いの一つ「テルモピュライの戦い(紀元前480年)」において、アリストデモスというスパルタの兵士が眼病に苦しみ、戦うことが困難となりました。 しかし、スパルタに戻ると彼は、「臆病者のアリストデモス」と呼ばれることになります。 1年後、アリストデモスは「プラタイアの戦い(紀元前479年)」で勇敢に戦って死に、これによってようやく名誉を取り戻せたのです。 簡潔かつ率直 スパルタ人は有能な兵士としての評判に加え、簡潔で率直な主張でも有名だったようです。 このスパルタ人の性格を表す話として、以下のようなものが残っています。 マケドニア王国の ピリッポス2世 ( の父)は、スパルタの地であるラコニアを侵略する少し前、スパルタ人に向けて手紙を送っています。 (ピリッポス2世) その手紙の中でピロッポス2世は、 もし私がラコニアを侵略したら、君達(スパルタ人)を追い出すことになる と書きました。 すると、スパルタ人は、 もし とだけ、つまり僅か1単語だけを書いてピリッポス2世に返事をしたのです。 そして、ピリッポス2世がついにラコニアに入った時、スパルタ人に自分を敵か友、どちらとして迎えるのか質問する手紙を書きました。 これに対してのスパルタ人の返事は、 どちらでもない だっとです。 スパルタ人は多くを語らない一方で、短く発する彼らの言葉は聞き手の注意を引き、すぐに本題に入ることが出来るのが特徴だったと言われます。 合わせて読みたい世界雑学記事• 最強の兵士を抱えるスパルタは、古代ギリシャの他の多くの都市から賞賛されていました。 そして、現代においてもスパルタは人々の興味を引くと同時に、ギリシャ人にとっては誇りであり、19世紀、当時のギリシャ国王オソン1世によって、かつてのスパルタがあった場所にあたらしくスパルティ (スパルタと表記されることもある)という都市が建設されるに至ったほどなのです。

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“戦士の国”スパルタは肝っ玉母さんに支えられていた|ウートピ

スパルタ 語源

黒澤はゆまの歴史上の女性に学ぶシリーズ、第11話はスパルタの女たちです。 スパルタといえば、2007年公開の映画「300〈スリーハンドレッド〉」に代表されるような、好戦的で血みどろな男たちの国というイメージがあるかもしれません。 しかし、歴史を紐解いていくと、マッチョな男たちの背後には、自由で強い女たちがいきいきと暮らしていました。 「女は臆病で不正をする男の生まれ変わり」 を倒したアテナイは、その後地中海世界の覇者となり、ギリシャ、小アジアにまたがる広い版図を築きました。 しかし、その社会体制は完全に男尊女卑で、「民主主義発祥の地」のイメージとは裏腹に、女性には大変厳しく抑圧的な社会でした。 アテナイといえば哲学。 なかでもソクラテスは有名です。 彼は美少年、美青年を門下に集め、汗だくで「マッチョマッチョ」とレスリングしながら真理を追い求めましたが、その弟子プラトンはこんなことを言っています。 「女は臆病で不正をする男の生まれ変わり」 一応弁護すると、プラトンは自分の学校に女性を始めて招き入れ、男女雇用機会均等法的なことも言っているので、アテナイ人としてはまだマシな人なのです。 でも、これが最低ラインとすると、当時のアテナイの女性たちがどんな立場に置かれていたかは、容易に想像がつくかと思います。 隷属的なアテナイの女性たち 彼女たちは家に閉じ込められ、外出するときは頭と顔をすっぽり覆い隠すベールが必須。 結婚は父親が決めた顔も見たことのない相手と。 結納金は嫁側が持つものでした。 当時のアテナイの男が女性をどう思っていたかを端的に表す言葉があります。 「肉体の喜びは娼婦が、身の回りの世話は妾が、子孫を生み家を守ってくれるのには妻がいる」 こうした文化の影響か、アテナイは好戦的かつ侵略的。 ペルシャ戦争でペルシャの侵略を跳ね返したまではよかったのですが、デロス同盟を作り、エーゲ海を囲む海洋帝国を築いたあたりから、調子に乗り始めました。 直接民主主義の悪い面も出てきて、政策はあっちにふらふらこっちにふらふら。 軍隊や兵糧を供出しなくてはならない従属下の都市国家からすれば、好き勝手に小突き回されているようなものでした。 自信に満ちたスパルタの女性たち そうした、アテナイにいじめられた都市国家たちが泣きつく先だったのが映画「300〈スリーハンドレッド〉」でも有名なスパルタです。 結局、アテナイを打ち破り、スパルタはギリシャ世界の覇者となります。 しかし、その栄光の影には、親や夫の命令に従うほかしかなかったアテナイの女とは一風違う、自信に満ちたスパルタの女がいたことはあまり知られていません。 スパルタの女性は奴隷に売られて「何の知識があるか?」と尋ねられても「自由な女としてのあり方なら知っています」と答え、意にそぐわないことを命じられたら、自害するほど誇り高く、激しい気性の持ち主たちでした。 彼女たちがこうした誇りを持ちえたのは、自分たちも男と同じ、いやそれ以上にスパルタという国家に貢献しているという強い気概があったためです。 お産で死んだ女たちは、英雄と同じ スパルタといえば「スパルタ教育」の語源となった厳しい軍事訓練でお馴染みですが、女性も少女の頃から男に混じって全裸でランニングやウェイトトレーニング、レスリングに励みました。 この風習は長く続き、ローマがギリシャまで版図を広げた時代、ローマの歴史家がうら若い乙女の集団が素っ裸で元気に駆け巡る姿を目撃してびっくりしています。 かといって、女性を戦場に立たせるわけではありませんでした。 アテナイによって滅ぼされた女戦士集団の教訓もあったのでしょうが、女性はお産という命を懸けた尊い義務を担っているという考えていたからです。 そのため、お産で死んだ女性は、戦場で死んだ男と同じく称賛され、英雄と同じ扱いを受けました。 卑怯未練なふるまいをしたら、文字通り叩き殺されてしまうのです。 たとえば、ある女性は自分の息子が戦場から逃げ出したという知らせを聞きつけると、こんな手紙を送りました。 「あなたについてある悪い噂が広がっています。 今すぐ恥をすすぐか、それとも今すぐ生きるのをやめるか、どちらかを選びなさい」 また、戦場から逃げ出した息子をみずから手にかけた女性の墓にはこんな激烈な詩句が彫り込まれました。 消え失せろ、悪しき子どもは闇の中へ エウロタス河は腰抜けの鹿のためには流れない 無用の犬ころ、役立たず 今すぐハデスのもとに消え失せよ スパルタにふさわしからぬ者など わたしは生んだ覚えがない 他にもすごいお母さんがいて戦場から逃げ帰った息子に自分のスカートをたくしあげながら、 「どこまで逃げるつもりだい!生まれた場所までか!」 きわめつけは家の屋根を修復中に戦場に送ったはずの息子が帰ってくるのを見つけたお母さん。 彼女は久しぶりに会う息子に屋根の上から声をかけました。 「どうしたんだい? 戦況はどうなった?」 息子は母を見上げて答えます。 「全滅です」 「というとスパルタ人は皆死んだのかい?」 「はい」 お母さんは屋根瓦を持ちあげると息子の頭に叩き付けました。 脳漿(のうしょう)を吹きこぼして倒れる息子を見下ろしながら、彼女は一言。 「やれやれ、じゃあおまえは悪い知らせを持ってきた敵の使者ということか」 スパルタの母さんの励まし子育て もちろん、単に罰するだけでなく、息子を励まし勇気を奮い起させることもスパルタの女性の仕事でした。 ある女性は自分の刀が短いと泣き言をいう息子に、 「ならあと一歩踏み出しなさい」 また野戦へと赴く息子にある母は、 「一歩ごとに勇気を奮い立たせなさい」 そして、戦場で受けた傷のため四つん這いでしか歩けなくなった息子が、まわりから嘲笑されて嘆いていると、その背中を撫でてやりなが、 「バカ者に嘲笑われることより、勇ましさを示したという事実の方が、どれだけ素晴らしいことか気づきなさい」 国政にも関わる、8歳の少女 男よりもよほど男らしい女性たちは、国政に口を出すこともできました。 映画「300〈スリーハンドレッド〉」でジェラルド・バトラーが演じた主人公レオニダスの妻・ゴルゴ王妃(こちらはレナ・ヘディが演じていました)は、幼女の頃、歴史に大きな影響を与える忠告を父にしています。 ミレトスの僭主がスパルタをペルシアとの戦争に巻き込むため、使者を送ってきた時のこと。 ゴルゴ王妃は王である父親と使者の交渉に立ち会っていたのですが、相手が「10タラントン」「20タラントン」と金の条件を釣り上げていくのを見かね、黙り込んでいる父親にこう告げました。 「お父さん、すぐにこの人を叩き出しなさい」 スパルタ人にあるまじき金銭欲にとわれていた王もはっと我に返り、まだ8歳!の娘の言う通り使者を叩き出しました。 ゴルゴ王妃は、成長してレオニダスと結婚した後も激しい気性は変わらず、いやむしろ増すばかり。 しかし、レオニダスには心底ほれていたようで、彼が伝説のテルモピュライの戦いに赴く際、「よい夫を見つけ、よい子を生んでくれ」と最後の言葉を告げられた時は、泣き崩れてしまっています。 スパルタの風習は、凛とした女性たちによって成り立っていた スパルタの風習には、ヘタイロイという奴隷への虐待など、野蛮で不合理で無用に血なまぐさいものも含まれています。 最後にゴルゴ王妃がアテナイの女性からどうして「スパルタの女だけが男を支配できるの?」と聞かれたときのエピソードを紹介したいと思います。 彼女はこう胸を張って答えたのでした。 kyoto-inet. html.

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