サリドマイド 薬害 事件。 サリドマイド物語 part1:奇形児を生んだ薬害事件

サリドマイド物語 part1:奇形児を生んだ薬害事件

サリドマイド 薬害 事件

世界では1957年にコンテルガン、日本では睡眠薬イソミンや胃腸薬プロバンM(1958年発売)として販売されたが、 妊婦が服用した場合にはサリドマイド胎芽症の新生児が生まれるが起きたため、日本では1962年9月に該当商品は販売停止された。 その後1965年には、サリドマイドがらい性結節性紅斑に一時抑制効果が確かめられた。 サリドマイド事件から40年後の1998年、(FDA)は、に対する医師の処方薬としての使用を承認した。 1999年には(骨髄がん)への臨床試験が行われ、日本でも2008年 サレドカプセルの商品名で再承認され、使用にあたって「サリドマイド製剤安全管理手順」の遵守の下で処方される。 概要 [ ] の社が開発し、1957年に発売した。 妊婦に催奇形性を起こすメカニズムについては長い間、謎に包まれてたが解明された。 2010年、(東京工業大学)と(東北大学)らにより、サリドマイドがの一つ、E3を構成する ()というと結合してその働きを阻害することが発見された。 その結果、手足の形成を促すタンパク質が阻害されて奇形を引き起こすと考えられている。 化学的性質 [ ] サリドマイドは一般名であり、化合物名は3'- N-フタルイミド グルタルイミドである。 水に溶けにくい針状結晶。 とアミノグルタルイミドの縮合反応により合成できる。 分子の中に1箇所を持ち、R体とS体のが存在する(R体はCAS番号[2614-06-4]、S体はCAS番号[841-67-8])。 光学異性体と薬理作用の関係 [ ] 市販のサリドマイドは等量のR体とS体が混ざったとして合成される。 現在の技術ではR体とS体のによる分離、および一方のみを選択的に合成するも可能である。 1979年には、R体が催眠作用のみを持ち、S体がだけを現すという報告がなされたが 、1994年の報告は、R体のみを投与しても比較的速やかに(半減期566分)動物体内ですると報告している。 妊婦への副作用 [ ] サリドマイドは、1957年に商品名「コンテルガン(contergan)」として市販され、世界で販売された。 日本では催眠作用から「イソミン」として1958年初頭に発売された。 その後「プロバンM」として神経性胃炎の薬として発売され、注意事項にへの処方禁止も無かった。 そのため、各国で妊婦でも服用していた。 薬害サリドマイド禍 [ ] グリューネンタール社のコンテルガンのパッケージ。 - 被害者3,049人• 1957年10月1日 - 社がコンテルガンの商品名で発売。 1961年• 11月18日 - ()が催奇性を学会で報告。 11月26日 - グリュネンタール社が製品の回収を開始。 日本 - 被害者309人• 1958年1月20日 - 大日本製薬(現在の)が独自の製法を開発しイソミンの商品名で販売を開始。 1959年8月22日 - 大日本製薬が胃腸薬「プロバンM」にサリドマイドを配合し販売。 これは妊婦のつわり防止に使用された。 このころから奇形児の発生が報告されるようになり、製薬会社は西ドイツに研究員を派遣するなどして情報収集を始めたにもかかわらず製造を続ける。 1962年• 5月17日 - 大日本製薬が製品の出荷停止。 9月18日 - 販売停止と製品の回収を開始(ドイツでの回収開始から294日後)。 一部の製剤はその後も市中で出回る。 同年末までに被害者がイソミンとプロバンMの製造許可に対しに人権侵害を訴えるが、は「侵害の事実なし」と結論。 1963年6月28日 - 大日本製薬を被告として最初のが提訴される。 1974年10月13日 - で製薬会社および国とのが成立。 11月12日までに全国8地裁で順次和解が成立。 アメリカ• 1960年9月に販売許可の申請があったが(FDA)の審査官がその安全性に疑問を抱き審査継続を行ったため、治験段階で数名の被害者を出しただけだった。 1962年にケルシーはから表彰されている。 その他の国• イギリス - 被害者456人• カナダ - 被害者115人• - 被害者107人• - 被害者38人• 台湾の被害者は、すべて大日本製薬のイソミンとプロバンMによる。 大日本製薬が1億8350万円の損害賠償金を支払うことで、和解が成立した。 法改正 [ ] サリドマイド事件は、1962年のアメリカのの改正につながり 、医薬品の承認において「」にて有効性を示すことが必要となった。 これをうけて日本でも1967年に同様に改正される。 また、サリドマイドでは安全性の試験について捏造や虚偽があったため、アメリカで1978年にはという、臨床試験における安全性の信頼性を確保するための基準が制定された。 再評価 [ ] 1965年、のが偶然患者にとしてサリドマイドを処方したところ、らい性結節性紅斑の改善がみられたことを報告した。 1998年には、アメリカ食品医薬品局(FDA)がハンセン病の急性症状として、らい性結節性紅斑(2型らい反応あるいはENLともいう)の一時抑制薬として、同時に副作用防止の登録制の管理システムの下で承認した。 ハンセン病(らい病)の患者が多いでも、再びサリドマイドが、らい性結節性紅斑(ENL)一時抑制薬として認可された。 また1994年に、サリドマイドには阻害作用があることがわかった。 これは奇形を発生させる原因となっている可能性がある一方、がん組織へのの成長を阻害するとの仮説から着目され、抗がん作用について、1999年に(骨髄がん)への臨床試験が行われ効果が認められた。 サリドマイドが奇形を引き起こすのは、胎児の手足の末端のが阻害されて十分に成長しないためであると考えられている。 現在では、この仮説に着目してとしての利用が試みられている。 2005年1月21日、厚生労働省薬事・食品衛生審議会は、による申請を受けてサリドマイドをに指定した。 藤本製薬は2005年8月からサリドマイドを多発性骨髄腫の治療薬として、治験を開始すると明らかにした。 同社は2006年6月30日に治験を終え、8月8日、厚生労働省に製造販売の承認申請を行った。 申請を受けて厚生労働省は、安全管理方策について「サリドマイド被害の再発防止のための安全管理に関する検討会」および医薬品等安全対策部会において検討を行い、2008年9月18日に以下の条件の下でサリドマイドの製造販売を再承認する方針を明らかにした。 承認を申請した藤本製薬が、患者・医師・薬剤師を登録し、処方量や服用量を管理する。 妊娠の可能性のある患者には、処方の前に妊娠の有無を検査する。 飲み残さず、不要になったら返却する。 2008年10月3日、厚生労働省「薬事・食品衛生審議会 薬事分科会」は、「藤本製薬によるサリドマイド製剤の治療薬としての製造販売承認を可として差し支えない」とへ答申した。 2008年10月16日、厚生労働省は、多発性骨髄腫の健康保険適応の治療薬としてサリドマイドの製造販売を承認した。 しかし、藤本製薬の発売する同薬は安全管理のためとして、サレドカプセル100は1錠6,570円の価格(同様の安全管理を行う英国の10倍程度)となった。 薬害防止への観点から、日本での使用では「サリドマイド製剤安全管理手順」 Thalidomide Education and Risk Management System: TERMS の遵守が求められている。 日本への個人輸入は、医師の指示がない限り禁じられている。 研究事例 [ ] その他サリドマイドは、さまざまな疾患への効果が期待されている。 の増殖抑制• 性網膜症と黄斑変性症の予防• 各種のがんに対する抗がん作用• 吉森こずえ の1つ「」の1981年に「」 で紹介された。 料理も足だけでできる。 2006年3月までに勤務。 現在は講演会等で活躍。 ドキュメント映画『』が制作された。 増山ゆかり 構成員。 に所属し、講演会等で活躍。 の歌手。 身長134cm。 () のミュージシャン、俳優。 () のラジオキャスター。 () 出身のギタリスト。 腕が無く、足だけで演奏する。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 村崎充邦、日本睡眠学会編集「睡眠学の歴史と現況」『睡眠学』朝倉書店、2009年2月、649-651頁。 日経メディカル処方薬事典. 日経メディカル処方薬事典. 2020年5月6日閲覧。 ; Ando, H. ; Suzuki, T. ; Ogura, T. ; Hotta, K. ; Imamura, Y. ; Yamaguchi, Y. ; Handa, H. 2010. 327 5971 : 1345—1350. 朝日新聞. 2010年3月12日. の2010年5月29日時点におけるアーカイブ。 2016年8月25日閲覧。 naturejapnjobs 2010年4月22日. 2016年8月25日閲覧。 Blaschke, H. Kraft, K. Fickentscher, F. Kohler 1979. Arzneimittelforschung 29: 1640-1642. Knoche, B. ; Blaschke, G. 1994. Journal of Chromatography A 666 1-2 : 235—240. Nishimura, Koji; Hashimoto, Yuichi; Iwasaki, Shigeo 1994. ALPHA. -Methyl-N. ALPHA. -phthalimidoglutarimide, but Not Its R -Form, Enhanced Phorbol Ester-Induced Tumor Necrosis Factor-. ALPHA. Production by Human Leukemia Cell HL-60: Implication of Optical Resolution of Thalidomidal Effects. Chem. Pharm. Bull. 42 5 : 1157—1159. 藏並潤一「」『日本薬理學雜誌』第139巻第3号、2012年3月1日、 109-112頁、 :、。 安井耕三、「」 『日本臨床免疫学会会誌』 2010年 33巻 5号 p. 229-233, :• 薬物療法 TOPICS No. 40 宮崎大学医学部附属病院薬剤部• 2008年9月19日朝刊• 厚生労働省報道発表資料、2008年10月3日• 「」 厚生労働省医薬食品局 監視指導・麻薬対策課 2012年3月更新. 厚生労働省. 2018年2月18日閲覧。 British Medical Association 2005年No. 54(2005年4月号)P. 540-545 膵癌によるカヘキシーへのサリドマイド有効性のランダム化試験報告• 参考文献 [ ]• Rock Brynner, Trent Stephens著『神と悪魔の薬サリドマイド』本間徳子 訳 日経BP社 2001年 取り扱った小説 [ ] 著『ストロング・メディスン』 関連項目 [ ]• - サリドマイドの誘導体• - プロテアソーム阻害剤• - の初期のミステリー小説で本作でサリドマイドにまつわる問題点を提起している。 第11回受賞。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキニュースに関連記事があります。

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サリドマイドの光学異性体の謎を完全解明 名古屋工業大学の研究

サリドマイド 薬害 事件

サリドマイドパラドックスという言葉がある。 薬害事件で有名だが今も現役の薬剤として使い続けられているという複雑な歴史を持つサリドマイドという薬剤の、副作用を引き起こす光学異性体の存在に関する謎について記述するための概念だ。 名古屋工業大学の柴田哲男教授らは、このサリドマイドパラドックスの謎に完全な説明を与えることに成功した、と発表した。 【こちらも】 サリドマイドは非バルビツール酸系の化合物であり、睡眠薬としての利用をはじめとする様々な治療効果と、妊婦が服用した場合の胎児への恐るべき催奇形性がある。 1957年に西ドイツ、1958年には日本でも発売され、恐ろしい薬害事件を引き起こし、数年後に販売が停止された。 しかし、その医薬品としての価値は今も衰えておらず、1998年アメリカで、日本でも2008年にサレドカプセルの名で、再度医薬品としての使用が始まった。 このあたりの仔細については容易に本にまとめられる内容となるため、詳述は他に譲るとしよう。 さて、大きな社会的注目を浴びたということもあり、その後サリドマイドを多くの人が研究した。 中でも重要であったのはミュンスター大学のBlaschke教授による1979年の報告である。 簡単に説明すると、サリドマイドには右手型と左手型の光学異性体があり、左手型だけが催奇形性を持つのだ、という発見である。 ならば右手型だけを合成すれば安全なサリドマイド薬が作れるのではないかというのは当然の論理的帰結であり、実際に不斉合成という手段を用いてそれが作られた。 だが今日売られているサリドマイド薬がそういうタイプのサリドマイド薬なのかというとこれがそうではない。 実は、右手型のサリドマイド薬を投与すると、体内でまた左手型が発生してしまうということが明らかになったからである。 となると、Blaschke教授が発見したはずの安全な右手型 治療データはもちろん提示されていた とは何だったのか、という問題になる。 これがサリドマイドパラドックスである。 最終的な結論は簡単にまとめるが、実は右手型を投与すると体内で左手型は確かに発生するが、これはほとんど吸収されることなく体外に排出されるのだ、というのが柴田教授の結論だ。 研究の詳細については、Scientific Reportsをご参照いただきたい。 (記事:藤沢文太・).

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サリドマイドとは

サリドマイド 薬害 事件

このページの目次です• はじめに 今まさに、新型コロナウイルス感染症の治療薬として、催奇形性を有するアビガン錠(抗インフルエンザウイルス薬)が今月(2020年5月)中にも追加承認されようとしています。 しかしながら、科学的な根拠に基づいた手続きがなされているのかどうか不透明です。 ワイドショーでは、アビガン錠投与を受けた著名人による「使った、治った、助かった」という感想が流されました。 ただし今現在、「アビガン「有効性判断には時期尚早 臨床研究継続」新型コロナ」(NHK NEWS Web 2020年5月20日 14時37分)というのが現状のようです。 そうした状況の中で、サリドマイド被害者ご本人からメールを頂きました。 初めての経験です。 この方は、「サリドマイド訴訟に加わることも和解後の認定を受けることもしなかった」、つまり未認定の方です。 このページの各項のリンク先が電子書籍の原稿素案となっています。 ご参考にしてください。 当Webでは、保険薬局のパート薬剤師として手の届く限りではありますが、とことん事実関係を追及しています。 そして、それをできる限り正しい用字用語で表現するように試みています。 サリドマイド事件とは(世界最大の薬害) サリドマイド事件とは、睡眠・鎮静剤サリドマイド(化合物名:N-フタリル・グルタミン酸イミド)を妊婦が服用することによって、胎児(正確には胎芽)に四肢短縮などの障害(奇形)を生じた世界的な薬害事件(1950年代後半から1960年代初頭にかけて)のことを言います。 サリドマイド(thalidomide、化学式:alpha-ph[thal]-im[ido]-glutari[mide])を開発したのは、グリュネンタール社(西ドイツ、当時)です。 サリドマイド製剤は、西ドイツで商品名「コンテルガン」として発売(1957年10月1日)以来、提携会社を通じて世界46か国で販売されていました。 ところが、販売開始から丸4年後(1961年11月15日)、サリドマイドの催奇性を疑うレンツ警告(西ドイツ)が出され、同剤は直ちに先進国の市場から姿を消しました。 サリドマイド製剤は、日本国内でも販売されました。 しかしそれは、西ドイツから導入されたものではありません。 日本国内のサリドマイドは、大日本製薬(株)が独自の製法を用いて合成を行い、1958年1月20日(昭和33)、睡眠・鎮静剤「イソミン」(単剤)として販売を開始しました。 大日本製薬(株)は、1960年8月22日(昭和35)、胃腸薬「プロバンM」(合剤)を追加発売しました。 その内容は、抗コリン薬の臭化プロパンテリンに少量のサリドマイドを配合したものでした。 なお、サリドマイド製剤はそのほかのメーカーからも発売されました。 もちろん自分で利用することもあれば、書き込みをすることもあります。 あるまとまったページを立ち上げて公開もしています。 日頃の感謝を込めて、時々インターネット上で寄付をしたりもします。 そんな私でも、以下のような文章をみると、怒りがこみ上げてきます。 「西ドイツでは、幼児用の睡眠薬として市販されていたため、約3000人という特に被害が大きかったとされる」。 意味不明、支離滅裂な文章です。 以下、蛇足ながら書いておきます。 サリドマイド被害児は、自分の母親の胎内にいる時に、母親がサリドマイド製剤を服用したことによって被害を受けました(奇形を生じました)。 このことを、サリドマイドには催奇形性があると言います。 つまり、幼児用の睡眠薬を飲まされた幼児が奇形になることは決してありません。 幼児用の睡眠薬が市販されていたことと、サリドマイド児の被害が大きくなった(人数が多くなった)こととの間には何の因果関係もありません。 妊婦にも安全だと称して、妊婦にサリドマイド製剤を飲ませたことが間違いだったのです。 レンツ警告(サリドマイドの催奇形性を疑う) レンツ警告は、1961年11月15日(昭和36)、レンツ博士(西ドイツ、ハンブルグ大学小児科講師)によって発せられました。 その内容は以下のとおりです。 レンツ警告(グリュネンタール社への電話): サリドマイド(商品名:コンテルガン)が、1960年代初頭に西ドイツで多発していた新たな奇形の原因である可能性が極めて高く、したがって、直ちに全製品を回収すべきである。 これに対して、レンツ警告=11月18日(地方学会での発言)とする資料が数多くあります。 例えば、日本のサリドマイド裁判で弁護団に加わった更田義彦(弁護士)は、次のように述べています。 明らかに、レンツ警告=11月18日説です。 1961年11月、ドイツのW. レンツが、地方小児科学会で、最近の新生児に見られる四肢の欠陥について「ある特別の薬(サリドマイド)がこの原因になっているのではないか」と発言して、警告を発した。 この警告は、海外では大きな反響を呼び起こし、速やかに販売の停止、回収等の措置が講じられた。 hab. その理由について、レンツは日本のサリドマイド裁判で次のように証言しています。 以前に会社に対して警告をいたしましたので、彼らが市場からその薬品を回収できる時間を与えるべきではないかといった気持でこのことを公開しなかったのだと思います 上記証言の中の「以前に会社に対して警告をいたしました」とは、1961年11月15日、レンツ博士がグリュネンタール社に電話したことを指しています。 つまり、レンツ博士が、グリュネンタール社に直接電話(11月15日)して詳細を伝えたのは、レンツ博士が地方学会で簡単な発言(11月18日)をする前のことです。 グリュネンタール社は、11月15日の電話を受けた時点で、後日レンツ博士を訪問することを約束してそれを実行しました。 さらにその後、何はともあれ速やかにサリドマイド製剤の回収を決定しました。 レンツ警告とは、11月15日の電話を指すと考えるのが妥当です。 なお、「レンツ博士・コンテルガンについて学会発表(11月18日)」などとする資料もありますが、この学会上では、コンテルガンの名前は出されていません。 再度確認しておきます。 疫学とは、広辞苑2008(第六版)によれば、「疾病・事故・健康状態について、地域・職域などの多数集団を対象とし、その原因や発生条件を統計的に明らかにする学問」としています。 サリドマイド事件の場合には、症例対照研究(後向き研究)として行うことになります。 つまり、「ある疾病にかかった群(症例群)とかかっていない群(対照群)を設定し、両群における過去の生活習慣の状況を比較する方法」です。 そしてその上で、必要に応じた素早い対応を取ることが求められます。 レンツの偉大さは、サリドマイド児を自ら一例ずつ調査して回り、「奇形の原因としてコンテルガンが極めて疑わしい」ということを、短期間のうちに探り当てたことにあります。 そしてそれに基づき、「コンテルガンを直ちに回収すべきである」という見解を示した点にあります。 レンツは、専門知識・臨床経験をフルに発揮して、疫学調査を忠実に実行したのです。 レンツ警告の意義は、「疫学調査とその統計学的な処理及び具体的な対策」を示したことにあります。 この時点で、母親がコンテルガンを服用したことが確実な症例は、ごくわずかしか集まってはいませんでした。 もちろん、サリドマイド胎芽病そのものについては、まだよく分かっていませんでした。 ただしこの段階で、「メカニズムは未解明」であることには何の問題もありません。 なぜならば、疫学とは、メカニズムの解明よりも何よりも先に、「目の前にある問題を解決するために、今すぐやるべきことは何か」を解明する学問だからです。 これに対して、Wikipedia「サリドマイド」の「薬害サリドマイド禍」の項では、次のように述べています。 ただしこの報告は疫学的因果関係のみでメカニズムは未解明)から先天異常「サリドマイド胎芽症」や胎児死亡といった催奇性と因果関係があるとされ、日本では1962年9月に販売停止と回収が行われた。 レンツ警告(疫学調査に基づく警告)に対して、「ただしこの報告は疫学的因果関係のみでメカニズムは未解明」と評価するのは意味の無いことです。 疫学調査には、メカニズムの解明までは求められていないからです。 コレラの流行に学ぶ ロンドン(英国)のソーホー地区で、1854年8月末にコレラが発生し、約半月後には同地区の死亡率は12. 8%に達しました。 この大疫病をわずか1か月あまりで終息させたのが、医師のジョン・スノーです。 スノーは、地区の事情に詳しい副牧師ヘンリー・ホワイトヘッドの協力を得て、1軒1軒個別訪問を重ねて原因を追究しました。 そして、ブロード・ストリートにあるポンプ井戸の水が怪しいと見当を付けました。 スノーは、直ちに行政当局にポンプの柄を撤去させました。 そしてその結果、9月末までには流行は終息しました。 この時問題となったのは、「ポンプ井戸の水」です。 しかしながら、コレラの真の原因である病原体としてのコレラ菌は、事件の30年後の1884年になって、ロベルト・コッホによって発見されました。 コレラの大流行という目の前の問題を解決するために必要だったのは、「汚染された水」が原因であることを速やかに探り当てることでした。 そして、その汚染水を供給できなくすることでした。 その時に、メカニズム(コレラの真の原因はコレラ菌という病原体である)の解明までできていたわけではありません。 既に西ドイツでは販売中止(及び回収決定)になったことも同時に伝えられました。 大日本製薬(株)は、1961年12月6日(昭和36)、厚生省と協議したものの「有用な薬品を回収すれば社会不安を起こす」として、販売を続行しました。 そしてこれが、わが国でのサリドマイド事件の第一報とされています。 つまり、レンツ警告から約半年間、日本国内での報道は一切ありませんでした。 ところで、この時の朝日新聞記事(翌日朝刊)では、日本にはまだサリドマイド児は存在しないことにされてしまいました。 レンツ警告から半年もの間、大日本製薬(株)、国(厚生省)そして新聞をはじめとするマスコミは、本当に何のデータも得ることはなかったのでしょうか。 いずれにしても、出荷停止の措置は取られたものの、既に出荷された商品は回収されることなく、そのまま薬局で売られ続けました。 当然被害は拡大し続けました。 なお、木田盈四郎著『先天異常の医学~遺伝病・胎児異常の理解のために』(中公新書1982年刊)p. 142では、大日本製薬(株)は「イソミンとプロバンMを一時的に出荷停止(5月12日)」したが、「日本の新聞は記事にしなかった」と断言しています。 木田盈四郎(帝京大学医学部教授)は、日本のサリドマイド裁判では原告側証人として出廷した経験を持ち、後にサリドマイド福祉センター「いしずえ」の顧問まで務めました。 日付の間違いはともかくとして、見過ごすことのできない事実誤認です。 梶井博士は、自験例7例をいきなり英国の医学雑誌「The Lancet(ランセット)」(1962年7月21日発行)に投稿しました。 そしてその後、北海道の小児科学会地方会で発表(8月26日)しました。 その内容をスクープしたのが、読売新聞記事「日本にも睡眠薬の脅威」(1962年8月28日付け)です。 読売新聞スクープによって、日本国内のサリドマイド問題は一気にクローズアップされることになりました。 そしてその2週間後(9月13日)、大日本製薬(株)はイソミンとプロバンMの販売中止(及び回収)に踏み切りました。 レンツ警告(1961年11月)から遅れること約10か月後のことです。 注)梶井博士のランセット掲載(1962年7月)に続く地方会での発表(8月26日)、そして読売新聞スクープ(8月28日)あるいは販売中止(9月13日)の日付を時系列で正確に伝えている資料は極めて少ない。 レンツ警告後、日本国内での販売中止とそれに続く回収作業が大幅に遅れた間にも、多くの患者が発生しました。 レンツ警告後のサリドマイド児数は、日本が世界で一番多くなっています。 国・製薬企業共に、レンツ警告の意義「疫学調査とその統計学的な処理及び具体的な対策」を理解していなかったと言えるでしょう。 東京都立築地産院において、サリドマイド児3例を経験していたのです。 その事実はメーカーにも報告されたということですが、その情報が生かされた形跡はありません。 厚生省が初めて被害調査を開始したのは、イソミン/プロバンMの販売中止(そして回収)が決定した翌日(1962年9月14日)のことです。 そして、その2年後の1964年7月、森山豊東大教授による「日本先天異常学会のアンケート調査(936症例)」が新聞紙上で発表されました。 このアンケート調査では、耳や指の奇形、そしてプロバンMは調査対象外でした。 また、アンケート調査(全国の産婦人科医と助産婦が対象)の精度について懸念の声が挙がったものの、個別の患者ごとの詳しい聞き取り調査は結局行われませんでした。 ただし、プロバンMの販売量推移及びプロバンMによる被害児数の推移データは公表されていません。 とは言え、レンツ警告(1961年11月)後もイソミンの販売量は減ることなく、翌年1962年1月から出荷中止となる5月まで、イソミン・プロバンM共に販売量がピーク状態にあったことは間違いありません。 その結果、その8か月後(1962年9~12月/1年を4か月単位で区切っている)で最も多くの被害児が生まれています。 胎児(胎芽)がサリドマイドの影響を受けてから生まれるまで、最大で約8か月と考えることができます。 そこでもし仮に、サリドマイドの全面回収が、レンツ警告(1961年11月)が出された年の間に完了したとするならば、1962年9月以降サリドマイド胎芽症が発症することはなかったと考えられます。 日本では、先進諸国と比べて販売中止(及び回収)の決定が遅れたため、被害が拡大しました。 日本のサリドマイド事件のもう一つの特徴として、死亡率が高い(生存率が低い)ことや重症度が低い(下肢の障害が少ない)ことが挙げられます。 その理由として、無事に生まれたサリドマイド児を死産扱いとしたケースのあることが示唆されています。 FDA(米国食品医薬品局)のフランシス・ケルシー博士が、米国メレル社の発売申請(1960年9月8日付け)に待ったを掛け続けたためです。 その間当然ながら、発売を急ぐメレル社とケルシーとの間で激しいやり取りが交わされました。 (米国での販売予定名:ケバドン) その内幕は、レンツ警告の翌年に「ワシントン・ポスト」紙(1962年7月15日付)の記事で初めて明らかにされました。 そして、時の米国大統領ジョン・F・ケネディは、ケルシー博士を米国の救世主としてたたえ、大統領勲章を贈りました(同年8月4日)。 ケルシーは薬理学者でした。 そうした彼女の目には、ケバドンの申請資料は「安全性を示す動物実験が不十分に見えた」。 そこで「追加データを求め、承認を保留にした」のです。 (「」内引用、朝日新聞記事:1994年11月1日付け) つまり、最初にケルシーが指摘したのは、安全性を示す動物実験が不十分だったことにあります。 そしてその後、多発神経炎の記事を読んで、催奇形性に注目したというのが真相のようです。 つまり、サリドマイドには催奇形性があります。 ただし、場合によっては、四肢よりも耳の障害が強く出ることもあります。 また、障害は内臓まで及ぶことも見逃せません。 なお世界的に見ても、その当時、新薬の催奇形性試験が〈義務〉付けられていなかったことは確かです。 しかしながら、ある種の薬物などに催奇形性があることは当時から既に世界的な常識でした。 したがって、サリドマイドを妊婦にも安全だとして宣伝していた以上は、当時の世界的な学問水準に基づいて、サリドマイド発売前の催奇形性試験は必須だったと言えるでしょう。 そして、それらを裏付ける数多くの資料によって、サリドマイド仮説は証明されたと言えます。 1)「奇形児と非奇形児の間で統計的にもっとも差のある因子は、妊娠初期におけるサリドマイドの服用である。 すなわち、前者の母親には、妊娠初期にサリドマイドをのんだ確証のあるものが多いのに対して、後者の母親にはそれが少ない(レンツ博士)」。 (増山編1971,吉村pp. そして逆に、売り上げ低下とともに減少した。 全てのサリドマイドが回収されて以降、再び同様の奇形を見ることはなかった。 なお、サリドマイド未発売国における同様の奇形は、治験薬によるものなどが少数例あるのみである。 なお、日本での認定患者(生存者)は309名です。 つまり、例えば四肢に育つ組織に血管が作られず、手足の正常な形成が阻害されてしまうことになります。 日本のサリドマイド裁判、そして「いしずえ」 日本のサリドマイド裁判(民事訴訟)は、1963年6月28日(昭和38)、被害者家族が大日本製薬(株)を相手に、損害賠償請求訴訟を名古屋地裁に提訴したことに始まります。 そしてその後、京都(1964年12月)、東京(1965年11月)などが続き全国で8地裁となりました。 当初は、各地域ごとの訴訟団の連絡はなかったものの、間もなく各弁護団、原告団の連絡組織が作られ、東京が中心となってリーディングケースとして訴訟を進めることになりました。 そしてそれを受けて、証人尋問(原告側・被告側)が、1971年2月から1973年12月まで約3年にわたって行われました。 そして被告側は、1973年12月14日(昭和48)、因果関係と責任を全面的に認め、正式に和解申入れを行いました。 それは間もなく、財団法人「いしずえ」として設立が許可されることになります。 「いしずえ」の取り組みとして、「サリドマイド被害者の健康管理と福祉の増進、被害者の交流、薬害防止等に関する事業」(いしずえWebホームページ)が挙げられています。 その中で、薬害防止などに関する事業については、サリドマイド復活問題、学校教育への協力、他団体との交流・連携が挙げられています。 その後の研究によって、サリドマイドはステロイドを上回る効能・効果(免疫抑制作用、抗炎症作用)を有する薬剤として臨床応用が進んでいます。 そしてついに日本でも、2009年2月(平成21)、サリドマイド製剤の販売が再開されました(効能・効果は再発又は難治性の多発性骨髄腫)。 さらにその後、らい性結節性紅斑に対する「効能・効果」及び「用法・用量」が追加承認されました。 これによって、催奇性を軽減させたより優れた新薬開発への道が開かれたことになります。 さらに大阪大学は、2016年9月8日(平成28)、「レナリドミド(サリドマイド誘導体)による抗炎症作用のメカニズムを解明することに成功」したと発表しました。 今後、炎症性自己免疫疾患(関節リウマチなど)にいかに応用していくか注目されます。 いずれにしても、今後研究を進める上で、徹底した副作用対策(多発神経炎や胎芽病)が欠かせないのは言うまでもありません。 サリドマイド事件(半世紀後の今) サリドマイド事件から半世紀以上が経過しました。 その間、2005年(平成17)までに、日本での認定患者309名のうち12名の方が既に亡くなっているそうです。 その原因は、交通事故や肝障害、心不全、突然死、心の病など多岐にわたっています。 また、患者が年齢を重ねるごとに、四肢・耳などの障害による日常生活動作の不自由さや、内臓まで障害が及んでいることによる健康不安が高まっています。 サリドマイド事件は決してまだ終わってはいません。 当Webは頻回にブラッシュアップしており、それらを反映したマイナーチェンジ版を随時出版しています(日付もそれに合わせて表示しています)。 なお、今まで大きな改訂(版の改訂)を行った場合でも、アマゾンの書籍コード(10桁のASIN)は一度も変更していません。 したがって、既にご購入済みの方でも、必要に応じてすぐに入れ替えてお読みいただけるはずです。 関連URL及び電子書籍(アマゾンKindle版) 1)サリドマイド事件全般について、以下で概要をまとめています。 (現在の詳細ページ数、20数ページ) 2)サリドマイド事件に関する全ページをまとめて電子出版しています。 (アマゾンKindle版) 『サリドマイド事件(第4版)』 世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか www. amazon. Web管理人 山本明正(やまもと・あきまさ) 1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師) 1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社 入社 2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職 2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム) 2020年4月(令和2)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム).

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