予言一覧。 世界最高予言者「ババ・ヴァンガ2020年の予言」完全大公開! 日本に巨大地震、経済崩壊で一億総ど貧困、隕石落下で人類滅亡!

【ノストラダムスの予言】未来の日本で地震や戦争は?豚の友人とは?

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com 《本記事のポイント》• 大川総裁の霊言でパンデミックを予想したケイシー• 「経済の中国依存」も予言されていた• 本書で語られた日本へのアドバイスとは? 20世紀アメリカの心霊治療家エドガー・ケイシー 1877~1945年 といえば、催眠状態で病気の治療法や人生相談などについて数多くの「リーディング」を行ったことで有名だ。 「眠れる予言者」と呼ばれた彼のリーディングは、「イギリスからのインド独立」「アメリカがもう一つの勢力と世界を二分してリーダーシップをとり、西洋文明諸国の中心となること」など、世界情勢に関わるものも含まれていた。 大川総裁の霊言でパンデミックを予想したケイシー 大川隆法著 幸福の科学出版 死後、エドガー・ケイシーの霊は、大川隆法・幸福の科学総裁を通じて何度も霊言を行っている。 その中でも様々な予言が語られているのだが、本欄で紹介したいのは、2010年6月1日に収録、同年7月7日に刊行された『エドガー・ケイシーの未来リーディング』 幸福の科学出版 における、次のような言及である。 「 十年もたたないうちに、手が打てない新しい病気が流行っていることが分かるでしょう。 中略 空気感染をする病気でも、予想外の感染力を持ったものが出てきます。 例えば、あなたがたも、花粉症でマスクを付けて歩いていたら、ほとんど仕事ができないでしょう? そのような状態になって、ほとんどの人がマスクを付け、酸素ボンベを背負って歩いている生活を想像してみてください」 世界を騒がせている新型コロナウィルスのことを指しているように見える。 2010年から10年後なので、ちょうど今の時期だ。 そしてその感染力も、現実と符合している。 世界中で、多くの人がマスクをつけて歩いている状況になっている。 「経済の中国依存」も予言されていた そんな恐るべき内容を含む本書だが、日本と中国との関係について"10年越し"の警告がなされている。 ケイシー霊は、中国の最も大切な戦略は、日本に「 中国寄りの政権を続けさせること」と、「 財界の中国シフト、すなわち、中国依存の度合いが高まって抜けられないようにしておくこと」だと指摘している。 日本政府は、4月に予定されていた習近平国家主席の国賓訪日に配慮して、中国からの入国制限を徹底せず、いたずらに国内感染を拡大させた。 現在の日本政府は歯がゆいほどに「中国寄り」である。 中国に多くの企業が進出し、中国人観光客に依存した現在の日本経済の現状も、中国政府のもくろみ通りだ。 本書で語られた日本へのアドバイスとは? 本書にはジョン・F・ケネディ元大統領の暗殺を予知したことで有名なジーン・ディクソンの霊言も収録されている。 そこには、日本が中国の植民地になりたくなければ"あること"を実行するようにアドバイスされている。 その内容は、あえてここには書くまい。 『エドガー・ケイシーの未来リーディング』は、刊行10年目にして、あらためて「必読の一書」となっている。 ケイシーはコロナ・パンデミックをどう見るか.

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イルミナティカードがコロナウイルスや東日本を予言!5月11日の大地震も?

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来るべき時に備えるためにも、我々人類は終末予言に対し、真摯に耳を傾けるべきである。 (以下、謎解きに続く) 謎解き 実は終末予言というのは、これまで非常に多く予言されてきた。 しかし今あなたがこのページを見ていることが証明しているように、世界はまだ終わっていない。 つまり、 いまだかつて1つも当たったものがないのだ。 以下では、それらのもっともらしいことを言いながら、見事に外してしまった残念な予言の数々をご紹介しよう。 世界はとっくに終わっているハズだった ここでは紀元後のものに絞って紹介する。 一応、今後の結果待ちの予言も入れておいた。 世界が終わるor世界的な大災害が起きるはずだった年 予言した人物・団体 備考 170年 モンタヌス、プリスカ、マクシミラ 3人ともキリスト教徒 992年3月25日 ベルナルト ドイツの修道士 999年 キリスト教徒 西暦1000年を迎える前に世界が終わるという信仰があった。 1033年 キリスト教徒 キリストの死から、ちょうど1000年目にあたると考えられたことから終末の年とされた。 財産を処分してしまった人がいた。 1186年9月 トレドのヨハネ ドイツの占星術師。 全惑星が天秤宮に集まり、天秤宮は 「風の宮」なので、全世界的な大災害が生じると予言した。 この予言を受け、ビザンチン帝国の皇帝は城の全ての窓を閉鎖し、カンタベリー大司教は贖罪を呼びかけた。 1335年 アルノウ・ド・ヴィルヌーヴ フランスの高名な錬金術師 1500年 アゴスティーノ・ニフォ オーストリアの占星術師 1524年2月1日 ロンドンの占星術師グループ 大洪水をきっかけに世界は終わると予言。 1月の中頃までに、少なくとも2万人以上の人々が家を捨て高地へと移った。 ハズれた後は、 実は計算を間違っていたと言いだし、世界が終わるのは1624年だと修正した。 1524年2月20日 ヨハネス・シュテフラー ニコラス・マリー ドイツの占星術師。 この日、火星、木星、土星が双魚宮に集まり、双魚宮は 「水の宮」なので、世界的な大洪水で世界は終わると予言。 ドイツでは パニックによって数百人が死亡したが、結局2月は その年で最も雨の少ない月だった。 1528年 ヨハネス・シュテフラー しょうこりもなく2度目の予言。 結局、恥の上塗りだった。 1532年 フレデリック・ノウゼア ウィーンの司教。 この年、彼のもとに異常気象の報告が相次いだことから世界の終わりだとした。 1533年 メルヒオール・ホフマン キリスト教再洗礼派の指導者。 予言を信じて、 全財産を売り払ってしまった信者もいた。 1533年 10月3日 ミハエル・シュティッフェル ドイツの数学者、修道士。 この日の午前8時に世界が終わると予言。 結局、予言はハズれたことから教会での仕事を失った。 1534年2月 ヤン・マティス キリスト教再洗礼派の指導者。 1533年のホフマンの予言がハズれたため、同じ教派のマティスがこの年の2月に延期を宣言。 しかし 結果は同じだった。 1537年 ピエール・チュレル フランスの占星術師。 この年の他に 1544年、1801年、1814年の計四つを候補として予言。 1544年 ピエール・チュレル チュレルがハズした第二の予言。 1583年4月28日 リチャード・ハーヴィー 木星と土星が同じ位置に並ぶため、終末的大洪水で世界は滅ぶと予言。 1584年 シプリアン・レオビッツ ボヘミアの占星術師。 1614年 シプリアン・レオビッツ 1584年の予言をハズしたあと、この年に変更したが結果は変わらなかった。 1624年 ロンドンの占星術師グループ 1524年の予言を外したあと、 実は計算を間違っていたと主張したが 結局こちらも外れた。 1648年 サバタイ・ツヴィ ユダヤ教の予言者。 1648年か1666年に世界が終わると予言。 両方ともハズした。 1654年 ヘリサエウス・ロースリン ドイツの医師、占星術師。 世界中が火に包まれて終わりを迎えると予言。 1658年 クリストファー・コロンブス ヨーロッパの探検家。 聖書の年代の研究から予言。 1665年 ソロモン・エックルズ クエーカー教の予言者。 この年に大流行したペストが世界を終わりに導くとした。 「黙示録」の解釈から、この年か1688年に、最後の審判が下ると予言。 1704年 ニコラス・デ・クーザ カトリック教会の枢機卿。 1719年5月19日 ヤコブ ジャック ・ベルヌーイ スイスの数学者、物理学者。 ベルヌーイの定理で有名なダニエル・ベルヌーイの叔父。 この日に現れる彗星により、世界は恐るべき破壊に見舞われると予言した。 1736年10月13日 ウィリアム・ウィストン イギリスの数学者、聖職者。 ロンドン市民はパニックになったが、結局何も起きなかった。 1757年 エマヌエル・スウェーデンボルグ スウェーデンの科学者、神秘思想家。 彼の神秘思想はスピリチュアリズムの源流のひとつとなった。 1761年4月5日 ウィリアム・ベル イギリスの軍人。 この年に起きた二つの地震をもとに世界の終わりを予言。 ロンドンではこの予言を信じた市民がパニックになった。 しかし問題の日に世界が終わらなかったことがわかると、怒った市民たちはベルをロンドンのベツレヘム精神病院に収容させた。 1801年 ピエール・チュレル チュレルがハズした第三の予言。 1814年 ピエール・チュレル チュレルがハズした最後の予言。 1820年 10月14日 ジョン・ターナー イギリスの予言者。 1842年3月17日 ジョン・ディー イギリスの占星術師、錬金術師。 1843年1月3日、 7月7日 1844年3月21日、10月22日 ウィリアム・ミラー 聖書の『ダニエル書』と『黙示録』の解釈から、キリストの再臨と世界の終わりを予言。 外すたびに計算間違いがあったと日付を修正したが、 結局全部ハズれた。 1866年 イーサン・スミス アメリカの牧師。 1881年or1911年 チャールズ・ピアッツィ・スミス オカルト的ピラミッド研究者として有名な、エディンバラ大学の天文学者。 エジプトにあるクフ王のピラミッドの通路は、その長さが世界の歴史を象徴したものだと主張した、ロバート・メンジスの説を発展させ、世界の終わりを予言した。 現在でも追随者は多くいる。 1889年3月8日 1891年3月8日 エブ ロシアのキリスト教メノナイト派の信者。 この日の予言を外した後、 日付を読み間違えたと言い出して世界の終わりを91年3月8日に変更。 しかし、その予言も外した。 1899年 アイザック・ニュートン 万有引力の発見で有名なイギリスの科学者。 聖書の『ダニエル書』と『ヨハネの黙示録』をもとに終末の年を計算。 1899年は複数示した候補のひとつ。 1900年11月13日 赤き死の兄弟姉妹 ロシアで200年の歴史を持っていた小宗派。 1908年10月 リー・スパングラー 1910年5月19日 カミーユ・フラマリオン この日に地球はハレー彗星の尾の中を通過することから、世界中でパニックになった。 フラマリオンはSF小説の内容を紹介しただけだったが、この話は拡大生産されてしまった。 当時のローマ教皇ピオ10世までこの話を煽るようなメッセージを発表し、 悲観した者の中には自殺者も出た。 1914年10月 チャールズ・テイズ・ラッセル 「エホバの証人」の創始者。 聖書の解釈と、ピラミッドの寸法の計算をもとに予言。 1925年2月13日 マーガレット・ロウアン 大天使ガブリエルから、終末の日を聞いたという。 1931年 ダラス予言教会 1932年 ウォルター・ウィン アメリカのオカルト的ピラミッド研究家。 ピラミッドの通路の寸法をもとに、ハルマゲドンを予言。 1936年 フレデリック・ハバーマン ウィリアム・ハーパー アメリカのオカルト的ピラミッド研究家。 ピラミッドの通路の寸法をもとに予言したものの、そろってハズした。 1936年9月16日 デビッド・デビッドソン ハーバート・オールダスミス アメリカのオカルト的ピラミッド研究家。 この二人も討ち死に。 1944年 アイザック・ニュートン 聖書の『ダニエル書』と『ヨハネの黙示録』をもとに終末の年を計算。 1944年は複数示した候補のひとつ。 1944年8月 ムニョス・フェラーダス アルゼンチンの天文学者。 彗星が地球に衝突して、全ての生物が死に絶えると予言。 南米はパニック状態になった。 家を売る者や自殺する者もいた。 1945年9月21日 チャールズ・G・ロング アメリカの牧師。 1953年8月20日 ウィリアム・リーヴ カナダのオカルト的ピラミッド研究家。 ピラミッドの通路の寸法をもとに予言。 1954年1月8日 アグネス・グレイス・カールスン カナダの宗教団体 「光の子供たち」の指導者。 1954年6月28日 ヘクター・コックス ロンドンの有名な話し手。 エジプトの『死者の書』をもとに予言。 1954年12月20日 チャールズ・ロフィード アメリカの医師。 1960年 文鮮明 「統一教会」の創始者。 1960年 スタンフォード兄弟 アメリカのコンタクティ。 自称宇宙人会見者 1960年1月23日 サンパロエ フィリピンの千里眼。 1960年3月21日、6月21日、 11月22日 宇宙友好協会(CBA) 日本のUFO団体。 1960年7月14日 エリオ・ピアンコ キリスト教の小宗派の教祖。 予言を外した後、警察に告発された。 1962年2月2日 インドの占星術師たち 八つの惑星が磨羯宮 いわゆる山羊座 に入り、400年ぶりに惑星直列が起きると、世界の終わりを暗示する不吉な前兆だと主張。 1965年4月18日 コロンビアの宣教師 宣教師の忠実な信者だったネルソン・オルメイドは、彼が一生かかって貯めてきた貯金を、 どんちゃん騒ぎで使い果たしてしまった。 問題の日が何事もなく過ぎると、彼は宣教師を告訴した。 1967年12月25日 アンデルス・イエンセン 宗教団体 「オルソンの使徒たち」の教祖。 1944年8月 ムニョス・フェラーダス 自称女教皇。 当初、世界的な大災害に見舞われる日は2月20日だと予言。 しかし信者が数人しか集まらないとわかると、 ちゃっかり日付を3月17日に変更した。 1969年7月20日 イスラムの予言 イスラムの予言では、人類は月に歩を印すまで続くとされていた。 予言どおりなら、アームストロング船長が月に降り立った瞬間に、人類は滅亡しているはずだった。 1969年 11月22日 ロビン・マクファーレン 最後の審判が下ると予言。 1970年 キリストの真の光教会 アメリカの宗教団体。 予言を真に受けて、仕事をやめてしまった信者もいた。 1973年 スチュアート・マンロウ・ロブ ノストラダムス研究家でもある、アメリカの作家。 ピラミッドの通路の寸法をもとにした計算によって、ハルマゲドンを予言した。 1974年1月31日 神の子供たち アメリカの宗教団体 1974年6月18日 元木教尊 神道系新宗教 「一元の宮」教祖。 1975年10月 エホバの証人 1975年、1976年 バイオラ・ウォーカー 1976年6月13日 ウィニフレド・バートン カナダの自称超能力者。 1977年 ジョン・ロー イギリスの伝道師。 1978年10月 ジョン・ストロング オーストラリア出身のビジネスマン。 ピラミッドの通路の寸法の計算をもとに予言。 1980年4月29日、5月7日 リーランド・ジェンセン チャールズ・ゲインズ 「黙示録」と、ピラミッドの通路の寸法をもとに第三次世界大戦を予言。 1982年 スティーヴン・プレイジマン ジョン・グリビン NASAの研究者と、イギリスの科学ジャーナリスト。 この年に惑星直列が起きるので、天変地異を予言。 1983年 ボリス・クリストフ 南米の占星術師。 1985年 エホバの証人 1985年7月4日 ゴードン・コリア アメリカの予言者。 1987年8月21日 リー・マッキャン 英国のノストラダムス研究家。 1988年 ケネス・リング アメリカのコネチカット大学の教授で、国際臨死研究協会の会長。 臨死体験をきっかけに予知能力がついたと自称する人たちを調べたところ、この年に地球に大変動が起こると予言した人が多かったという。 1988年 林俊平 日本の弁護士。 キリスト教聖書根本主義者の中心となる教義 「空中携拳」をもとに予言。 1991年 マザー・シプトン イギリスの予言者。 1992年 タミ宣教会 韓国のキリスト教団体。 1993年 ブランチ・デヴィディアン デビッド・コレシュ アメリカのキリスト系小宗派の教祖。 1993年 11月11日 アメリカのタブロイド紙 この日に小惑星M167が地球に衝突すると予言。 1995年11月 麻原彰晃 「オウム真理教」の教祖。 1997年 麻原彰晃 1997年1月10日 モーリス・シャトラン フランスの科学ジャーナリスト。 ノストラダムスの予言詩を占星術的に解釈した結果、惑星直列により大異変が起きると予言。 1998年7月 山本美穂 日本のUFOコンタクティー。 宇宙人から得たというメッセージをもとに、この年の7月から1年以内に大異変が起きると予言。 1998年 8月23日 飛鳥昭雄 日本の超常現象研究家。 この日に第三次世界大戦の発生を予言。 1999年 ジーン・ディクソン ノストラダムス、エドガー・ケイシーと共に、世界3大予言者の一人とも言われる米国の予言者。 1999年 ミシェル・ド・ロワザン フランスの作家。 ウーリヒ・ド・マイヤンスとノストラダムスの予言をもとに、人類のほとんどが滅亡すると予言。 1999年 広瀬謙次郎 「超心理国際政経研究会」会長。 1999年2月21日 ピーター・ラメジャラー イギリスのオカルト的ピラミッド研究家。 ピラミッドの通路の寸法をもとに、人類滅亡を予言。 1999年7月 ノストラダムス 日本で最も有名な終末予言。 ノストラダムスは予言詩の中で 「人類が滅亡する」とは一言も書いていない。 この話が日本で有名になったのは、オカルト作家の五島勉氏が、著書『ノストラダムスの大予言』の中で人類は滅亡すると勝手に書いたため。 1999年8月 占星術師たち グランド・クロスが起きるので、人類は滅亡すると予言。 1999年8月1日 麻原彰晃 1999年8月2日 太田千寿 日本の霊能者。 この日の午前6時にハルマゲドンの発生を予言。 1999年8月11日 クルト・アルガイヤー ドイツの科学ジャーナリスト。 ノストラダムスの予言詩を独自に解釈。 1999年8月18日 ジョン・クリズウェル アメリカの予言者。 1999年 12月23日 大下美和子 「大下霊感道場」の教祖。 97年に世界中で大洪水発生、98年には世界大戦勃発、99年にはUFOがやってきて地軸がシフト、同年12月23日までに人類が滅亡すると予言したものの見事に全部ハズした。 1999年、2000年 アロン・エイブラハムセン 第二のエドガー・ケイシーとも呼ばれるアメリカの予言者。 2000年 ジャンヌ・ル・ロワイエ フランスの修道院の助修女。 2000年 勝沼久子 宗教団体 「慈永堂」の教祖。 この年の前後に人類の大半が消滅すると予言。 2000年 麻原彰晃 2000年 占星術師たち この日、天王星と海王星を除く全惑星が 「天蠍宮」と 「金牛宮」に整列するので、この世の終わりではないかと予言した。 2000年5月5日 ポール・ソロモン 「The Fellowship of Inner Light」の主宰者。 2000年 ムニョス・フェラーダス アルゼンチンの天文学者。 2000年、2001年 エドガー・ケイシー 「眠れる予言者」とも呼ばれる、アメリカの予言者。 2001年1月6日 福永法源 「最高ですか~!」のかけ声で有名になった 「法の華三法行」の元教祖。 2000年に詐欺罪で逮捕された。 2008年に実刑判決。 2014年に出所。 2001年9月17日 ピラミッドロジストたち ピラミッドの通路の寸法の計算をもとに世界の終わりを予言。 2002年 滑川裕大 1997年当時5歳で、史上最年少コンタクティー、ニューチルドレンなどと呼ばれた。 2002年6月21日 クリスティアン・ヴェルナー ドイツのノストラダムス研究家。 2003年10月30日~11月28日 麻原彰晃 さりげなく5度目の登場 笑。 2006年5月25日 エリック・ジュリアン フランス軍の元航空管制官。 シュワスマン =ヴァハマン彗星の軌道計算の結果、2006年5月25日に地球に衝突する可能性が高いと発表した。 ジュリアンは、NASAが同すい星について全く危険はないと発表したことに反論。 米連邦緊急事態管理局(FEMA)も5月23~25日にかけて津波警報演習を行う予定があることや、ノストラダムスやマザー・シプトンなどの予言者、聖書の記述などもすべてこの時期を示唆していると主張。 しかし 結局 何も起こらなかった。 2008年 南山宏 超常現象研究家。 古代マヤ族の暦をもとに、大転換期を予言。 2011年5月21日~10月21日 ハロルド・キャンピング キリスト教福音派ラジオ局 「ファミリー・ラジオ」の局長。 聖書の記述をもとに、5月21日に最後の審判が起きて、地上に残された多くの者は5ヶ月間苦しんだ後、破滅すると予言。 ニュースをにぎわした。 2011年10月28日 カール・コールマン マヤ暦の終わりを独自に再計算したところ、本当の終わりはこの日になったと主張。 人類は滅亡するのではなく、この日から進化が始まるとも主張している。 2012年12月21日or 23日 マヤの予言 マヤの暦をもとにした予言。 1999年以降では最も有名。 人類滅亡の日は12月21日と23日の二つの説がある。 2017年 五島勉 オカルト作家。 旧約聖書の『ダニエル書』を解釈すると、この年に必ずハルマゲドンがやってくるという。 2018年 天地瑞泉 日本の霊能者。 この年に地球の全生命が絶滅すると予言。 2020年3月21日 モーリス・シャトラン フランスの科学ジャーナリスト。 マヤとインドの暦は、どちらもこの日に終わっており、土星と木星の会合周期も同じ日なので、「世界の終わりが訪れると考えるのは理屈にかなっている」という。 2022年 エドワード・マッキニー アメリカの陰謀論者。 ワシントン記念塔の高さから、秘密結社フリーメイソンの予言が読み取れると主張。 2022年に最後の審判が起こり、世界は終焉を迎えるという。 2030年 聖徳太子 詳しくは当サイトのを参照。 2034年 山崎恵嗣 日本のヨガ行者、画家。 2038年4月25日 カミーユ・フラマリオン フランスの天文学者。 ノストラダムスの予言詩をもとに世界の終わりを予言した。 しかし他の研究者がどんなに調べても、もとになった詩は見つからないという。 どうやら、この話自体フラマリオンの創作らしい。 【訂正情報】 Webサイトの 運営者sumaru氏より、もとになった詩はジョルジュ・ミノワ『未来の歴史』(筑摩書房、2000年)の中で、18世紀前半に存在していたことが示されていることや、フラマリオン自身は2038年を候補のひとつとして挙げていたとのご指摘を受けた。 お詫びして訂正したい。 2044年 ピラミッドロジストたち ピラミッドの通路の寸法をもとに計算すると、世界の終わりはこの年だと予言。 2115年 A・ヴェイツェホーフスキー 旧ソ連の宇宙開発科学者。 2324年 ヘンリー・ロバーツ 米国のノストラダムス研究家。 1999年の予言を独自に解釈すると実はこの年になるらしい。 【訂正情報】 こちらもsumaru氏より、ロバーツは99年の詩には325年の加算を適用していないとのご指摘を受けた。 お詫びして訂正する次第。 なおsumaru氏によれば、加算する可能性を示したのは、五島勉の『大予言』初巻が最初ではないかとのこと。 ただし彼は1000年多い、1325年を加算 3797年 ノストラダムス 『百詩篇集』の中で、予言は3797年までだと述べられているので、この年で世界が終わると主張する者もいる。 3797年3月21日 モーリス・シャトラン フランスの科学ジャーナリスト。 この年に惑星直列が起きるので、世界は終わるという。 3936年 ビセンテ・フェレル スペインのドミニコ会修道士。 聖書の『詩篇』の詩の数をもとにして世界の終わりを予言。 5000年 出口王仁三郎 「大本教」二代目教祖。 彼が残した予言書『霊界物語』が西暦5000年で終わっていることから、この年で世界が終わると解釈する者もいる。 7000年 ノストラダムス ノストラダムス研究家たちの中には、詩篇10巻74番の詩を字義通り受け取り、西暦7000年に最後の審判があると予言している者もいる。 最後まで見た人、お疲れ様! 【主要参考資料】• 志水一夫 「世界大予言年表」『予言されたハルマゲドン』 新人物往来社• シャクター 『予言がはずれるとき』 勁草書房• James Randi 『An Encyclopedia of Claims, Frauds, and Hoaxes of the Occult and Supernatural』 St Martins Pr• 羽仁礼 『超常現象大事典』 成甲書房• ASIOS 『謎解き 超常現象』 彩図社• 荒俣宏・責任編集 『ボーダーランド』 角川春樹事務所・1997年6月号.

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ノストラダムスの大予言の内容一覧!地球滅亡は3797年?

予言一覧

概要 [ ] 『予言集』は、「百詩篇集」と名付けられたと、散文による2つの序文から成っている。 生前に刊行されたのは642篇の四行詩と息子に宛てた序文のみである。 死後、さらに国王に宛てた献辞(第二序文)と300篇の四行詩が増補・出版された。 死後増補されたものは、ノストラダムスの自筆かどうかについて、現在でもなお様々な議論がある。 17世紀になってから、さらに別の四行詩や六行詩などが追補された(追補された素材には、16世紀のうちに登場していたものもある。 この点後述を参照のこと)。 ノストラダムスが正しく未来を見通す能力を持っていたとする立場の論者たち(以下「信奉者」)は、「百詩篇集」には16世紀から遠い未来までの出来事が予言されているとして、数百年来、様々に解釈してきた。 また、その過程で「的中例」の数々が喧伝され、いわゆるのひとつの原動力となってきた。 しかし20世紀以降、彼が基にしたと推測される文献なども次々と明らかになった結果、ルネサンス期にしばしば見られた的精神に基づく「科学詩」の一種などとして、『予言集』の文学史上の位置づけも考察されるようになっている。 タイトル [ ] メインタイトル [ ] 生前に刊行されていた予言集のメインタイトルは、いずれも『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』であった(正式名の分からない、刊行されたかどうかも定かでない版を除く)。 日本では一般にの著書名によって「」という言い方が定着しているが、19世紀末までに出された130以上の予言集の古い版の中で「 大予言」と訳せるタイトルを持つものは、1588年から1590年に3種出された『ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言』しかなかった。 予言集のタイトルは、出版地によって異なることがあった。 を出版した地であるでは、ほぼ一貫して『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』だったが、やなど一部の北仏の都市やフランス以外の都市では、それ以外のタイトルが用いられることもしばしばであった。 17世紀末までに出された『予言集』諸版のメインタイトルを、出版地で分類すると次のようになる。 (1555年 - 1698年) 、(1611年頃 - 1628年頃)、(1590年)、(1695年)• 『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』• )- 1643年に2度出版された• 『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』 - 少なくとも1588年から1612年頃に3人の業者がのべ4版を出した。 Michel Nostradamus. )- 1603年と1650年に出された。 ) - 1668年から1669年に2人の業者がのべ3版を出した。 Michel Nostradamus. ) - 1590年に出版された。 『ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言』- 1588年と1589年に1冊ずつ出された(内容は異なる)。 Michel Nostradamus. )- 1611年に出された。 『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集』(Les Vrayes Centuries de Me Michel Nostradamus. )- 1649年に出された。 『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』 - 1689年に出され、1691年と1710年に再版された。 (1650年)、(1667 - 1668年)、 (1689年)、(1689年)• 『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』 通称「レ・サンチュリ」について [ ] 「レ・」(「百詩篇」「百詩篇集」 、内容については後述を参照。 この項目でだけ便宜上「レ・サンチュリ」とカナで表記)は現在ではノストラダムスの『予言集』の通称として流布しているが、ノストラダムス自身がそのような通称を用いていた形跡は今のところ見つかっていない。 は、1585年に出版した書誌のなかで、がノストラダムスに心酔していたことを記した際に「ノストラダムスのレ・サンチュリの」(des centuries de Nostrdamus)という表現を用いているが、これなどはかなり早い時期の用例である。 また、書名として「レ・サンチュリ」を用いた最古の例は、の『故ミシェル・ド・ノストラダムス師のレ・サンチュリと占筮に関するボーヌのド・シャヴィニー殿の注釈』(Commentaires du Sr. de Chavigny Beaunois sur les Centuries et Prognostications de feu M. Michel de Nostradamus, Paris, 1596) とみなされている。 なお、『予言集』そのもののタイトルとして「サンチュリ」が用いられた最古の例は、ルーアン高等法院が1611年2月9日に出版販売許可を与えた 『ミシェル・ノストラダムス師のレ・サンチュリと驚異の予言』である。 また、19世紀末までに出された130種以上の版の中で「サンチュリ」とだけ書かれている(言い換えれば「サンチュリと予言」などの様に補足的な言葉が含まれていない)『予言集』の版は、『ミシェル・ノストラダムス師の真のサンチュリ』(ルーアン、1649年)だけである。 構成 [ ] 19世紀の注釈家が編纂した『予言集』の校訂版 は、3つのセクションに分けられている。 便宜上、その3区分に従って構成を紹介すると、以下のようになる。 第1セクション [ ] 第一序文、百詩篇第1巻1番 - 第7巻42番。 にリヨンのによって刊行されたでは、百詩篇第4巻53番までが収められていた。 この版は - に市立図書館とので発見された二冊が現存している。 2年後、同じリヨンのアントワーヌ・デュ・ローヌによってが刊行された(この版はに図書館で現存が確認された)。 なお、百詩篇第6巻のみは、99番までの四行詩と全文の四行詩1篇から成り立っている。 第2セクション [ ] 『予言集』(トリノ、1720年)のタイトルページ。 1558年版を基にしたと書かれているが真偽は不明。 第二序文、百詩篇第8巻1番 - 第10巻100番。 第二セクションの初版は、にリヨンまたはで出されたという説もあるが、確証はない。 現存する最古の版は、にリヨンでが出した版である。 この年はノストラダムスの死後2年目に当たるため、第2セクションの信憑性を疑問視する見解もある。 なお、の『予言集』は、表紙の木版画、花模様、原文などが微妙に異なる複数の版が現存している。 第3セクション [ ] 百詩篇補遺、予兆詩集、六行詩集。 これらのほとんどは版の『予言集』で初めて組み込まれ、その後多くの版にも収録されている。 各文書の内容 [ ] 第一序文 [ ] 第一序文(リヨン、1555年) いわゆる「セザールへの手紙」。 ノストラダムスが息子( -? )にあてた書簡の形式をとって、自身の世界観や未来観を開陳している。 この文書には、の『栄えある学識について』(1504年)、およびの『天啓大要』(1498年)から着想を得たと思われる箇所、あるいはそれらをフランス語に訳した上でほぼそのまま借用している箇所などが少なくないと指摘されている。 なお、末尾には1555年の日付があり、この時点ではセザールは1歳3ヶ月半ほどの赤子に過ぎなかったため、ここで宛名となっている「セザール」は未来においてノストラダムスの予言を正しく解読することになる人物を表している、とする説をとなえる信奉者も少なくない。 他方で、ノストラダムスはセザールの年齢と初版の詩篇数(353篇)の合計によって、354年4ヶ月(各惑星が世界を支配する周期、後述)をあらわしたのだ、とする説もある。 第二序文 [ ] 第二序文(ルーアン、1691年) いわゆる「アンリ2世への手紙」。 日付は1558年となっており、『予言集』の第2セクションが1558年に刊行されていたとする説の一つの根拠にもなっている。 内容は、時のフランス国王に対し『予言集』の第2セクションを献呈する際に添えた書簡の体裁をとって、の影響の強い未来の情景を述べるものとなっている。 この書簡も信奉者たちによる解釈がさまざまに加えられてきたが、長い上に前後の脈絡をつかみづらい箇所が少なくないため、本来の文脈とは切りはなす形で断片的な節を抜き出して解釈を行う、という形が採られてきた。 懐疑主義者のなどは、こうした断片的な読み方の不適切さを指摘していた。 宛名の「アンリ2世」は、この書簡の日付の約一年後にしているため、この書簡の本当の宛先は、未来に現れる偉大な君主であるとし、「2世」(second)はラテン語の「来るべき」(secundus)の意味とする説も、信奉者の間には見られる。 ノストラダムスは、これ以前にも1556年1月13日付の「アンリ2世への手紙」を公刊している(1557年向けのに収録)。 しかし、両者の内容は整合していない(第二序文の内容は、先行する手紙の存在を全く反映していない)。 また、第二序文に登場する年代の算定結果が、暦書でのそれと一致していないことも指摘されており、これらを根拠に、第二序文をと疑う研究者もいる。 これは「百集めたもの」の意であるため、『 百詩篇(集)』のほか、『 詩百篇』『 百詩集』などとも訳される。 これに対し『 』は、英訳からの転訳で生じた誤訳である(語源・派生的用例などはも参照)。 『予言集』の主要部分であり、しばしば『予言集』そのものが『 百詩篇集』(または誤訳の『諸世紀』)と呼ばれるのはそのためである。 多くの解釈が重ねられてきた一方で、、、、など、歴史上の大事件の際には、それに便乗する形で偽の詩篇が追加されたり、一部の詩句が改竄されたりもした。 内容については、ノストラダムスが何らかの方法で未来の情景を知覚してそれを詩にしたとする説と、彼自身の体験や同時代の事件・風聞、古典文学などに題材をとって書いたとする説に大別できる。 のシャヴィニーによる注釈書以来長らく前者の立場が有力だったが、後述するように、特に以降には後者の立場からの研究も少なからず現れている。 この点、も参照のこと。 文体 [ ] 百詩篇は、1行10音綴の四行詩である。 彼はabab型の交差韻(奇数行と偶数行がそれぞれ韻を踏む)を主体としている。 aabb型の平韻やabba型の抱擁韻は百詩篇補遺(後述)などの真偽未詳の詩篇にしばしば見られる。 ノストラダムスは作詩においてのを念頭においていたとされ 、語順どおりに訳せないことがしばしばである。 などを手がかりに語と語の関係を注意深く考慮しつつ読む必要があるが、詩によっては性・数の対応関係が変則的な場合があることも指摘されている。 このほか、を多用する一方、そこで要請されるはずのが多く省略されている。 これは上の混乱を招くほか、行と行の関連を曖昧にする効果を持つ。 単語レベルで見ると、ラテン語などから借用した造語のほか、既存の単語についても、、、といった省略やなど、様々な技法が駆使されている。 に関しては、前半律(十音綴の最初の四音綴)のパロクシトン(無強勢のeで終わる韻)では、無強勢の e は続く母音によって発音が省略されるようになっているなど、当時から見ても古風なスタイルであったことが指摘されている。 第6巻100番、第7巻43、44、73、80 - 82番、第8巻番外1 - 6番、第10巻番外詩(版によっては「101番」)、第11巻91、97番、第12巻4、24、36、52、55、56、59、62、65、69、71番の計27篇を指すのが標準的である。 これ以外にを陥れるために偽造された詩篇などを含める論者もいる。 第6巻100番と第11・12巻の補遺は1594年にシャヴィニーが公表した。 シャヴィニー自身は発表に際してこう述べていた。 彼(=ノストラダムス)は予言の12の百詩篇を書いた。 それは四行詩で簡潔にまとめられたもので、彼はギリシャ語で Propheties と名付けた。 そのうち、7巻、11巻、12巻は不完全なものであって、11巻と12巻は長らく閉じ込められ、今なお時の悪意にさらされているが、我々はそれらに門戸を開いた(=それらを公開した)。 これらの詩篇の真偽については、議論が分かれる。 ちなみに、第11巻以降の詩で、シャヴィニーの紹介に含まれていなかったものを紹介する者たちもいるが、それらは疑わしい。 たとえば、アメリカの信奉者アーサー・クロケットは、ノストラダムスが晩年を過ごした家の地下室から新発見の四行詩群が発見されたと喧伝しており 、日本でもそれを本物であるかのように紹介した文献がいくつも存在しているが 、発見時の状況説明の不自然さや、文体・表現の不自然さなどからすれば、偽作であることは明らかとされ 、海外の実証的論者も一蹴している。 第7巻73、80 - 82番と第8巻の番外詩はごろにパリで出された海賊版の『予言集』で初めて登場したと考えられている。 第7巻73、80 - 82は1561年向けの予兆詩(後述)を流用したものであることが明らかになっているが、第8巻番外詩は出典不明である。 第10巻番外詩は「1568年版以降に付け加えられた詩」という題で1605年版の『予言集』で初めて登場した。 この詩とよく似た句が、にが出した『国王と妃に仕える占星術師の予言集』に登場している。 他にも、の『雑集』(1588年)などにも、類似の詩篇が収録されている。 第7巻43・44番は、早ければ1610年代、遅くとも1643年までに、リヨンで付け加えられた。 政治的な意図を明確に感じさせる内容の上、が他の四行詩と異なっている。 刊行年が明記されている最古の版は1627年リヨン版であり、これを初出とする場合、その年の攻囲に関連した偽作の可能性が指摘されている。 そのため当初『予言集』には収録されていなかったが、1594年にシャヴィニーが解釈のためにそのほとんどを著作の中に引用し、それが1605年版の『予言集』に再録され、以後多くの『予言集』に併録されている。 年代順に整理して番号を振ったのは、1605年版の刊行者(名前は不明)である。 141篇から構成されるが、そのうち第2番の四行詩はシャヴィニーによる贋作の可能性が指摘されている。 現在では、によって復元された14篇を加えた全154篇(従来の141篇から贋作を除いた140篇と復元された14篇)が知られている。 六行詩集 [ ] 六行詩集は、1605年版の『予言集』で初めて登場した。 六行詩58篇からなる文書で1605年版『予言集』において初めて登場した。 そこに添えられた献呈文によれば、ノストラダムスの甥に当たるが保管していたものであるという。 しかし、このアンリ・ノストラダムスは存在したことが確認できない。 そもそも、15世紀から17世紀に知られているにアンリという名の人物がいないとも指摘されている。 他方での指摘により、にこのオリジナルと思われる六行詩54篇からなるヴァンサン・オカーヌ Vincent Aucane またはヴァンサン・オケール Vincent Aucaire 名義の草稿があることが知られている。 来歴に疑惑がある点、他のノストラダムスの詩とは文体が違う点、事後予言と思われるものが混じっている点などから偽作とする説が有力で、アメリカの系の作家であるジョン・ホーグのように、信奉者の中にも扱いに慎重な論者が見られる。 信奉者による予言集の解釈の歴史 [ ] ノストラダムスの生前には、『予言集』よりも暦書のほうが知名度が高かったため、予言集の解釈はほとんど行われていなかった。 例外的なケースは、詩人によるものである。 彼は、百詩篇第3巻55番がアンリ2世の横死を予言していたと誉めたらしい。 フランスに隻眼が君臨するであろう年に 宮廷は非常に悩まされる困難に遭うだろう。 の大物が友を殺すだろう。 王国は悪くなり、疑念は二倍に。 ノストラダムスは『1562年向けの新たなる占筮』(リヨン、1561年頃)の冒頭に掲げたヴォゼル向けの献辞でこう述べている。 私が「フランスに片目が君臨するであろう時に、そしてその時にブロワの穀粒 (grain) が友を殺すであろう」云々と、そして他にも数えきれないほどの章句を執筆した時の狙い通りに(晦渋に書かれた言葉の)包みを暴き、ただちに(真意を)理解してもらえるかどうかは分かりませんでした。 そのことが私と貴兄の間に非常に深い友情を呼び起こしました。 ブランダムールによれば、これはつまりヴォゼルが「大物」(grand ; グラン)を「穀粒」(grain ; グラン)と意図的に読み替え、アンリ2世に致命傷を負わせた(Lorges ; 発音が「大麦」l'orge と同じ)と結びつけたことを、ノストラダムスが評価したものらしい。 ノストラダムスの生前に出されていた解釈で確認できるものはこれだけである。 ノストラダムス自身は『1559年9月16日に起こる日食の意味』(パリ、1558年頃)の中で「より多くは私の予言集第二巻の解釈で明らかにした通り」と記しており 、手稿などの形で解釈書をまとめていた形跡は指摘されているが、現存しない。 1570年になると、その年の7月21日にパリで男児と女児のが誕生した際に、宮廷詩人がノストラダムスの予言を称えるラテン語詩を書いた。 ノストラダムスは百詩篇第2巻45番での誕生を予言しているが、その結合双生児の誕生によって的中したと主張したのである。 この詩はその年の内に出版されたが、そこにはフランス語訳が添えられていた。 訳を手がけたのはドラの教え子であり、ノストラダムスの秘書だったこともあるシャヴィニーであった。 シャヴィニーはその後1594年に最初の体系的な注釈書を上梓している。 『ヤヌス・フランソワ第一の顔』(1594年) シャヴィニーの『フランスのヤヌスの第一の顔』(リヨン、1594年)はのべ250篇以上の四行詩を1534年から1589年までの事件に当てはめる形で、解釈を展開したものである。 タイトルに双面神の名を関している通り、彼は過去編の「第一の顔」に続き、未来編の「第二の顔」を出版することをほのめかしていたが 、結局出版されることはなかった。 ほぼ同じ頃のパリ市民の日記には、ノストラダムスの四行詩の解釈が散見される。 また、いくつかの詩篇の解釈を展開したパンフレット類も複数出された。 こうした著者不明のパンフレットやジャック・マンゴーらによる系の注釈書群 を別とすれば、次に注目すべき注釈書は、1656年に出版された『ミシェル・ノストラダムスの真の四行詩集の解明』である。 著者はの医師エチエンヌ・ジョベールとされてきたが、20世紀末以降とする説も提示されている。 この著書は当時影響力を持ち、1667年や1668年のアムステルダム版のように、この書の解釈の抜粋を冒頭に掲げる『予言集』の版も複数出版された。 百詩篇第1巻35番がアンリ2世の死を予言しているという解釈や、百詩篇第9巻18番での処刑が刑吏の名前(最後の行に出てくる「明白な罰」clere peine は、刑吏の名クレルペーヌClerepeyneを表しているという)なども含めて完璧に予言されているといった解釈は、この本で確立されたものである。 フランスでは、彼に追随する形でやといった解釈者が現れた。 イギリスでは1672年にによって、最初の外国語訳版の『予言集』が出版された。 これに追随するかのように、当時のイギリスでは複数のパンフレット作家が、ノストラダムス予言に関する小冊子を出版した。 しかし、これ以降、19世紀末までのイギリスの著作家で100ページを越える注釈書を刊行したのは、D. (本名不明、1715年)とチャールズ・ウォード(1891年)のみである。 18世紀はさほど目立ったものではなかったが、19世紀に入ると1806年には元教師のテオドール・ブーイが、第9巻20番はを予言していたと解釈した。 さらに19世紀半ばにはこの世紀の三大解釈者、アナトール・ル・ペルチエ、が現れた。 彼らによって現在の信奉者側の通説的な解釈、たとえば第8巻1番の「ポー、ネー、ロロン」(Pau, Nay, Loron)は「国王ナポロン」(Roy Napaulon ; )のアナグラムだとか、第8巻43番にはでが敗れることが予言されているなどは、あらかた整備された(彼らの著書には未来の解釈は余り出てこない)。 20世紀になるとによって出版弾圧を受けたというマックス・ド・フォンブリュヌやエミール・リュイール 、ガランシエール以来となる英仏対訳版を手がけたヘンリー・ロバーツ、英語圏のスタンダードな解釈書をものした服飾史家の、国際的なベストセラー作家になった、を的中させたとされるヴライク・イオネスクなど、欧米各国などで数多くの解釈者たちがめいめいの解釈を展開した。 解釈手法と内容 [ ] 現代では、信奉者の解釈手法や内容は、極めて多岐に渡っている。 『予言集』で確実に使用されている言語は、フランス語、ラテン語、、、英語、スペイン語だけであるが(最後の2つは稀)、日本人の信奉者には、日本語読みを取り入れた者たちもいる(日本以外でも、ルーマニア出身のイオネスクがを取り入れたケースがある)。 また、ノストラダムスがも用いたことはほぼ疑いないが、これを無原則に拡大して、原型を留めない程に自由に文章を組み換えた者たちもいる。 逆に、元の構文の発音こそが重要であると主張し、現代の発音の似た名詞に結び付けた者もいる(ただし、これらの作業の大前提となるはずの原文のが顧みられることは、ほとんどない)。 解釈内容も、オーソドックスに世界史的事件と結びつけるものの他、的な世界観や的な世界観を開陳するもの、あるいは特定の宗教団体の優越性を喧伝するものなど、非常に多彩である。 信奉者の解釈は、ノストラダムスに仮託しつつ、自身の願望や信念を語っているのと変わらないとして、になぞらえる者もいる。 懐疑的な解釈や実証的な分析の歴史 [ ] ノストラダムスの『予言集』に対する最初の批判といえるものは、のパロディ本『パヴィヨン・レ・ロリ殿の予言集』(パリ、1556年)だった。 クイヤールは、1560年にはキリスト教的世界観に従って予言全般を批判している。 17世紀になるとやらが理性的な立場から批判を加えた。 『ノストラダムスの鍵』(1710年) 信奉者ではあったものの、「ルーヴィカンの隠者」ことジャン・ル・ルーも、重要な貢献を行っている。 彼は『ノストラダムスの鍵』(1710年)にて、ノストラダムスの文体が、フランシスクス・シルウィウスの著書『雄弁術論』(1528年)を参考にしたラテン語の統語論に則ったものであることを初めて指摘した(『雄弁術論』を実際に参照したかどうかはともかく、ラテン語の統語論を用いたことは現代の実証的な論者たちにも支持されている)。 ノストラダムスの詩の内容それ自体に即して批判を展開したのは、1724年に『』紙に匿名で発表された「ミシェル・ノストラダムスの人物と書き物に関する批判的書簡」である。 この中では、ノストラダムスの予言には過去の歴史的事件などを出典としてかかれたものであるとして、20篇以上の詩が解釈されていた。 19世紀になると書誌学者のフランソワ・ビュジェが、200ページを超える大部の論文の中で、アンリ2世の死を予言したとされる百詩篇第1巻35番について、史実と整合していないことに触れている。 20世紀半ばには、ノストラダムスの実証的伝記研究で多くの貢献を行った郷土史家によって、ノストラダムスの詩に、幼いころに過ごしたの情景が織り込まれている可能性が示唆された。 1961年には、が大著『ノストラダムス 生涯と文学』をものし、百詩篇全編に注釈をつける中で、過去のスタンダードとされてきた解釈の多くに疑問を投げかけた。 例えば、1656年の注釈書で展開された「刑吏の名がクレルペーヌ」という解釈については、現地の古文書館に問い合わせ、実証性に乏しいことを指摘している。 また、20世紀の解釈者のなかで有名な解釈に、やが具体的に名指しで予言されているというものがあるが、これらはいずれも地名に過ぎない可能性を指摘した。 その後、、ルイ・シュロッセらも、16世紀フランスという歴史的文脈において、同時代や過去の事件をモチーフにした可能性を指摘した。 ひとつの転機となったのは、者の指摘である。 彼は『予言集』にの『ローマ建国史』から借用されたモチーフがあることを初めて指摘した。 これ以降、『予言集』と史の関連については、教授、准教授ジル・ポリジらが、さらに検討を行った。 文学的な評価 [ ] 『予言集』について最初の評価を行ったのは、16世紀の書誌学者であり詩人のである。 彼は1568年版に言及した際にこう酷評した。 四行詩による予言の10巻の百詩篇集は、見るべき意味も韻律も表現もない。 その後、文学的な分析は長らく行われなかったが、20世紀以降、の中での言及がなされるようになった。 ソーニエは『十六世紀フランス文学』のなかでは、文学への神秘学の影響という文脈で簡潔に触れたが、後にの『』の謎めいた奥深さと何らかの対比を行える可能性を示唆した。 その後のイヴォンヌ・ベランジェやブランダムールらの研究の蓄積を踏まえた上で、は『予言集』を科学詩などの類型で捕捉できることを示唆した。 当時の詩人たち、特にの詩人たちは、優れた詩は神懸かった状態で語られるものであるとし、詩と予言()を近しいものと捉えていた。 他方で、の祝福を受けるためには、膨大な知の蓄積が必要とされ、即興的に言葉を紡ぐような姿勢とは全く異なるものであった。 いわば後の時代でいう的精神に基づいて、自然や宇宙について詩をもって語るのである。 こうした「科学詩」(学問詩)としては、ロンサール『』(1555年)、『マンチース、別題占星術による占いの真実を論ず』(1558年)、『宝石鐘愛集』(1576年)などを挙げることが出来る。 ノストラダムスもまた、自らの知識を背景として世界像を語ったと捉えることが可能である。 なお、ノストラダムスはなどを恐れてあのような不明瞭な語り口を採用したと主張されることがままあるが、同様の語り口は当時の科学詩には普通に見られたものである。 また、「と占星術に基づいて終末が近いことを語る」 としたらは散文で未来を語っており、当時の「予言者」の中で詩を以て語ったのはノストラダムス一人である。 当時の謎めいた詩の代表格といえばセーヴの『デリー』(1544年)、の『夢』(1557年)などを挙げることができ、既に見たようにこれらと『予言集』の関連性を示唆する見解もあるが、他方でとの関連も指摘されている。 第10巻80番の一行目 "Au regne grand du grand regne regnant"(王国を統べる偉人の偉大な王国にて)に顕著な、音韻を駆使した言葉遊びやの多用が、マロにしばしば見られた軽妙な詩文に通じる要素を持つということである。 そのほか、ルネサンス期にはらが得意とした、晦渋な寓意を駆使する謎詩が流行していた背景も指摘されている。 また、『予言集』には造語の多さがしばしば指摘されるが、これは当時俗語とされていたフランス語の地位を高めようとした『』(1549年)に触発された可能性が指摘されている。 同時に、ラテン語ではなくあえてフランス語を用いたことは、言葉が変化すれば読まれなくなることを織り込んでいるという点で、『予言集』が決して未来に向けて書かれたのではなく、同時代の知識人に向けて書かれたことを示している。 ノストラダムスの詩が文学的に優れたものかどうかについての評価は定まっておらず、専門家の間でも評価する者と酷評する者とに分かれる。 そもそもノストラダムス自身が詩としての完成度よりも「予言を語ること」それ自体に重きを置いていたという指摘 や、彼の詩の価値は、その的なテーマにこそあるとの指摘などもある。 予言集のモチーフ [ ] 実証的な論者たちによって、『予言集』には次のようなモチーフが存在していることが指摘されている。 本来大衆向けではなかったという点は、『予言集』に顕著に見られる翻案や借用の多さにも関わる。 現在では侵害ともとられかねないこれらの行為は、当時はむしろ知識人たちに、自身の知識や正統性を積極的に開示するためのものだった。 同時代の文献からの借用や敷衍 [ ] 百詩篇第1巻1番(1555年版)。 モチーフは『』からの借用であり、『隠秘哲学』(1533年)などから孫引きされたものであるという。 『予言集』には、『』(1520年頃)や、『諸時代の状態と変転の書』(1550年)からの借用が散見される。 また、以下の例以外にもを的中させたとされる百詩篇第9巻20番や、第1巻58番、第9巻56番などの数篇が、の『フランス街道案内』(1552年)を基に地名を列挙した可能性が指摘されている。 第一序文での例 [ ] 第一序文7節 現在の出来事の大部分だけでなく、未来の出来事の大部分もまた、何者をも傷つけることがないようにと、私は沈黙し放置したかった。 なぜなら体制も党派も宗教も、現在の視点で見れば正反対のものに変化するだろうから。 そしてまた、王国の人々や、党派、宗教、信仰の人々が、彼らの聞き及んでいた幻想に到底一致しえないと考えるであろう未来を私が語ったならば、今後数世紀にわたって人々が目撃するであろうものを打ち棄ててしまうのだろう。 これはノストラダムスが未来の政治体制の変化を的確に見通していたとして信奉者たちが評価することがあるくだりだが 、実際には『』に再録されていたのラテン語の著作『天啓大要』(1497年)を、フランス語に訳して抜粋しただけに過ぎない。 サヴォナローラからの抜粋は、これ以外にも多く見られる。 月の支配の20年が過ぎた。 7000年、別のものがその体制を保つだろう。 太陽が残された日々を受け取るであろう時に、 私の予言は成就し、終わる。 がこの「別のもの」こそが人類滅亡を回避させる別の何かだ、という特殊な解釈を(架空の史料による権威付けとともに)展開したため、日本のの中に自分たちこそが人類を救う「別のもの」だと主張する団体がいくつも現れた。 実証的な立場では、この詩がルーサの『諸時代の状態と変転の書』の史観を下敷きにしたものであることに異論がない。 ルーサは、の説などに基づき、7つの天体(土星、木星、火星、金星、水星、月、太陽)が以来の時代を順に支配し、各支配期間は354年4か月であるとしていた。 この史観では月の3巡目の支配の始まりは天地創造から6732年4ヶ月目となり、これはルーサの想定では西暦1533年に当たるとされた。 つまり、ノストラダムスが上の詩を書いた時期(1555年頃)はまさに「月の支配の20年が過ぎた」時期だったのである。 2行目以降は、月の支配が7086年8ヶ月目(西暦1887年)まで続いてから太陽の支配に引き継がれ、その支配の終わる時(西暦2242年)に自分の予言も終わる、という意味である。 第一序文で自分の予言の範囲を3797年までとしていることと矛盾するが、この点については実証的な立場の論者の間でも明確な統一見解は存在しない。 ルーサの著書から着想を得たとされる詩は、他にも第1巻16番、17番、25番、51番、第6巻2番など、いくつも指摘されている。 百詩篇第6巻のラテン語詩 [ ] Legis cantio contra ineptos criticos. 愚かな批評家に対する法の呪文 この詩を読むであろう方々よ。 とくと熟考なさい。 俗人、門外漢、無知な者に近づいてはならない。 占星術師、愚者、野蛮人は全て遠ざかっていなさい。 さもなくば儀式に従って呪われるがよい。 この詩は『予言集』の詩の中で唯一全文がで書かれた四行詩である(タイトルを持つ詩という意味でも唯一である)。 百詩篇第6巻は99番までしかなく、100番目にこの詩がおかれている。 本来番号はついていなかったが、後に100番とされることもあった。 内容は、の『栄えある学識について』(1504年)に収録された以下のラテン語詩をアレンジしたものであることが明らかになっている。 Legis cautio contra ineptos criticos. 愚かな批評家に対する法の警句 この書を読むであろう方々よ。 とくと熟考なさい。 俗人、門外漢、無知な者に近づいてはならない。 法律屋、愚者、野蛮人は全て遠ざかっていなさい。 さもなくば儀式に従って呪われるがよい。 歴史 [ ] 『予言集』には歴史的な出来事、特に古代ローマへの言及が多いとされる。 デュメジルが最初に指摘した卜占官()の儀式に関する詩(第5巻6番、同75番)もそうであるし 、第10巻9番の一部「卑しい女性から短靴とあだ名される至上の君主が生まれるだろう」は、ローマ皇帝を念頭に置いたものであろうとも指摘されている。 ノストラダムスにとって、古代ローマ史は自身の現在や未来に直接的に結びつくものと捉えられており、そうした姿勢はの『ゴール縁起』(1510年-)や、ロンサールの『フランシアード』にも通じるものがある。 大きな星が7日間燃えるだろう。 雲が二つの太陽を出現させるだろう。 大きなが夜通し吠えるだろう、 大神官が土地を変えるだろう時に。 この詩は、信奉者たちが近未来におけるや天体の異常現象と捉えることがままあったものである。 しかし、ここで語られているモチーフは、いずれも暗殺直後について、が語っていることとほぼ一致している。 オブセクエンスは、その時に「が七日間輝いたこと」「三つの太陽が現れたこと」「のの邸宅の前で犬が吠えたこと」を語っている(レピドゥスはカエサルの死後、彼の邸宅に移った)。 なお、太陽が複数現れるというモチーフはなども含め古来繰り返し語られていたものであり、その原因を雲に求める言説は、ノストラダムスと同時代のの『驚倒すべき物語』(1560年)などにも見出すことが出来る。 同時代の政治情勢 [ ] 『予言集』には、フランス王家の繁栄を願う詩、の侵攻を警戒する詩、プロテスタントを非難する詩などが存在している。 ノストラダムス本人の信仰姿勢にはなおも議論の余地があるにせよ、少なくとも『予言集』で表明されている言説には、王党派カトリックの姿勢からの民衆教化という姿勢が見られる。 偉大なシランが世界の首領になるだろう。 より遠くへと愛され、恐れ慄かれた後に。 彼の名声と称賛は天を越え行くだろう。 そして勝利者という唯一の称号に強く満足する。 ここに出てくるシラン(Chyren)は将来現れる世界的な独裁者と解釈されることがままあった。 実証的な立場からはノストラダムスの願望を書いた可能性が指摘されている。 Chyrenはの人名ヘンリク(Henryc)のと見ることが出来、フランス語のに対応している。 このことは同時代人のやによっても指摘されていた。 あえてプロヴァンス語を用いた理由については、古い予言に(シャルルマーニュ)に並ぶような大君主は、同じようにイニシャルにC K を持つとするものがあったからではないかとも推測されている。 2行目の「より遠くへ」(Plus oultre)をシャヴィニーはPLVS OVTREと固有名詞的に書き換えて、のラテン語の金言(『』、PLVS VLTRA)をフランス語訳したものとみなしたが、これは現在の実証的な立場からも支持されている。 この場合、2行目の訳は「『プルス・ウルトラ』が愛され、恐れ慄かれた後に」となる。 つまりこの詩は、カール5世が雷名を轟かせた後に、勝利を重ねて世界に君臨するのがだという内容である。 これは実現することはなく、アンリ2世はこの詩が発表されてから2年も経たないうちに世を去った。 シランが出てくる詩以外にも、「三日月」(Selin )が出てくる詩の一部や「」(後にと同一視された月の女神の恋人。 この場合、セレネはに対応するものとして捉えられる)が出てくる詩などもアンリ2世の隠喩とされる。 アンリ2世は三日月を三つ組み合わせた紋章を使っていた上、愛人を溺愛していたからである。 百詩篇第9巻44番 [ ] Migrez, migrez de Geneve trestous, Saturne d'or en fer se changera, Le contre RAYPOZ exterminera tous, Avant l'a ruent le ciel signes fera. 離れよ、皆から離れよ。 黄金のは鉄に変わるだろう。 RAYPOZの反対が全てを滅ぼすだろう。 到来の前に、天が徴を示すだろう。 五島勉が3行目に「全てを滅ぼす」とあることを強調して何度も紹介したため 、日本人の解釈者たちには近未来の破局と解釈するものが多く見られた。 歴史的な視点からは、への警告とする解釈も提示されている。 当時のジュネーヴはカルヴァン派の牙城であったからである。 「RAYPOZの反対」は綴りをほぼ反対にした人名ゾピュラ Zopyra と見なされ、これを銘句に採り入れていたと理解される。 つまり、フェリペ2世によるジュネーヴ侵攻を警告したものと見なせるのである。 ただし、そのような事件は実現しなかったので、ラメジャラーなどははっきりと外れた予言と位置付けている。 なお、四行目"l'a ruent"(意味不明)はノストラダムスの死後に出された少なからぬ版では "l'advent" となっており、現在そちらの読み方が通説化しているので 、上の訳でもそちらを採用した。 ノストラダムスはこれ以外にもやカルヴァン派への非難、あるいは彼らの崩壊への願望などを詩に織り込んでいる。 「からの説教が不快にさせるだろう」(第1巻47番)、「ジュネーヴの人々は飢えと渇きで干上がるだろう」(第2巻64番)、「からひどい悪臭が発するだろう」(第8巻10番)などである。 同時代の事件や風聞 [ ] ノストラダムスは当時の飢餓、洪水(当時は河川の氾濫が頻発し、時代の洪水が近いという言説が広まっていた )、地震などの自然災害や、事件、様々なの噂なども詩に織り込んでいたと指摘されている。 自然災害の例としては、信奉者たちの解釈では近未来(かつての例では2000年5月など)の大地震とされることがしばしば見られた 以下の詩や、1557年9月の周辺での大洪水を描いたとされる 第10巻6番などを挙げることが出来る。 五月に非常に強い地震。 土星、、木星、水星、に、 金星も同じく、、火星、ノネーでは、 その時に卵より大きなが降るだろう。 ブランダムールによれば、2行目から3行目は、土星が磨羯宮に入り、木星、水星、金星が金牛宮に入り、火星が巨蟹宮に入る星位を表しているのだという。 そして彼は、この星位に当てはまる1549年5月4日に一帯を襲った大地震が、この詩のモデルになっていると推測した。 ジャン・ペラの手になる当時の年代記には、同じ年の6月15日には、同じ地方でやより大きい雹が降ったと記録されていることも傍証とされる(ノネーは近隣の都市の語頭音消失)。 ラメジャラーはこれに加えて、の『驚異論』(1557年)に書かれている1538年の地震の記録も併記している。 そこには、などで卵よりも大きい雹が降ったと書かれているからである。 二つの非嫡出的なるものの没落 によって 血統の甥は支配者の座につくだろう。 レクトワルにて槍の攻撃があるだろう。 甥は恐怖により軍旗を畳むであろう。 の登位と没落を鮮やかに描いた詩とされ、19世紀の注釈者アナトール・ルペルチエが事前に正しく解釈していたとして知られている詩である。 それによると、「二つの非嫡出的なるもの」とは、とを指し、これらが短命であった結果、の甥ナポレオン3世が即位したことを示しているという。 ルペルチエは1867年の段階で後半2行の中にナポレオン3世の敗北を読み取ったが、「レクトワル」については(Lectoure, の地名)の誤記か、「これまで気付かれてこなかった何か」を暗示したものであろうとした。 この語は、(1870年)の20年ほど後になって、チャールズ・ウォードが新解釈を提示した。 彼はlectoyreはル・トルセー Le Torcey のアナグラムであろうとした。 ル・トルセー(トルシー Torcy)とは付近の地名(現在はセダン市内)であり、まさしくセダンの戦いが予言されていたことの証拠だとしたのである。 詩の情景はある程度の一致が見られるものの、現在では、ルペルチエは「甥」が出てくる他の詩もナポレオン3世に結び付けていることなどから、それらの牽強付会ぶりが指摘されている。 実証的な立場からは、この詩はむしろ15世紀末のの状況を踏まえたのではないかと指摘されている。 1495年と1496年にフランス王妃が出産した男児はいずれも死産であったため、国王の死後、その義理の兄弟に当たるオルレアン家のが王位を引き継ぐことになった。 しかし、ルイに都合のよい相次ぐ死産は当時ゴシップの種となり、ルイがアンヌに対し、レクトゥールで薬物入りのオレンジを与えたのだと噂されたのである。 生まれ故郷の情景 [ ] 『予言集』には、生まれ故郷であるの情景や、近隣のゴシエ山、遺跡、サン=ポール=ド=モゾル修道院などが織り込まれた詩篇も存在する。 そのひとつが、かつて式の発明を的中させたといわれた次の詩である。 mansol faillir la renommee. ゴルシエ山とから出るだろう。 穴を通じて軍隊に知らせる者が。 2つの岩の間で戦利品が取られるだろう。 の名声は衰える。 冒頭のmont Gaulsier が版によってはmont Gaulfier と綴られていたことからモンゴルフィエ兄弟と結び付けられていた。 しかし、郷土史家のの指摘をが実地調査で追認したことにより、ゴルシエはゴシエ(Gaussier)の古い綴りのひとつ、穴は一帯を一望できる山腹の穴で、セクストゥスの霊廟はを指していることはほぼ疑いないものとなっている。 具体的に地名が挙げられている詩のほかにも、ルロワは、第5巻1番などで描写されている戦いの情景が、グラヌムのの図像を下敷きにしている可能性を示した。 その他の有名な詩篇 [ ] 以下では、読みが確定していないため上記の分類になじまないものであるが、ノストラダムスの詩のなかで特に有名な2つの詩について触れておく。 若きライオンは老いたるに打ち勝つだろう、 一騎討ちによる戦いの野で。 黄金のカゴの中の両目を、「彼」は引き裂くであろう。 二艦隊 の一方、そして死す、酷き死。 信奉者の著書では必ずといってよいほどに紹介されている有名な詩篇である。 彼らは、王の横死と解釈している。 1559年6月30日に、アンリ2世は妹と娘がそれぞれ結婚することを祝う宴の一環として開催されたに出場した。 そこで彼は、対戦相手のの槍で片目を貫かれるというハプニングに見舞われ、その傷が原因で7月10日に絶命した。 この詩はその様子を描いたものだという(「カゴ」は兜の比喩だと解釈される)。 この詩については、1863年に書誌学者フランソワ・ビュジェが一語ずつ史実と文脈との整合性を丁寧に検証した上で反論している。 ビュジェはまず、国王も伯爵も公式の銘句等で「ライオン」と呼ばれたことがなく、年齢差は「若い」「老いた」と対比できるほどではないと指摘している(アンリ2世は当時40歳で年齢差は7歳もしくは11歳)。 また、勝敗がつかなかった事故に「打ち勝つ」を使っていることや「戦場」の比喩も文脈上不適切であるとする。 さらに、アンリ2世の兜は金でなかったことや貫かれたのは右目だけだったこと、艦隊は「(陸の)軍隊」とも訳せるがどちらも無関係だったことなどを挙げ、詩の情景が史実にほとんど適合していないことを示した。 現代の実証的な研究では、この詩で描かれているのは空中に浮かんだ幻像なのではないかと指摘されている(当時は空中を行進する軍隊を見たとか、何もいないのに空から合戦の音が聞こえた等の「」が多く噂に上っていた)。 実際、リュコステネスは、1547年のスイスで空中での軍隊の合戦の幻が目撃された際に、その幻の下には二頭のライオンが争う幻も目撃されたことを記録している。 また、実在の人物になぞらえているのならば、むしろ若い方はアンリ2世、老いた方はを想定していたのではないか、とも指摘されている。 百詩篇第10巻72番 [ ] L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois Du ciel viendra un grand Roi deffraieur Resusciter le grand Roi d'Angolmois. Avant apres Mars regner par bon heur. 1999年、7か月、 空からが来るだろう、 の大王を蘇らせ、 マルスの前後に首尾よく支配するために。 この詩が20世紀以降に大きな話題となったことはよく知られている。 キーワードとなる「」と「」については各記事に委ねるとして、ここでは原文の読み方について説明をしておく。 まず「1999年7か月」であるが、1999年7月と読まれることがしばしばある。 そういう読み方も可能であるが、その場合、当時はの時代であったために現在のに換算する必要があると指摘されている。 ゆえに1999年7月の範囲は、グレゴリオ暦では1999年7月14日頃から1か月のこととなる。 8月11日にはヨーロッパの一部などではが見られたため、そのことと結びつける論者もいる。 次に「恐怖の大王」であるが、「支払い役の大王」と読むべきだとする指摘もある。 これは、上に引用したように1568年版の原文で "un grand Roi deffraieur" と書かれているためである(通常「恐怖の大王」と訳される原文は、"un grand Roi d'effrayeur" となっている)。 上の1568年版の原文はリヨン市立図書館の蔵書に基づくものだが、他方で同じ1568年版でも1940年にで刊行されたでは "d'effraieur" となっており、のの蔵書では "d'effrayeur" となっている。 このような違いは、1568年版を刊行した業者が、1568年以後も「1568年」の表記を残したままで微調整した版を何度も出したためと推測されている。 これにより、どちらが本来の表記であるかについて、確定的な結論は出ていない。 とりあえず、17世紀以降の版では圧倒的に "d'effrayeur" の表記が多く、"deffraieur" がほとんど引き継がれなかったのは事実である。 四行目は上で示した読み方のほか、不定形のregner を三人称直説法単純未来 regnera の語尾音省略と見なして Mars を主語にとり、「前後に、マルスが首尾よく統治するだろう」と訳されることもある。 この場合、2行目の「来るだろう」の目的を表すのは3行目の「甦らせる」のみになる。 また、はの軍神であるが、フランス語では「火星」「3月」の意味もある。 軍神の意味だったとしても、言葉通りの意味のほかに「戦争」の隠喩として用いられている可能性もある。 このような重層的な理由により、文学者や歴史学者たちの間でもこの詩の読み方が確定しているとは言い難い状況である。 校定版 [ ] ノストラダムスは、いい加減なを刊行した業者を訴えたこともあるので、自身のが正確に出版されることに注意を払っていたとされる。 しかし、『予言集』は非常に多くの版を重ねたため、その過程で夥しい異文を生み出した。 例えば、第1巻45番では、初版の「古代の行為の」(du faict antique)が、1588年パリ版では「古代の聖人の」(du sainct antique)に、1590年アントウェルペン版では「邪悪な行為の」(du faict inique)にそれぞれ変わっている。 playesと書き換えられた原文(1656年) これらには意図せざるも混じっていたと思われるが、他方で解釈に合わせて原文を書き換える者も現れた。 例えば、1656年の注釈書では、上掲の第1巻35番の解釈にあたり、四行目の「艦隊」(classes)が「傷」(playes)に書き換えられている。 この改竄された原文は、1668年アムステルダム版など、17世紀後半の複数の版でも採用された。 こうした中、最初の校定版というべきものを編纂したのは、19世紀の注釈者ル・ペルチエである。 彼の版は、そこに添えられた用語集ともども、現代の実証的な論者たちからも一定の評価はされている。 20世紀に入ると、懐疑論者のエドガー・レオニも豊富な語注を添えた原文対訳を作成した。 その後発展した実証的な研究を踏まえた校定版には、ブランダムールのものがある。 これは、原文比較、校訂、音韻論、用語解説、現代フランス語による釈義、コメントなどからなる重厚なもので、「フランス文学テクスト」叢書(ドローズ社)の一冊として刊行された。 この校定版は第一序文と最初の353篇の四行詩しか対象にしていないものの、これ以降の実証的な研究では必ずといってよいほど参照されている重要なものであり 、この叢書に含まれたことは、ノストラダムス研究が学術的考究の対象になったことの証左であるとも指摘されている。 残る詩篇については、パリ第12大学准教授のブリューノ・プテ=ジラールが編纂した第7巻までを対象にしたものや、ピーター・ラメジャラーやによる第10巻までを対象にしたものなどがある。 用語集としては、マリニー・ローズ(マリー・ウジェニー・ロート=ローズ)による『ノストラダムスの予言的著作の辞典』(2002年)がある。 これは、彼女がで博士号を取得した際の学位論文の一部であり、三分冊で出版されたものの第三巻にあたる。 日本で刊行された『予言集』の訳書など [ ] 2012年時点では、16世紀・の知見に裏付けられた信頼の置ける全訳版は存在しない。 過去に出版されたふたつの全訳本は、いずれも英語版からの重訳であり 、翻訳の面で問題点がいくつもあると指摘されている。 また、全ての原文が収録されたラメジャラーの『ノストラダムス予言全書』(東洋書林)には、要約のみで対訳がついていない。 関連年表 [ ] 整理のために年表を掲げる。 一部はと重複する。 - が出版される。 出版したのは、リヨンの出版業者マセ・ボノム。 収録詩篇は第4巻53番まで。 1556年 - が『ル・パヴィヨン・レ・ロリ殿の予言集』を刊行する。 これは『予言集』のパロディであり、最初の風刺文書である。 - が出版される。 出版したのはリヨンの業者アントワーヌ・デュ・ローヌ。 収録詩篇は第7巻42番まで。 1557年 - 『予言集』増補版の粗雑なコピーが刊行される。 1558年 - 『予言集』の完全版が出されたという説もある。 1561年頃 - 『予言集』の海賊版が刊行される。 刊行したのはパリの業者バルブ・ルニョー。 第7巻の73番以降と第8巻の番外詩は、この版が初出とされる。 1568年 - 現存する最古のが刊行される。 全10巻。 1588年 - 翌年にかけてパリでは4版が刊行される(『予言集』の出版は20年ぶり )。 これは、末期の政治情勢が関係したとされる。 1590年 - で『予言集』が出版される。 フランス以外で刊行された初めての版(対訳等はなし)。 1594年 - 元秘書シャヴィニーが『フランスのヤヌスの第一の顔』を出版する。 これは、ノストラダムス予言の最初の解釈本に当たる。 第11巻や第12巻の断片も、この本で初めて紹介された。 1605年 - 1605年版『予言集』が刊行される。 出版地と出版社は記載されていないため不明(一説には)。 「予兆集」「六行詩集」が初めて組み込まれた。 1649年頃 - の影響で、を貶めるための偽の詩篇を加えた偽「1568年リヨン版」『予言集』が刊行される。 1656年 - 解釈書『ミシェル・ノストラダムスの真の四行詩集の解明』が出版される。 1672年 - による英訳と解釈が収録された『予言集』が出版される。 初の翻訳された版。 1672年 - が最初の解釈書を刊行する。 1693年 - が解釈書『アンリ2世からまでの歴史とノストラダムス予言集の一致』を出版する。 1709年と1712年にも再版された。 1710年 - ジャン・ル・ルーが『ノストラダムスの鍵』を出版。 『予言集』にラテン語の統辞法が用いられている可能性を初めて指摘した。 1715年 - D. 『王政復古以降のグレートブリテンの諸国王・女王の運命に関するミカエル・ノストラダムスの予言集』が出版される。 英語で書かれた2例目の100ページ超の解釈書。 1840年 - 19世紀の三大解釈者の一人が『ノストラダムス』を出版する。 1860年 - 三大解釈者の一人が解釈書を出版し始める。 1867年 - 三大解釈者の一人アナトール・ル・ペルチエが解釈書と校定版の二巻本『ミシェル・ド・ノートルダム神託集』を出版する。 1891年 - チャールズ・ウォード『ノストラダムス神託集』(ロンドン)。 ル・ペルチエの解釈が英語圏にも広められる。 1903年 - の協力によって、現在までで最も多くの詩篇が収録された『予言集』が出版される。 1982年 - のオーストリア国立図書館で『予言集』初版が発見される。 1983年 - 市立図書館でも『予言集』初版が発見される。 1996年 - オランダの図書館で1557年9月6日版の『予言集』が確認される(2012年現在で現存はこの一例のみである)。 2010年 - パリのオークションに3例目の『予言集』初版が出品される。 あわせて、従来は存在そのものが知られていなかった1561年版『予言集』(パリ、ニコラ・ビュフェ未亡人)も出品された。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 厳密に言えば、1691年頃に『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』という題名の版が一度だけ刊行されている。 便宜上、この記事では単数のCenturieを「百詩篇」、複数のCenturiesを「百詩篇集」と訳し分ける。 Anatole Le Pelletier, Les Oracles de Michel de Nostredame, Tome. II, Paris ; A. Le Pelletier, 1867. この版は1969年と1995年にスラトキヌ社から影印本が出版された。 Googleブックスなどで閲覧可能になると、それを元にした再版も多くなされている。 この説の元祖は1710年のル・ルーである(Leoni 1982 p. 679)。 ただし、ラテン語で書かれた私信の分析などから、ノストラダムスはラテン語の文体に配慮できるほどの語学力を備えていなかった可能性も指摘されている(月村 2000 p. 93)。 アナグラムについては一切使われていないと主張する信奉者もいるが(加治木、前掲書、pp. 84-88)、実証的な研究者でこうした見解を支持するものはない。 以下、原文は1568年版に基づいたが、現代のに従って表記を修正した箇所がある。 影印版は Chevignard 1999 に収録されている。 この件を公刊された文献で最初に指摘したのはブランダムールだが、彼自身はジャック・アルブロンから教えてもらったという(Brind'Amour 1993 p. 255)。 782 ; 山本 2000 pp. 243-244)• 「三大解釈者」はレオニの分類。 Leoni 1982 p. この書簡の影印版は1983年にフランスの『』に収録された。 なお、ノストラダムス以外でも、デュ・ベレー『フランス語の用語と顕揚』がの『諸国語に関する対話』の翻訳を多く含んでいた例など、同時代には類似例が存在する。 オリジナルの第一序文には区切りがない。 ここではバレストが確立し、ブランダムールやプテ=ジラールが追随した区切りに従った。 2行目については「別のもの」 autre を「こえて」 outre の誤植とみなして「7000年をこえて(7086年まで月が)統治する」と読む論者と、そのまま「7086年(約7000年)から別のもの(=太陽)が統治する」と読む論者とがいるが、全体の文意は変わらない。 ラメジャラーはその差が1555年になるのは作為的なものだと見ている(西暦1555年は予言集の初版が出された年)。 Lemesurier 2003 p. 382• 月や三日月を意味すると考えられているこの語はフランス語にないが、実証的な論者たちも月の女神の縁語と解釈している(Chevignard 1999 p. 479 etc. 五島はこの "l'advent" をキリストの再臨を意味する語としているが、キリスト教用語としてはの意味でしかなく( 『仏英独日対照・現代キリスト教用語辞典』 大修館書店、1985年)、ノストラダムスも暦書類ではその意味で "l'advent" を何度も使っていた(ex. Chevignard 1999 pp. 417, 441)。 decide は現代フランス語になく、古語辞典にもないため、論者によっていくつかの読みが提示されている。 没落や崩壊の意味に捉えるのは、Leoni 1982 , Lemesurier 2003 , Sieburth 2012 などによるものである。 ほかに、「切断」「決定」「調停」などの意味に理解されることがある。 現代フランス語の classe は英語の class のように「階級」「教室」などの意味だが、ラテン語の classis に基づき「艦隊」「(陸の)軍隊」などの意味で使っていたことは、実証的にも広く認められている ex. Leoni 1982 p. 58, Petey-Girard 2003 p. 108。 1568年版には、1570年代から1590年代に出版されたものが混じっているとされるが、ここでは考慮しない。 出典 [ ]• で見ることが出来る• Georges Lepreux, Gallia Typographica, T. 3-v. 2, 1912• Chomarat 2000 p. 78, Petey-Girard 2003 p. Brind'Amour 1996 pp. 568, 579 etc. 『真説ノストラダムスの大予言』KKロングセラーズ、1990年、p. 2007年11月3日, at the. - 関連する論考はリンク切れ。 120-121も参照。 Leoni 1982 p. 681• Halbronn 2002 pp. 20-23, 52-53, Chomarat 2000 p. Brind'Amour 1996 pp. XXIX-XXX, Petey-Girard 2003 p. 38-39(日本語版pp. 42-43)• Brind'Amour 1996 pp. XXIX-XXX• この段落はラメジャラー 1998a pp. 197-211, 高田・伊藤 1999 p. 340, Petey-Girard 2003 pp. 24-34などによる。 Petey-Girard 2003 p. Chavigny [1594] p. 『ノストラダムスの大予言・中東編』(祥伝社、1990年)、 歴史予言検証会 『2012年地球崩壊の驚愕大予言』(、2008年)、 『人類への警告!! - 最期の審判は2012年からはじまる』(、2010年)、監修 『絶望の大予言ミステリー』(、2011年)etc. 93-95• Benazra 1990 p. Benazra 1990 pp. 118-121• Benazra 1990 pp. 158-159• ASIOS・菊池・山津 2012 p. Chevignard 1999 pp. 100, 144• Leroy 1993 pp. 132-133• 該当するページのフォトコピーはRuzo 1997 p. 107にある。 Brind'Amour 1993 pp. 268-269• Benazra 1990 p. 155• Benazra 1990 pp. 220-230• Benazra 1990 p. 231, n. 84-91• 山本 1999 pp. 439-442• 881• ソーニエ『十六世紀フランス文学』(白水社、文庫クセジュ、1958年) p. 55、高田 2000 p. 高田・伊藤 1999 pp. 342-352• 高田 2000 pp. 46-49, イヴォンヌ・ベランジェ『プレイヤード派の詩人たち』白水社(文庫クセジュ)pp. 97-101• ルーサ『時の状態と変転の書』の副題。 高田・伊藤 1999 pp. 343-344, Petey-Girard 2003 p. 249• 荻野 2000 pp. 166-171• 38(日本語版 p. 42)• 高田・伊藤 1999 p. 339• 高田・伊藤 1999 p. 341• Petey-Girard 2003 p. Shepherd 1986 p. 高田 2000 pp. 50-51• Liaroutzos 1986• 加治木、前掲書、pp. 43-45• Brind'Amour 1996 pp. 6-7• この辺りの事情については、「全ては『ノストラダムスの大予言』から始まった」(『正義の見方』洋泉社、1996年)pp. 79-84を参照• Brind'Amour 1996 pp. 118, Lemesurier 2003 p. 23, 高田・伊藤 1999 pp. 35-36, 56• 187-214• Dumezil 1984 pp. 116-127 Dumezil 1999 pp. 83-92• Polizzi 1997 pp. 58-59 ; なお、短靴の原語はChausses()であるが、ここではポリジらの読みに従った。 ローズの辞典でも語源上は「短靴」に通じると指摘されている(Rose 2002 pp. 52-53)。 Polizzi 1997 p. クルト・アルガイヤー『1987年悪魔のシナリオ』光文社、1985年、pp. 161-163 ; エリカ・チータム『ノストラダムス全予言』二見書房、1988年、p. 92 etc. Brind'Amour 1996 pp. 250-253, 高田・伊藤 1999 pp. 153-156• 高田・伊藤 1999 pp. 22-24, 50-52, 346 etc. 五島勉『ノストラダムスの大予言II』pp. 104-110, 藤島啓章『ノストラダムスの大警告』学習研究社、1989年、pp. 235-238• Chavigny 1594 p. 40, Brind'Amour 1996 p. 309• Leoni 1982 pp. 667-668• Brind'Amour 1996 p. 298, Rose 2002 p. 459• 五島勉『ノストラダムスの大予言』祥伝社、1973年、pp. 174-177 ; 同『ノストラダムスの大予言・地獄編』祥伝社、1994年、pp. 62-64 etc. Leoni 1982 pp. 725-726 etc. ASIOS・菊池・山津 2012 p. Lemesurier 2010 p. 245. なお、ラメジャラーはゾピュラを銘句に用いていたのはカール5世としている。 高田・伊藤 1999 pp. 196-203• この詩に関する信奉者側の多様な解釈は、山本弘 1999 pp. 410-414 などを参照のこと。 Leoni 1982 p. 736, Lemesurier 2003 p. 341• Brind'Amour 1993 pp. 227-231• Lemesurier 2003 pp. 363-364• Le Pelletier, op. cit. , T. I, pp. 648-649 etc. Charles A. Ward, Oracles of Nostradamus, 1891, p. 340• Leoni 1982 p. 755• 89, Lemesurier 2003 p. 279• SEXT. Lemesurier [2003])。 Leroy 1993 p. 193, Randi 1990 pp. 176-189(日本語版pp. 243- 264)• Leroy, ibid. このあたりの論点は、日本語文献では竹下 1998 pp. 226-229で手際よくまとめられている。 57-59 ; Anatole Le Pelletier, Les Oracles de Michel de Nostredame, T. 1, 1867, pp. 72-73 etc. 以下は Buget 1863 pp. 453-455による。 Brind'Amour 1996 pp. 99-101, 高田・伊藤 1999 pp. 45-47• 262-263• Lemesurier 2003 pp. 255-256• ASIOS・菊池・山津 2012 p. Levert 1979 p. 246, Dr. , Sarlat, 1939, p. 278 etc. 21(日本語版 p. 25)• Brind'Amour 1996 p. 115• 高田・伊藤 1999 pp. 1-2, 316なお、ここでの「評価」はあくまでも原文と用語集の編纂に関するもので、彼の解釈が支持されているわけではない。 Brind'Amour 1996• 参考文献としている例として、Lemesurier 2003 , Petey-Girard 2003 , Sieburth 2012 etc. 高田・伊藤 1999 p. Petey-Girard 2003 p. ヘンリー・C・ロバーツ編、大乗和子訳、監修『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』、1975年。 エリカ・チータム編著、山根和郎訳、監修『ノストラダムス全予言』、1988年• ASIOS・菊池・山津 2012 p. ノストラダムスを主題としていない文献や信奉者の著作は、注記の中で書名も表示してある。 なお、本文中の関係者の肩書きは、特に注記のない限り以下の文献に記載された当時のものである。 ・・山津寿丸『検証 予言はどこまで当たるのか』文芸社、2012年10月。 『ノストラダムスとルネサンス』・・共編、岩波書店、2000年2月。 高田勇 2000 「フランス文学史の中のノストラダムス」• 2000 「十六世紀フランスの学芸の世界」• 2000 「ラブレーとノストラダムス」• 『ノストラダムスの生涯』朝日新聞社、1998年2月。 『トンデモ ノストラダムス本の世界』洋泉社、1998年7月。 『トンデモ ノストラダムス本の世界』洋泉社〈宝島社文庫〉、1999年6月。 - 洋泉社1998年刊の改訂版。 『トンデモ大予言の後始末』洋泉社、2000年6月。 『ノストラダムス百科全書』・訳、東洋書林、1998年12月。 (1998a)• 『ノストラダムス予言全書』・訳、東洋書林〈ノストラダムス百科全書 パート2〉、1998年12月。 (1998b)• Pierre Brind'Amour 1993 , Nostradamus Astrophile, Klincksieck• ノストラダムス『ノストラダムス予言集』校訂、・編訳、岩波書店、1999年7月。 1699- 1721 , 1861 pp. 68-94, 241-268, 383-412, 657-691 , 1862 pp. 761-785 , 1863 pp. 449-473, 513-530, 571-588• 、『ノストラダムス 予言の真実』創元社〈「知の再発見」双書 118〉、2004年9月。 [2004] 「人文主義者ノストラダムス」(上掲書 pp. 102 - 107。 日本語版監修者による解説)• by Betsy Wing 1999 , The Riddle of Nostradamus, The Johns Hopkins University Press• Peter Lemesurier 2003 , Nostradamus: The Illustrated Prophecies, O Books• Peter Lemesurier 2010 , Nostradamus, Bibliomancer, New Page Books• Edgar Leoni 1982 , Nostradamus and His Prophecies, Bell Publishing• de 1972• 1979 , The Prophecies and Enigmas of Nostradamus, Firebell Books• Michel Chomarat• James Randi 1990 , The Mask of Nostradamus, Scribner• 『ノストラダムスの大誤解 イカサマまみれの伝説43の真相』監修、訳、太田出版、1999年5月。 Louis Schlosser 1985 , La vie de Nostradamus, Pierre Belfond• Richard Sieburth translation 2012 , The Prophecies, Penguin Classics 関連項目 [ ] フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

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