よく誤解している人がいるのですが、「神聖ローマ帝国」とは「ドイツ」のことです。 群雄割拠のドイツ・オーストリアで、選挙によって「国王、領主、諸侯(その地域を支配している貴族)」の中から代表を選び、「ローマ教皇」から戴冠されることで「神聖ローマ皇帝」を名乗りました。 「ローマ」を冠しているのは、ヨーロッパの正統的な支配者は自分を「ローマ帝国の末裔」として正当性を主張したいし、「ローマ教皇」から戴冠されることで「神に選ばれた者」という権威を持ちたかったからです。 (選挙権を持つドイツの国王・諸侯を「選帝侯」と呼びます) つまり「ドイツの諸国」に各々「国王」がいて、その「連合体」として「神聖ローマ帝国」があってその「長」が選挙でえらばれた「皇帝」(王の上の存在)ということです。 「ローマ王」は単なる「国王」であって、「ローマ王」=「ドイツの諸国の王」です。 国王のうちローマ教皇に認められた者を言います。 「皇帝」ではなく「王」です。 「ローマ王」であり、かつ「神聖ローマ皇帝」である場合もあります。 「選挙」で選ばれれば皇帝になります。 神聖ローマ帝国 ローマ王 神聖ローマ皇帝とは、西ローマ帝国の滅亡で弱体化したローマ教会(カソリック)が、東ローマ帝国&東方教会に対抗するために西方諸国の蛮族たちの中から有力者を担ぎ出して創った帝位で、名目的には西ローマ帝国の皇帝だ。 そういう経緯を辿っているので、神聖ローマ皇帝は、ローマ教皇からの戴冠を受けなければならない。 勝手に皇帝を名乗ることは許されないのだ。 中世の西欧でローマ教皇が絶大な権力を持ちえたのも、この皇帝の任命権を持っていたからで、全盛期には王位まで大きな影響力を持っていた。 この頃の神聖ローマ皇帝は、ドイツ方面の蛮族たちの有力諸侯による選挙で選ばれていたが、前皇帝のロタール3世時代がゴタゴタ続きだったため、候補の中では弱小のコンラートを選んだらしい。 また、当時のローマ教会もゴタゴタ続きで、教会内部が分裂して教皇が2人という異常事態だった。 2人の教皇がそれぞれの国で2人の王を認めるなどしたため、混乱は深まる一方。 そのうえ、フランスのノルマンディー地方を占拠していた元バイキングの蛮族がイタリアに侵入・占領するなど大事件もあって、ますますローマ教会は混迷を深め、東ローマ帝国も巻き込む大騒動となっていた。 ローマ教皇がコンラートを戴冠しなかったのか、できなかったのかはよくわからないが、おそらく一番の理由は、コンラートをローマ王に選んだ諸侯たちが王権の強化につながる皇帝戴冠を嫌がっていたのだろうし、コンラートにもそれほど人望がなかったのだろう。
次のまず日本政府だが、こちらは1942年の外交関係樹立以来、一貫して「法王」を採用している。 たとえば2013年2月12日、安倍晋三首相は退位を発表したベネディクト16世にメッセージを送っているが、ここでは「ローマ法王ベネディクト16世台下」との表記だ。 東京・千代田区にあるバチカンの大使館にも、「ローマ法王庁大使館」との表札がかかる。 主要マスコミも、大半が法王派だ。 新聞各紙を始め、NHK・在京キー局などはいずれも法王と呼んでいる。 固有名詞を引用する際などには「教皇」と書く例もあるようだが、基本的には法王一色と言っていい。 しかし、日本のカトリック教会を統括する宗教法人カトリック中央協議会は、強硬に「教皇」が正しいと主張する。 協議会のウェブサイトには、わざわざそのことを説明するためのページが設けられている。 これによれば協議会では1981年、ヨハネ・パウロ2世の来日にあわせ、これまで混乱していた表記を「教皇」に統一することに正式に決めた。 「『教える』という字のほうが、教皇の職務をよく表わすから」 というのがその理由だ。 そこで、外務省にも呼び方を変えてもらうよう申し入れたのだが、「日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り、変更できない」という理由で断られてしまった。 マスコミ各社にもたびたび教皇使用を依頼したが、こちらも実現しなかったという。 「こうしていまでも『法王』と『教皇』が混用されているのです。 皆様には、『教皇』を使っていただくよう、お願いする次第です」(協議会ウェブページより) ただし協議会の活動の甲斐あってか「教皇」もかなり一般化し、たとえば高校世界史教科書は現在、ほぼすべてが教皇を採用している。 正式表記は凄く長い いっそ国も、そろそろ教皇にしていいのでは? 外務省に尋ねてみたが、 「どちらも日本語としては一般的に使われていますし、こちらとしてはずっと公式に使ってきたものなので……」 と煮え切らない。 なおネットなどでは教皇の「皇」の字が「天皇」に通じるため遠慮して法王を使っているのでは、という説もあるが、外務省では「初耳。 スペインなど、王制の国の王位継承者を『皇太子』と呼んでいるぐらいですから、勘違いでは」。 ちなみに教皇にしても法王にしても、日本などでしか使われていない一種の「意訳」だ。 正式には、以下のような長い肩書きを名乗っている。 「ローマの司教、イエス・キリストの代理者、使徒たちのかしらの後継者、普遍教会の最高司教、イタリア首座司教、ローマ管区首都大司教、バチカン市国元首、神のしもべたちのしもべ」 一般には父を意味する「パパ(Papa)」と呼ばれ、日本でも戦国~江戸初期には、神父を「パードレ」と呼んだ要領で、西洋式に「パアパ(パッパ)」としていた(どちりな・きりしたんなど)。 江戸中期の儒学者・新井白石が「教化之主」(本来は釈迦など高僧の意)と記した例もある。 それと比べれば、教皇も法王も比較的新しい呼び方のようだ。
次の「ローマ法王」「ローマ教皇」という二つの呼称について 「新聞を見ると『 ローマ法王』と書いてあり、教会の文書には『 ローマ教皇』と書いてあります。 どちらが正しい表記ですか?」 このような質問が多く寄せられます。 簡単に説明します。 教会では「 ローマ教皇」を使います。 以前はたしかに、日本のカトリック教会の中でも混用されていました。 そこで日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ二世の来日を機会に、「 ローマ教皇」に統一することにしました。 「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです。 バチカン大使館は、「ローマ法王庁大使館」 ところが東京都千代田区三番町にある駐日バチカン大使館は「 ローマ法王庁大使館」といいます。 なぜでしょうか? 日本とバチカン( ローマ法王庁、つまり ローマ教皇庁)が外交関係を樹立した当時の定訳は「 法王」だったため、 ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請。 そのまま「 法王庁大使館」になりました。 教皇フランシスコ訪日に合わせて 2019年11月20日、日本政府は、11月の教皇フランシスコ訪日に合わせて「教皇」という呼称を使用すると発表しました。 (3)ローマ教皇の訪日(呼称の変更) 【大鷹外務報道官】三つ目が,ローマ教皇の訪日の関係で,ご案内のとおり,23日から26日まで,ローマ教皇フランシスコ台下が訪日予定です。 これまでバチカンの国家元首の日本語での呼称につきましては,日本国内において「ローマ法王」,あるいは「ローマ教皇」という異なる呼称が用いられてきていました。 カトリック関係者の方々を始め,一般に「教皇」という呼称を用いる例が実は非常に多く見られるということ,それから日本政府の一般的な呼称として「教皇」を使用する場合,バチカン側として問題ないのかということについて問題ないという確認ができましたことを踏まえて,今般フランシスコ台下が訪日に際し,日本政府として「教皇」という呼称を使用することとしました。 日本政府の対応に合わせて、マスコミ各社も11月23日からの教皇訪日関連報道より「教皇」という呼称に統一してくださっています。
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