片岡篤史 同期。 片岡篤史

4番清原、立浪・宮本慎也の二遊間 PL学園でベストナインを組んでみた

片岡篤史 同期

日本ハム、阪神で活躍した元プロ野球選手で解説者の片岡篤史氏(50)が14日放送のフジテレビ「ジャンクSPORTS」(日曜後7・00)にリモート出演。 4月に感染した新型コロナウイルス闘病の裏側をメディアで初告白した。 「スポーツ界も大変なことにSP」と題された今回の放送に冒頭から登場。 新型コロナウイルスに感染し、4月8日に入院したことを自身のユーチューブチャンネルで発表したが、その裏には「ジャンクSPORTS」も深い関わりがあったという。 昨年10月にユーチューブチャンネルを開設。 同番組の「SNSで発信するアスリート」という回にゲスト出演することが決まっていた片岡氏は3月19日にフジテレビで打ち合わせを済ませ、収録は4月6日が予定されていた。 だが、結局はコロナ禍の影響で収録が中止に。 それは局側の判断だったが、4月6日時点で体調に何ら変化がなくすこぶる元気だった片岡氏は仮に収録が行われていれば参加していたという。 しかし、当時を今から振り返ると、収録予定日だった4月6日の翌7日夕方に発熱し、8日にはPCR検査で陽性が出てそのまま入院。 24日に退院するまで17日間の入院生活を送った。 もし収録が予定通り行われていれば、共演者らが濃厚接触者になる可能性もあったため、まさにすんでのところで危機が回避された格好となった。 スタジオ出演した番組MCの「ダウンタウン」浜田雅功(57)から「片岡、大変やったなぁ」と声をかけられ「いや、本当に大変でした」と受けた片岡氏。 陽性が判明した経緯について4月7日夕方に発熱、38度5分から6分程度まで熱が上がったため病院へ行くと「車から降りないでください」と言われた、すぐに肺のCT検査を受けたところ肺炎を発症していることが判明、PCR検査を受けて入院、翌日には陽性が判明してコロナ対策のしっかりしている病院へ転院したことなどを赤裸々に告白した。 浜田から「息苦しい感じなんですか?」と聞かれた片岡氏は「アビガンを9日から朝8錠、夜8錠飲んだんですけど、それによって39度近くあった熱がやっと下がったんですね」とし、浜田が「これは本当に衝撃映像やった」と振り返った4月14日アップの息も絶え絶えで苦しそうだったユーチューブ動画については「あれは大分楽になったから出せたんですね」と回想。 浜田は「あれでも楽な感じなんですね…」と驚いたが、片岡氏が回復後に医師から聞かされた話では自身の症状は10段階でいうと2~3の軽症だったそうで、あれだけの苦しみで軽症という事実にショックを受けたという。 また、闘病中にはPL学園野球部の2年先輩に当たる清原和博氏(52)から毎日LINEで「パワーをくれる花」の言葉とともに花の写真が送られて来たそうで「特に励みになった」と感謝していた。

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コロナ感染の片岡篤史氏が退院報告「2回目で陰性」

片岡篤史 同期

PL学園1987年メンバーは?立浪世代の同期!片岡 野村 橋本! 1987年に春のセンバツ、夏の甲子園で連覇をしたPL学園のメンバーのことをさす。 昨日の総選挙で思い出したけど、PL学園の87年世代が全くランクインしていない。 立浪さん、片岡コーチがいるねんで…春夏連覇なんやで… — 飯田橋ちゃん iidabashichan キャプテンは立浪和義さん キャプテンはミスタードラゴンズの立浪和義さんでした。 任命理由は投票。 当時からオーラは凄そう。 「PLの主将は全員の投票と監督の意見で決まるんです。 僕がなるなんて、まったく考えていなかった。 わがまま放題でやっていましたからね。 でも主将をやったおかげでいい勉強をさせてもらった。 周りを見ることを覚えましたから」 87年のスタメン スタメンはこの方々。 うわーすごいメンツ。 なぜ総選挙に入らなかった? エリートすぎた? 1チームにのちにプロ野球選手になる方が5人もいるので、ストーリーとして弱いからというのがあるのではないでしょうか。 そつなく勝ちすぎた 春の甲子園は延長の末やっと勝った試合があったようですが、それ以外は圧倒しすぎているのでドラマがありませんね。 関連記事.

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片岡治大

片岡篤史 同期

sponsored link PL学園高校時代、4番打者として 1987年の甲子園で春・夏連覇を果たします。 今年は埼玉の浦和学院が春・夏連覇を 目指していましたがいかに偉大なことか わかりますね。 同期に立浪和義・橋本清・野村弘、 2学年上ですが清原和博・桑田真澄。 当時は清原選手の付き人だったようです。 卒業後は同志社大学に進学。 関西学生野球リーグで1989年春季に 首位打者になり 通算成績もさることながら ベストナインを4度も受賞しています。 1991年のドラフト2位で 日本ハムファイターズに入団。 その後2001年オフにFA宣言し、 阪神タイガースに入団します。 このオフに結婚。 子供も二人を 授かります。 そして2006年に現役引退。 本人最終戦の10月12日の 対中日ドラゴンズ戦では 6番サードでスタメン出場し、 盟友の立浪が守るレフトを越える 二塁打を放つなどして2安打で 有終の美を飾りました。 胴上げには阪神選手のほか、 中日からも立浪、谷繁元信、井上一樹、 PL学園の後輩である福留孝介も加わり 引退セレモニーでは立浪が花束を贈呈し、 片岡さんと熱く抱擁を交わしたりと 愛されキャラが存分に発揮された選手でした。 現役引退後は主に野球解説者として 出演しています。 片岡さんには一部では結構話題に なっている話があります。 それも 「ヒノキ風呂」の話。 それが、これ。 「右投げ左打ち 実家はヒノキ風呂 リフォーム リフォーム 片岡篤史!」 ・・・・・・え! って感じですよね? 野球に関係あるのは右投げ左打ちだけです(笑)。 どうしてこういった応援歌になってしまったのか 本人がテレビ出演の際に話してくれたコメントが あります。 ネットでいろいろと情報をあたってみましたが なんとなくわかってきました。 2001年にFA権を行使して日本ハムから 阪神にやって来たんですが、始めの年は ぜんぜん活躍できなかった片岡選手。 入団発表のときに上がった給料を何に使うか、 という質問に対して、 「実家の風呂をリフォームしたい」 と答えたことを持ち出して、 活躍できなかった「 給料泥棒」の意味を 込めて歌われ始めた悪意ある応援歌だった というのです。 それがいつの間にか定着してしまった、 というわけですね。 ただ実際、片岡選手の父親が言うには 「日本ハム時代にリフォームした」と発言していたので リフォームした時期はこっちが正しいと思われます。 応援歌自体が皮肉を込めて作られた ということは間違いなさそうですね。 さすがの片岡さんも当時、応援歌に対してのコメントで 「やめてもらいたい。 普通のお風呂なんで…。 やっぱりいい気はしないんでね」 と、正直な心うちを明かしていました。 何を言っているのか分かりづらいですが 雰囲気だけでもという方どうぞ! まとめると、 ・実家はヒノキ風呂では無い ・ヒノキのサウナはあるらしい ・片岡選手も、片岡選手の父親もこの応援歌がイヤらしい ということのようですね。 そんな片岡さんですが 10月6日(日)19時00分~22時54分の3時間枠で フジテレビ系列 「ジャンクSPORTSお宝映像一挙大放出スペシャル」 にゲスト出演するみたいですよ。 どんなお宝映像が飛び出すか、 今から楽しみですね。 sponsored link.

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