明智憲三郎。 本能寺の変 明智憲三郎氏の説についての批判

明智光秀の子孫「斎藤道三は敵」 明智憲三郎氏、主君とする通説否定

明智憲三郎

明智憲三郎さんにお会いしてきました! 戦国武将の明智光秀の子孫の方です。 私も実は古い血縁で、明智憲三郎さんとは私が中学生の夏休みの研究の時に間接的にお世話になりました。 今でもアマゾン1位。 ずっとベストセラーです。 三洋堂・三省堂・未来屋・丸善・・どの大手の本屋に行っても通路サイドの目立つ場所に広告見出し付きで売られています。 日本史上、30年に一度の大変革 この本のなにがすごいのかというと、 はっきり言って、日本史の「本能寺の変」の教科書の歴史認識を大きく塗り替えたからです。 こんなことは30年に1度あるかないかくらいです。 いずれじわじわとこの本の凄まじさが理解され、100年後には日本史の教科書の歴史や、大河ドラマで「本能寺の変」が描かれるときは、この本の織田信長・明智光秀像を原典として編集されると思います。 単なる武将好きに向けた本ではなく、アカデミックな真相を解き明かそうとする「本物の歴史研究者」に向けた本です。 明智憲三郎さんは理工系の研究職の元サラリーマンで、歴史の切り口が科学的手法なのが今回の大発見に繋がりました。 歴史の事実の「重み」の計量分析 私の専攻である統計学で言うと、出展文献の信憑性に「重み」をつけて、信頼性と妥当性の高いものを評価して、時制順に厳密に検査・検証されているのです。 大学院へ行った人なら分かると思いますが、学者はどうしても先行研究として自分の指導教官の先生の脈々と受け継がれてきた論文を引用して記述して、その認識のまま歴史を作ってしまいます。 反例があったとしても捨象して(無視して)、論文を組み立て、それを文科省の官僚が教科書にし、小説や脚本にされ、ドラマとなったりして発信されます。 そうやって一般の人へ過去の歴史認識は作られてしまうものなのです。 そして後からいくら信憑性の高い反例(文献・結果)が出てきても「論文(先行研究)・教科書にないから違う」と言う、応用力もない、つまらない人間になって、学者は一生新しい発見のできないまま落ちぶれていくのです。 このような「最初から答えが決まっている」という宗教的なやり方を「演繹法(えんえき)」いいますが、 これに対して、「いろんな事例を組み合わせて答えを導き出す」というやり方を「帰納法(きのう)」といいます。 これが科学的手法です。 明智憲三郎氏は、資料から歴史の事実で「重み」をつけて、それを構築して論を立てているので素晴らしいのです。 明智氏の科学的な歴史アプローチ法がすごい 明智憲三郎さんは断片的な情報から反例も組み合わせて答えを導き出すという帰納法、科学的な思考法で分析できているのが素晴らしいのです。 「科学的思考」のレッスン 戸田山和久(名古屋大学教授)より 「私たちは科学の中からしか真理をうかがうことができない」図2-1(上) 「二つの推論の特徴」表4-1(下) 一番大きな発見は、 ・「時は今・・」で始まる本能寺の変の前の有名な明智光秀の愛宕山連歌が、秀吉の都合が悪かったので、あとから語尾を一部変えて時制をズラしていたこと ・イエズス会、秀吉や、吉田兼見、細川幽斎まで、明智光秀を陥れるために、大きな共同謀議(コンスピラシー)があったということ が、いよいよ白昼に晒されてしまったのです。 その足がかりの基盤としても十分に耐えうる事実検証と論理的整合性がなされています。 この本は普通の歴史好きも、教科書で凝り固まってしまった人も、是非、読む価値があります。 オススメいたします。 最新刊もありますが、まず中心となる話はこの本でしょう。 本能寺の変431年目の真実の漫画版)超おすすめ。 明智憲三郎 織田信長 435年目の真実 幻冬舎文庫 明智憲三郎 本能寺の変 431年目の真実 文芸社文庫 ベストセラーとなった明智憲三郎氏の名著。 能寺の変の真実を読み解くためには紀州武田の分家である御本家(みもとけ)を掘り起こすしかないのだ。 この御本家こそ四国統一を果たした武将である。 ただゴホンケと読まれ土佐一条氏と勘違いされ歴史上には出てこない。 そして本能寺の変が起こった日は、四国攻めを決行しようとする時だった。 御本家の家紋は丸に桔梗そう明智光秀と同じ家紋である。 そのため織田の家臣が早とちりをして明智軍と思い、秀吉は間違いで明智光秀を殺した。 そのため明智の謀反で決着するしかなく、その事実を知る紀州武田である湯川氏は紀州征伐で滅ぼされ御本家は四国征伐で追いやられたが私こと子孫は生き残っている。 補足として、織田信長の遺体が無かったのも御本家が持ち帰ったためである。

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明智憲三郎とは

明智憲三郎

明智 憲三郎(あけち けんざぶろう) 1947年生まれ。 明智残党狩りの手を逃れた光秀の子。 於寉丸(おづるまる)の子孫と伝わる。 慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了後、大手電機メーカーに入社。 一貫して情報システム分野で活躍する。 長年の情報畑の経験を活かした「歴史捜査」を行い、精力的に執筆・講演活動を展開。 衝撃の真実を描いた数々の著作は大ヒットとなっている。 藤堂 裕(とうどう ゆたか) 1979年生まれ。 兵庫県洲本市出身の漫画家。 「由良COLORS」(少年画報社)、主演・向井理でドラマ化映画化された「S-最後の警官-」(小学館 原作・小森陽一)などを執筆。 現在は『別冊ヤングチャンピオン』にて「信長を殺した男〜本能寺の変431年目の真実〜」を連載中。

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明智光秀

明智憲三郎

著者は本の中で『私の復元した答だけを聞いた方は間違いなく「あり得ない!」、「奇説!」と叫ぶと思います。 なぜならば、四百三十年に渡って誰からも聞いたことがない答だからです。 捜査内容(証拠と推理)の妥当性を虚心坦懐に評価していただければ「あり得る!」「正論!」とご理解いただけます。 是非、お読みいただいてお確かめください。 推理小説を読むような感覚で、従来とは次元の異なる本能寺の変の謎解きをお楽しみいただけると思います』と書いています。 amazonのカスタマーレビューにも『明智氏が「蓋然性の高い」と判断して最終的に提出した「仮説」を、「明智説」のように矮小化して取り出し、他の誰かも言っているとか、あるいは他のいい加減な説と並置して紹介したりするやり方では、この本の価値が損なわれることになります。 批評をする人は、この本の史料批判と推論のプロセスにフォーカスすべきでしょう』と書かれています。 したがって、残念ですがkrlf112さんの質問はこの本を知るにあたって最もつまらい方法ということになってしまいます。 ご自分で読まれることをお勧めします。 本能寺の変は「真相」などというほどの秘密に、 された謀反では、なかった。 謀反が起きたら、 その日のうちに、各地に連絡されて知れ渡った。 徳川家康なんて謀反が起きた朝の午前中に 堺で注進を うけて、とっととトンずらした。 どうも明智は情報統制するなどして、謀反が、 知れ渡るのを おくらせる裏工作を しなかった ようだ。 備中で、手打ち、した羽柴と毛利だが、 毛利も織田で謀反の発生を比較的、早期に知っていた。 知っていたのに、なぜ羽柴と停戦講和したのか。 謀反が起きたことで羽柴が東へ撤収するなら、 毛利としては好都合で、それを追撃する余裕も、 なく、織田で謀反おきて織田信長が死んで 毛利としては、助かったのだろう。

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