日航 ジャンボ機 墜落 事故 真相。 日航機墜落事故(123便)の事故原因は、何だったのでしょうか?様々な噂...

日航機墜落事故(123便)の事故原因は、何だったのでしょうか?様々な噂...

日航 ジャンボ機 墜落 事故 真相

その創刊時から活躍した伝説のカメラマン、小平尚典が今、いち早く現場を取材しスクープとなった群馬県・ 御巣鷹山での 日航機墜落事故の全貌を明らかにした。 1985年8月12日、18時56分頃 日本航空123便墜落事故の第一報を耳にしたのは1985年8月12日、仕事も終わり愛車のボルボ245GLEで帰路に向かう途中だった。 家に帰ったら1歳になったばかりの娘とお風呂でも入ろうかと考えていたさなか、当時としてはまだ珍しいショルダー携帯電話が突然鳴り出し、航空機が行方不明であることが同僚のカメラマンから告げられた。 私はその足で新潮社に向かった。 ラジオでは断片的な情報をつないで、「長野県、群馬県境の上野村、三国峠、南相木村当たりの山中に落ちた、米軍機から横田基地を通じて報告があり、捜査を開始したもよう」と報じていた。 南相木村は取材で何度も行っていたので、土地勘があった。 そこで私の車を使い、私とフォーカスの記者の2人で南相木に向かうことになった。 東京を出発したのは午後8時半、南相木村の目的地に着いたのは深夜0時を過ぎていた。 車で村に近づくにつれ、警察車両や消防団が目に入ってきたが、さらに進んでいくと警察官に小学校の校庭に誘導された。 周囲を見渡すと報道関係者は私たちだけだった。 車をグラウンドの片隅に付け、運動会用のテントが張られた対策本部を覗くと、消防団員らしき人たちと駐在さんがいましたが、これといった情報はない。 夜明け前に自衛隊が動くとの情報を得て、そのあとをついて行くことになった。 自衛隊のジープについて、どのくらい進んだだろうか。 すでに車で入れる道はなくなり、自衛隊は歩いて現場へと向かった。 私たちもそのあとを追ったが、御巣鷹山はまさに樹海のような山林、相手は自衛隊。 素人がどんなに力んだところで追いつけるわけがない。 あっという間に自衛隊を見失ってしまった。 そして目の前には小高い崖が表れた。 重い機材をもって来たテレビクルーや革靴で現場にやってきた新聞記者たちはここでリタイア。 最後に残されたのは私たち2人だけだった。 そして崖を登りきると、白い煙が立ち上がるのが目に入り、カメラの望遠レンズを覗くとそこには墜落現場があった。 ベテランの登山家ではないから、現場へ行くための道などわからなかった。 場合によっては遭難するかもしれない。 それでも沢つたいにまっすぐ降りて行けばきっと現場に行けるに違いないという確信があり、そこで思い切って現場に向かった。 そして樹海のような中を進みながら沢の岩を一つひとつ超えていくと、徐々に視界が開けてきた。 そこには機械の部品のようなものが散らばり、何やら埃っぽい。 さらに進むと岩にトランプのエースが落ちている。 さらに進むと一気に視界が広がり、倒れた木々の隙間から翼の破片らしき大きな鉄の塊が見えた。

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日航123便墜落事故原因に迫る新事実!この事故は「事件」だったのか!?|Web河出

日航 ジャンボ機 墜落 事故 真相

日航機墜落事故の概要 1985. 12 乗客乗員 524 人を乗せた日航 123 便が上野村山岳地帯に墜落して、 520 人が死亡、 4 名が重傷を負った、世界で最大、最悪の旅客機事故。 事故調査委員会が修理ミスの隔壁が破壊し、操縦不能に陥り、墜落したとの公式報告書を発表。 事故原因が記載されず、多くの疑惑、矛盾が指摘されたが、国は一切説明責任を果たさず、告訴された「ボーイング社」「日航」「航空局」も無罪が確定して、迷宮入りになった旅客機事故。 空の安全が第一の航空行政の航空局が再調査の指示を不作為して、権力者、自衛隊の加害責任を隠蔽した事件。 多くの方の賛同を得たが、一方反論も受けた。 本の表紙写真は 下に示す。 航空局、事故調査の安全委員会も一切公開質問状に回答せず、無視し、マスコミも傍観の姿勢を貫く情勢が続く。 権力者の自己保身のための情報統制は依然として、生きている。 掛かる著作で日航 123 便墜落の真実は 完全に明らかに出来たと考えるが 全ての方に理解出来、 満足の行くものではないかも知れない。 何故なら、事故調査の全ての記載は無理で、ここでは事故調査での裏話や背景、動機など補足説明を行うことで、より一層理解して頂けることがこの HP での説明の目的なのであります。 *著者・遺族 小田周二 プロフィール 生年月日 1937 年 奈良県御所市生まれ 学 歴 大阪大学工学部応用科学 化学工学修士 職 歴 プラスチック製造会社に勤務 研究、開発、製造、整備、品質管理、 TQC などに従事 現 在 神奈川県横浜市に在住 家 族 日航 123 便墜落事故( 1985. 12 )での犠牲者として、 次男小田浩二( 15 歳)小田陽子( 12 歳) 親戚 中上岑子 37 歳 中上義哉( 12 歳)中上佳代子( 10 歳) が死亡した。 12 連絡会 に参加 ・日本の空の安全を願う会 主宰 ・著作 「日航 123 便墜落事故 真実と真相」( 2015. 3 文芸社) 「 524 人の命乞い-日航乗客乗員怪死の謎」 2017. 8 文芸社) ・その他 「日航 123 便撃墜事件 真実と真相」「日航123便は何故 墜落したのか」など 著作 多数 ・公開質問状 「航空局」「運輸安全委員会(事故調の後継組織)「 日本航空」に提出。 前記「航空局」「安全委員会」からは一切 回答ナシ。 ・「日本航空」とは、事故原因について十数回 事故原因究明技術会議を開催中。 ・「仮説 X 」: 日航123便墜落の真実に基づき 告訴状を前橋地検に提出 2016. 12)(2017. 12) 前橋地検より「不起訴」処分の通告。 理由「嫌疑なし」 (2018. 29) 事故調査委員会の事故原因「隔壁破壊説」は捏造された結論だった!! 日航 123 便の垂直尾翼の破壊は事故の端緒であるが、これを後部隔壁部の破壊が原因だとし、墜落の原因とした段階で、事故 調は墜落の事故原因を意図的に捏造を行ったのである。 本来の事故調査は帰納法であるが、事故調は演繹法、三段論法で行った。 墜落の事故原因:結論を先に決めての杜撰で疑惑の推論である。 事故調査の科学的推論では「 CVR 」 [DFDR] 「残骸」だけでなく、より重要な目撃 目撃証言、関係者証言、告白を証拠と• して 採用するが 事故調は無視しており、意図的な手抜きで捏造が行われた証拠である。 壊滅的な垂直尾翼の破壊は機内高圧空気の流出では起きない。 更に同時に APU も破壊することは 、科学的に流体力学的に• 起きない。 自衛隊司令官は垂直尾翼の破壊は「標的機の衝突だ」と告白し、日航も直後に「外部からの力で破壊した」と主張している• 日航事故機の操縦性の判断として、事故調も「飛行の継続が出来た」ボーイング社も「旋回、上昇、降下飛行が出来た」• と提起し、 CVR の会話記録からも機長の指示に佐々木パイロットが忠実にコントロールしていて、手動でのエンジン出力調 整による操縦が出来たことを示している。 操縦出来れば、横田に着陸出来るのは業界の常識で日航も認めている。 高濱機長は横田に着陸を申請して横田は許可しているアントヌッチ中尉は無線傍受で確認し証言した。 然るに 何故横田に着陸出来なかったかの説明がないのは自衛隊戦闘機の追跡事実から、権力と武力による着陸妨害、禁止によるものと判断出来る。 川上村レタス畑で多数の農民は 123 便の不時着を目撃しているが、報告書には記載がなく、又飛行航路、飛行高度も大きな相違がある。 CVR,DFDR の修正、書き直しが行われたと判断出来る。 日航 123 便の墜落の事故原因が特定せず、書かれていない。 失格の公式報告書である。 墜落の直前に生還者の落合由美氏は「物凄い横揺れして、急降下: : 墜落した」と証言し、 CVR には「機長らの驚愕の絶叫」が記録されている。 地上の住民が「炎を上げ、黒い煙を出して飛行する 123 便」「 123 便を置き掛ける流れ星」を目撃し、墜落の数時間後には 日航副長町田直が「日航機は ミサイルで撃墜されたんだ」と遺族に真っ青な顔で告白している。 自衛隊、群馬県警は生存者救出を意図的に放棄し、自衛隊特殊部隊は重傷の生存者の毒ガスでの殺害を図った。 生存者救出に命がけで活動した米軍アントヌッチ中尉の活動には、日本側からの救出中止、撤退、活動の緘口令を要請した。 事故調はこのアントヌッチ中尉の活動を一切報告しなかった。 自衛隊幹部は救出活動の不作為の言い訳をしたが 10 年後にアントヌッチ中尉が告白しても一切説明責任を果たしていない。 事故から2年後事故調は「隔壁破壊説」なる事故報告書を公表した。 多くの疑惑、矛盾を提起されても事故調は一切無視して説明責任を果たさなかった。 1999 年、事故調は世界最悪の日航 123 便墜落事故の資料を完全に廃棄した。 捏造の証拠を処理廃棄し、再調査への道を閉ざす暴挙であった。 事故調の後継である「運輸安全委員会」は、事故から 26 年後、遺族だけを集めた「隔壁破壊説の説明」を分かり易く解説する集会を開催し、遺族を洗脳し、事故原因の方針を変更させる暴挙を実施し、成功した。 事故から、 30 年後、 2015. 8 航空局、日航は 1990. 7 の前橋地検の不起訴判断を持ち出し、告訴された「ボーイング社」「日航」「航空局」の三者は無罪だと断言し、司法として「無罪は確定している」と文書で通達して来た。 加害者だとして遺族に補償金を支払った日航は 2016. 8 「支払った金は一時的なお見舞い金だ」と文書で訂正して来た。 ここに、事故調の「隔壁破壊説」は崩壊した、事故調、国は 嘘を吐いたことを 航空局、日航が認めたのである。 日航 123 便ミサイル撃墜乗客乗員殺害事件は 自衛隊の不祥事を完全に隠蔽して、権力の維持を図るために、総理と自衛隊がテロ攻防して実行した残虐な市民殺害であると判明した。 報告書を捏造し、操縦出来る 123 便の横田への着陸を禁止し、最後はミサイルで撃墜した。 更に完全犯罪を目論み、生存者の毒ガスでの殺害を図った残忍な事件であったことがここに明らかになったのである。 *この詳細は 小田周二著「日航 123 便墜落事故 真実と真相」「日航 123 便乗客乗員怪死の謎 524 人の命乞い」に記載した。 この本に書ききれなかったことは小田のブログに書き込み、報告したくブログを読んで検討して頂きたい。

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日航機墜落事故(123便)の事故原因は、何だったのでしょうか?様々な噂...

日航 ジャンボ機 墜落 事故 真相

32年前の日航123便墜落の真相は闇に葬られるのか 2017-09-02 天木直人のブログ 毎年8月12日になると、いまでも必ず報じられる事がある。 それはもう32年も前になる(1985年)、日航ジャンボ機の群馬県の御巣鷹山中墜落事故だ。 乗客、乗員併せて520名もの犠牲者を出した。 その中には歌手の坂本九さんもいた。 この事故は、公式にはボーイング社の修理ミスで機体後部の圧力隔壁が破損し、その圧力で尾翼の一部が吹き飛んで機体のコントロールが失われた「事故」として処理された。 しかし、その「公式結論」には、当初から様々な疑義が呈せられ、いまでも異論を唱える人が多い。 私がこの真相解明論争に関心を抱いてきたのは、疑義の一つに自衛隊や在日米軍の関与説があるからだ。 すなわち、墜落直前のジャンボ機を自衛隊の戦闘機が追尾していたとか、訓練用ミサイルを連想させるオレンジ色の物体が尾翼向かって飛んで来たとか、米軍が墜落直後に横田基地から輸送機を現場に飛ばし、上空から炎上する機体を確認し、救援ヘリを飛ばしていながら、何もせずに引き返した事などである。 すぐに救出作業をしていれば多くの人命が救われたのに、ここまで多くの犠牲が出たのは、何者かが証拠隠滅のために強力な燃料で現場を焼きつくしたのではないかという陰謀論まであるほどだ。 しかし、そのような疑惑は一切追及されることなく、いまでは毎年の報道は犠牲者の追悼だけに終わって完全のあの事故は風化しつつある。 そんな中で、発売中の週刊実話(9月14日号)に、経済評論家の森永卓郎氏が自らの連載「格差社会を生き抜け!森永卓郎の経済千夜一夜物語」でこの墜落事故について書いているのを見つけた。 「私がメディアでニュースの仕事にかかわるようになって20年が経つが、いまだに腑に落ちないのが、32年前に起きた日本航空123便が御巣鷹尾根に墜落した事件だ」と。 私がその記事の中で注目したのは、当時、日本航空で働いていた客室乗客員だった青山秀子さんという人が、この7月に「日本航空123便墜落の新事実」(河出書房新社)という本を出版した事が紹介されていたからだ。 真相を探ろうと、あらゆる文献を収集・整理し、目撃証言を集め、人生をかけて取り組んだ集大成であるという。 私は早速その本を買って読んでみようと思う。 森永氏はその記事の最後をこう締めくくっている。 「事件から30年以上経過したのだから、政府は国民に真相を明かすべきだ。 それは、加計学園より重要な問題だ」と。 私もそう思う。 しかし、決して政府が真相を国民に明かす事はないだろう。 加計問題は安倍首相という一人の政治家のスキャンダルだ。 安倍首相が責任をとって政権を手放せば済む話だ。 しかし、ジャンボ機墜落事故の真相が、もしも日米同盟の不都合な真実に行き当たるとすれば、それは戦後72の戦後史の根本にかかわる大問題になる。 一首相、一内閣の問題では済まない。 この国には、絶対に国民に知らせてはいけない闇があるに違いない。 元日航客室乗務員の青山透子さんが123便墜落で犠牲になられた方の33回忌に 合わせて、この8月に刊行された上記新著 『日航123便墜落の新事実』 には、タイトルにもあるように、墜落に関する新事実が散りばめられている。 ジャンボ機が墜落した直後、長野県南佐久郡川上村に在住する 中嶋初女さんという女性が、午後7時05分に、長野県南佐久郡臼田警察署に、 墜落現場の正確な情報を伝えていた。 「当機は、陽が長くなった夏の夕日が沈みかけていたころ、 機首を北北西に進路を取った。 午後7時15分、航空機関士が1万フィート付近で雲の下に煙のようなものが見えるのを 発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向けた。 御巣鷹山の周辺はとても起伏が多かった。 地表からおよそ2000フィートまで降下する許可を得た。 墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと暗くなり始めていた時だった。 山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。 時刻は7時20分だった。 」 米軍輸送機は午後7時20分に墜落現場を確認している。 そして、この輸送機が米軍の救援ヘリを視認したのが午後8時50分。 ヘリは地上に救援隊員を降下させようとしたが、 横田基地から「直ちに基地へ帰還せよ」との命令が下された。 救援ヘリは救助続行を希望したが、横田基地は機関命令を下した。 米軍輸送機は午後9時20分に日本の自衛隊機が現地に到着したのを確認して 帰還した。 上記2015年8月15日放送のNHKスペシャルは、 墜落当日夜にヘリコプターで墜落現場を視認した自衛隊パイロットの証言も 収録している。 (31分05秒以降の部分) 自衛隊は現地に2機目のヘリコプターを13日午前零時36分に 入間基地から派遣している。 機長の金子正博氏は、このフライト墜落現場を上空から確認したことを証言している。 同時に、陸上からは長野県警の大澤忠興氏がぶどう峠から 航空自衛隊ヘリコプターが墜落現場を上空から確認し、 サーチライトを当てている場面を正確に伝えていた。 航空自衛隊の金子正博氏が墜落現場の報告の際に、地上の警察照明の位置を 「北北西30度4マイル」 と伝えるべきところ、 「北北東30度3マイル」 と誤って伝えたとNHK報道は伝えるが、にわかに信じ難い話である。 自衛隊は墜落後、午前零時36分にかけて、 二度にわたって墜落現場を空から確認している。 米軍は墜落から20分後には墜落現場を確認している。 当局が墜落現場を特定できなかったというのは、完全なフェイク=虚偽情報である。 実際に救援活動が始まったのは翌日13日の午前7時以降である。 この間に一体何があったのか。 そして、なぜ、早期の救援活動が行われなかったのか。 きわめて深刻で深い闇がある。 その闇の正体を多くの探求者が、すでに探り当てているのである。 青山氏の著書はきわめて重大な事実をも発掘している。 群馬県警察本部発行の昭和六十年十月号『上毛警友』冊子が 日航機墜落事故特集号となっており、その122ページに 「日航機大惨事災害派遣に参加して」 と題する自衛隊第十二偵察隊一等陸曹M・K氏の手記が掲載されている。 このなかに次の記述がある。 「八月十二日私は、実家に不幸があり吾妻郡東村に帰省していた。 午後六時四十分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム二機が 低空飛行していった。 その飛行が通常とは違う感じがした。 「何か事故でもあったのだろうか」と兄と話をした。 午後七時二十分頃、臨時ニュースで日航機の行方不明を知った。 」 つまり、この日の夕刻午後6時四十分頃に群馬県上空を自衛隊のファントム2機が 飛行していたのである。 同時に青山氏はもうひとつの重要な目撃証言を掲載している。 8月12日午後6時30分頃に、静岡県藤枝市の上空を日航ジャンボ機が 傾きながら飛行し、その約5分後にファントム2機が日航機の後を追うように 北の方向に飛び去ったのを目撃した人物が紹介されている。 日航ジャンボ機が尾翼を失い、この日航ジャンボ機を追尾するように 自衛隊ファントム2機が追尾するという事実が存在した可能性が極めて高いのである。 日航ジャンボ123便の機長である高浜雅己氏は、 異常音が発生した直後に「スコーク77」を発信している。 同時に発した言葉が「オレンジエア」である。 この間に副操縦士が「これ見てくださいよ」と述べている。 その後機関士が「オレンジエア」と発している。 ジャンボ機最後尾56G席に搭乗していた小川哲氏が撮影した写真には、 ジャンボ機に接近する飛行物体が映し出されていた。 その飛行物体を専門家が解析すると、円錐または円筒状の物体で オレンジ色の色味を帯びているもの、 さらに飛行機の方向に接近しているものであるとの結果が得られたという。 コックピットはこの飛行物体を視認しており、衝撃音があったのち、 直ちに「スコーク77」を発信し、その原因について 「オレンジエア」 と表現したのだと思われる。 「日本航空123便墜落事故を検証する」 は、すべての状況からひとつの推論を提示している。 「123便に衝突したのはファイヤー・ビーとチャカ2」 分析は次のように記している。 「事故当日、事故現場の相模湾では、相模湾内で護衛艦「まつゆき」が 試験航行していた。 すでに指摘されているように、 誘導レーダーの実験演習が行われていて、 123便の衝突したのは実証実験中の誘導ミサイルと考えることは自然である。 ネット上での説は、無人標的機のファイア・ビーが犯人であるとしているが、 ボイスレコーダーに衝撃音が2度あることから、 無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾していた誘導ミサイルのチャカ2が 連続して123便に衝突したと考えるべきである。 」 「日本航空123便は、離陸から12分後の18時24分、 相模湾上空を巡航高度の7,200mを南西方向に機首を向けて上昇していた。 同時刻に、誘導ミサイルの実証実験をしていた護衛艦「まつゆき」から発射された。 無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾する模擬誘導ミサイルのチャカ2は、 高度7000m付近を南東方向の縦に並んで水平飛行していた。 南東に向けて水平飛行していた「ファイア・ビー」と「チャカ2 」は、 南西に向けて上昇中の日本航空123便クロスするように衝突。 先頭を飛んでいた「ファイア・ビー」は、123便の胴体の中央下部に、 「ファイア・ビー」を追尾していた「チャカ2 」は、 1一秒遅れて水平尾翼に衝突した。 この時の衝撃音が、18時24分35秒と36秒の衝撃音。 日本航空123便は、胴体中央下部への衝突で油圧系統が損傷。 さらに、車輪格納扉が落下もしくは開放され、機内は着陸警報が一秒間鳴り、 同時に急減圧による白い霧が発生し酸素マスクが自動降下した。 一秒後に「チャカ2 」は、水平尾翼に衝突して垂直尾翼が落下。 水平尾翼が、進行方向に対して機尾が九の字の跳ね返り、さらに右舷に傾いた。 以降、123便は、直進の際に、機首が上を向きながら右へ傾くようになる。 」 極めて説得力のある推論であると言える。 こうなると、ファントム2機が追尾したことも理解できる。 政府、あるいは自衛隊が事実発覚を恐れたとすれば、 現場検証が行われる前に、証拠物を隠滅すること、 別の墜落原因を捏造することなどが必要になる。 墜落原因とされた圧力隔壁は現場からそのまま搬出されなかった。 自衛隊が日米合同の事故調査委員が来る前日の8月15日に 大型電動カッターで5分割にしてしまったのである。 最重要の事故原因検証の証拠物を自衛隊が破壊したのである。 生存者である日航CAだった落合由美氏は、 「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。 ひとりではなく、何人もの息遣いです。 そこらじゅうから聞こえてきました。 まわりの全体からです。 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。 」 「救助ヘリコプターが上空で回っているのがわかった。 手を振ったが気付いてくれなかった。 自分の周りでは数人の子どもたちの声が聞こえたがそのうち聞こえなくなった」 と証言している。 墜落直後には多数の乗客が生存していた。 しかし、救援活動は行われなかった。 救援活動に着手しようとした米軍ヘリは、横田基地の命令で強制帰還させられている。 そして、自衛隊ヘリコプターは墜落直後に2度も墜落現場を確認しながら 救援活動を行わなかった。 さらに、米軍に救援要請もしなかったのである。 そして、より恐ろしい仮説が存在する。 青山氏の新著137ページ以降に記述されている 「ガソリンとタールの臭いが物語る炭化遺体と遺品」 である。 乗員4名と乗客1名の司法解剖を担当した群馬大学医学部の古川研教授が、 「(機体)前部の遺体には損壊や焼損が目立ち、衝撃のすさまじさと 主翼の燃料タンクの火災の影響を受け、焼損遺体の中には部位も 判然としないものがあり、通常の家屋火災現場の焼死体をもう一度焼損したように 見えた(略)」と記述しているのである。 青山氏が元自衛隊関係者、軍事評論家、大学の研究者に質問して得られた結果からは、 次のような証言が得られている。 質問 ガソリンとタールの臭いが充満し、長時間燃える物質、 その結果、人間の体が炭のようになる状態のものは何か。 答え ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料である。 質問 これはどこで手に入るのか。 答え 一般にはない。 軍用の武器である。 質問 それはどこにあるのか。 答え 陸上自衛隊普通科歩兵、化学防護武器隊で、 相馬原普通科部隊にもある可能性が高い。 相馬原普通科部隊とは、群馬県北群馬郡榛東村に所在する部隊のことである。 安易な推察や断定はするべきでないことがらであるが、 恐るべき真相が隠されている可能性を否定はできないのである。 松本清張氏が「日本の黒い霧」によって多くのことがらを闇から現実に引き戻された。 私も「平成の黒い霧」を告発し続けてきたが、「日航ジャンボ機墜落事件」もまた、 決して迷宮に送り込んではならぬ重大事案である可能性が 極めて高いものであると考える。 風化なんてとんでもないことですよ 毎年夏になると思い出すあの夏の、夕方からテレビで「日航機行方不明」のニュース速報が くり返し流され、もうその時から最悪の事態は予想され、不安で憂鬱で暑い夏の夜 翌日から連日新聞の一面は暗い死の記事ばかりになり、全搭乗者氏名年齢が掲載され 今だったらできない報道かな、それを見てさらに鬱になり、その後写真週刊誌の 間近からの撮影の写真を見てトラウマになり、これも今では出版できそうもありません、 その後沈まぬ太陽と、墜落遺体なる検視担当医師の書籍を読んでますます具合が悪くなり、 どれほど国民の精神の健康を害したか、その影響は計り知れず、 そのような日航機123便事件が、風化するなどということは、あり得ないことです 天木さんのような、それなりに社会に発言できる人物が、この事件を蒸し返すのはよいことです 義理息子の前川喜平さんが瀕死の日本の立て直しに着手されている 中曽根は真相を明らかにするべきだ すべてをあの世に持って行く、と言う態度は赦されないのである 7さんの言う通り。 機内に「急減圧」は起きていなかった。 しかし事故調査委の報告では圧力隔壁の破損・崩壊。 圧力隔壁が壊れれば、確かに尾翼は吹き飛び、操縦不能に陥るが、急減圧も同時に発生する。 急減圧が起きれば、航空機のパニック映画にあるように乗客が機内に吹き飛ばされる現象が起き、酸素不足に陥るが、機内の乗客は酸素マスクをしないで済んだし、高浜機長らパイロットたちも酸素マスクなしで、必死の操縦を続けていた。 われわれは事故調の報告とそれを垂れ流したマスごみの報道(つまり圧力隔壁の破損・崩壊9に洗脳されてしまった。 尾翼がなぜ吹き飛んだのか。 吹き飛び、相模湾に散らばり、沈んだ尾翼をなぜ回収しなかったのか? 日本政府、自衛隊、米軍の闇と隠ぺい工作を考えてしまう。 事故後8月15日にJAL747全機に対して垂直尾翼付近の一斉点検を実施したら、23機から35ケ所の問題点が見つかった、外国航空会社では43機から上部方向舵を動かす油圧ピストンの取り付け部に亀裂が発見されてる。 日航では古い機体16機のうち、12機に金具の亀裂、ボルトの折損、ゆるみがのべ20件、垂直安定板の胴体への取り付けボルトが折れたもの2本、緩んでいたもの6ヶ所が発見され、新しい機体にも11機にボルト折れ、油圧シリンダー取り付け部分(方向舵破損の危険がある)の亀裂も発見された。 この機体は、事故以前から上下の方向舵に平均より大きなズレがあり、後部のトイレのドアは地上では問題なく開閉できるが飛行中には開閉できなくなることがあった、さらに後方客室で金属性の異常音も聞かれていた。 (空気の力を受け機体が変形していたと思われる)。 藤田日出男氏の本読んだら早いけどアマゾンではまだ発売してるみたいですね。 : : [284] 日航機墜落事故(日航ジャンボ機123墜落事故)関連サイト。 模擬弾激突・トロン開発者抹殺・プラザ合意etc全てを否定できない状態であることが犠牲者や遺族にとって最大の侮辱だ、相模湾に落下した垂直尾翼のの破片を回収し再度現在の最新解析・分析技術をもって再調査すべき、事故調が結論付けた「圧力隔壁の破壊による急減圧に起因する垂直尾翼の破壊」を思わせる現象はボイスレコーダー・生存者の証言・現役パイロット組合の事故調査書を見分しても全く出てこない、それ以外になんらかの異常事態が発生して機体がコントロール不能になったと思われる、もちろん陰謀論を一切排除しての誰が見ても読んでも納得できる事故報告書を読みたいものだ。 フジテレビが放映していたドラマは「お涙頂戴モノ」墜落原因のさらなる追求には全く触れていない、既存の放送局が触れられない何らかの理由があるのは容易に想像できるが、果たしてそれが何であるかは知る由もない。

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