あつ森 マダイ。 その魚、パフェの飾りにしようとしてるの?!〜あつ森英会話〜|今井安紀|note

[B!] あつ森 古代魚に興味持つ人増

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新型コロナで高まる不安 あつ森の発売時期に「ふさわしいタイミング」

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苦手な方はご注意ください! 「黄金」という名の魚 『あつ森』でついに釣れましたよ…あの魚が!「黄金」が! どうです!この不自然なまでの金ピカボディー! この魚の名は「ドラド(Dorado)」。 スペイン語でまんま「黄金」を意味します。 エル・ドラド(黄金郷)のドラドですね。 もうこのネーミングだけでもいかに真っ金金な魚か察しがつきますよね。 だってブラックバスとかギンブナとか名前にその体色がつく魚は多いけれど、色自体が名前になっているってなかなかないですもの。 日本語だと「キン」とか「オウゴン」って名前の魚なわけですよ。 半端な金色では名前負けしてしまうところです。 …なんでこんな色に進化したんだろう?(アルゼンチン) でもドラドは自分の「キラキラネーム」に決して負けていない! なんかもう「……なんでそんなに?」と訊きたくなるくらいにキラキラ。 いやむしろギラギラのビカビカに金色なのです。 キンギョどころの騒ぎじゃあない! サケっぽいけど実はピラニアに近縁 このドラドという魚は「カラシン科」という日本ではあまり聞きなれない分類群に属します。 カラシンの仲間は南米やアフリカ大陸にのみ分布しており、有名どころにはピラニアや観賞魚として有名なネオンテトラ(『あつ森』にも登場しますね)などがいます。 南米ではこれらカラシン科の魚が、コイ科などアメリカ大陸に自然分布しない魚類に似た姿に進化し、生態系における彼らの地位(「ニッチ」と言います)を代わって埋めています。 そういえばドラドも体型や顔つきがマスやサケの仲間に似ています。 学名の「salminus」もラテン語でサケを指す「salmo」に由来します。 しかし分類学的には近縁でもなんでもない、いわゆる「他人の空似」なのですが。 ドラドは海に降りることこそありませんが、産卵の際には大河の流れに逆らって数百キロメートル ! も遡上することが知られています。 均整のとれた流線形のボディがもたらした遊泳力のなせる技と言えます。 また、サケと同様に肉食で小魚を追い回してその大きな口でパクリとやるのです。 生態が近いと遠縁な生物同士でも姿形が似てくる「収斂進化」のいい例でしょう。 なお、体長も1メートル以上に成長し、体色も相まってたいへん見栄えする魚です。 ドラドは大河のスピードキング(味も良い) 大きくて遊泳力が強く、エサを獰猛に追う。 さらに見目麗しいとなれば、『あつ森』に限らず現実世界でも釣り人が放っておきません。 ドラドは南米でも指折りのスポーツフィッシングターゲットとして人気を博してもいるのです。 僕もブラジルで小さなドラドを釣ったことがありますが、いいように翻弄されました。 水中を縦横無尽に駆け回ったかと思えば花火のように水面を飛んで跳ねる…。 まるで筋肉とエネルギーの塊のような魚なのです。 あちらの釣り人が夢中になるのもわかります。 漁師さんからも狙われます。 味や肉質はどこかビンチョウ(ビンナガマグロ)を思わせ、まるで川魚ではないような美味さがあるのです。 ただし巨大化する上によく泳ぐとあっては、飼育にはちょっとした水族館並みの水槽が必要……。 なかなかご家庭で飼えるものではありません。 ちなみに僕は『あつ森』で自宅にドラド水槽を並べたり博物館に展示することで「ドラド飼ってみたい欲」を満たしています。 壮観ですぜ。 現在は「公益財団法人 黒潮生物研究所」の客員研究員として深海魚の研究にも取り組んでいる。 著書に「食ったらヤバいいきもの(主婦と生活社)」「外来魚のレシピ(地人書館)」など。 Twitter YouTubeチャンネル•

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「あつ森」で嫌われ者のスズキへ熱い視線を今送っているということ|ぱなおとぱなこ|note

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すずき、スズキ、鱸。 「あつ森」で釣れすぎる故にユーザーに嫌われている悲しいおさかな。 僕はこのスズキをこよなく愛すゾウである。 ゾウなのに魚を食べるんですか?(棒読み)と聞こえてきそうだが、スズキはとてもおいしいのだ。 「あつ森」のユーザーの方はとっくに知っていると思うが、スズキは大きさによってその名を変える出世魚である。 よく、日本人が大好きなタイと比較されることが多いが、身はタイよりも弾力があり、味も淡白ながらタイより味がしっかりしていると僕の舌は感じるみたいだ。 ん、建築の話?ー今日は食べ物としてのスズキ愛を語らせてください。 最後にちょっとだけ建築につなげます。 さて、スズキは刺身にしても身がプリッとしてておいしいし、焼き魚もスズキの独特な自然豊かなところの土のようなにおい(表現が乏しいが、とても香ばしいにおい)がして、とてもおいしい。 タイの身をぎゅっと縮めて、密度を上げて濃厚にしたようなあじわいで、ちゃんとジューシーさもある。 煮る調理法はあまり聞かないけど、生よし、焼いてよしの美味な魚である。 鯛めしならぬ鱸めしがあっても良いのでは、と思っている。 何より、タイより安価なのはうれしい。 今日スーパーの魚コーナーにいったら、タイは2切れ680円、対するスズキは3切れ680円だった。 タイの値段の3分の2の値段ということだ。 これは買いでしょ、お得ウゥ! スズキは河と海が合流する場所に生息するようで、海や川の水質により肉の旨さが違うみたいだ。 僕が食べてきたスズキは、もれなくおいしかったのできっと水がキレイなところで育ったんだろう、と遠い目で見る。 冬~初春に産卵し、旬は夏~秋とのことで、ちょっと鮮魚コーナーに力が入っているスーパーならいつでも手に入る魚。 さっきも言った、スーパーで3切れ680円のスズキを買って、今日はスズキに向かい合うことにする。 選んだ味付けはシンプルに塩味、調理法はポワレである。 ポワレもスズキの調理も初めてなので、何度もネットで見た工程を反芻する。 今まで定食屋とかフレンチとか、全部外で食べたスズキしか経験がないのである。 「ポワレ」とはフレンチでよくみられる定番の調理法だが、日本語でいうところの「焼く」という意味である。 スズキのポワレは焼き魚か、と言われればそうなのだが、ポイントは皮がパリパリになるまで表面を強火で焼いて、中は水分を閉じ込めてジューシーさを残す、という目的の調理法とネットにはあった。 第1回ポワレの会が始まった。 下準備にスズキを塩水(塩適当、少ししょっぱいくらい)で洗ってよく拭き、皮に切れ目を入れる。 スズキの皮は厚くて弾力があるので、身も切断する覚悟の強さで包丁を入れたほうがよい。 塩コショウを裏表にまぶして、次に小麦粉をまんべんなく薄くつけて、なるべく時間をおかないで皮を下にして熱したフライパンに投入する。 時間をおくと、小麦粉が水分でべちゃっとして、焼き上がりもなんだかべちゃっとするからだ。 フライパンを中火にして皮をパリっと焼き上げる、なんてネットには乗っていたが、我が家のコンロごときの中火ではいつまでたってもパリっとしない。 建築の業務もパリっとしないのはよくない、だからコンロの火力に不安な方は火力のスライドのつまみを3分の2くらいの右の位置(中火~強火)にされたし。 やっと皮がぱりっとしてきたら、裏返して1分とあった。 うーん、僕の買ったスズキは肉厚でちゃんと火が通るか心配だな、と思いフタをかぶせて5分蒸し焼きにする。 中まで火が通るのを確認したら、再度皮を下にして皮の水分を飛ばす。 なんかいい感じに付け合わせを盛りつけたら完成。 おいしいんだけど、皮は食べれないほどじゃないけど弾力が残りゴムみたいだし、身もなんだかスズキの風味が消えている気がする。 僕のスズキはどこいった? 反省点は、皮を焼くときにもっと強火で焼き、素早く焼き目をつけることだ。 また小麦粉を付けすぎて余分な油を吸ってしまった。 この2点からスズキの風味は飛んだのではないかなと。 また焦げることを恐れず、強火にしていれば、もっと皮がパリっとしておいしくなっただろう。 我が家のコンロは火力がないくせにサーモスタットが良く効くので、ちょこちょこ火が弱くなることも敗因のひとつであろう。 てことで第一階ポワレの会は失敗に終わった。 でも旬な魚なので、また会う機会もあるだろうということでリベンジを誓う。 最後に、なけなしのエピソードで建築につなげたいと思う。 僕はまあまあ料理が趣味だ。 普段ごはんをつくるのは妻なので、とても感謝している。 週末はけっこうな頻度で僕が料理をつくる。 今日はたまたまオシャレな調理法に挑戦したけど、いつもは野菜炒めとか味噌汁とか煮ものとか、しゃれっ気ゼロの料理だ。 昔から料理は好きな方で、学生時のバイトは通算3件やったが、どれもレストランの厨房担当だった。 自分のつくったものが食べられて、たまにお客さんに美味しかったといわれるのがとても嬉しかった。 設計も同じで、頭の中の思考をひねり出して苦しんで生んだ建築がお施主さんに喜んでもらえることが、設計料よりもなによりも嬉しいことだ。 はっきりいって建築設計の責任の重さは、その対価には全然見合っていない。 安すぎる。 けれどもこんな仕事を続けていけるのは、お客さんの笑顔と、何気ないお礼をいってもらえるからと、きれいごとではなくて本当に思う。 逆に言うと、この利他的といっていい喜びが感じられないなら、建築設計は続けていけないとも思う。 そんな感じでまとめました。 ではでは~ ぱなおとぱなこ.

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